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■眠りの知恵6 [健康コラム]

[夜]眠りの質をよくする方法
●早寝早起き、正眠法の奨励
 ここまで、睡眠の科学的考察、現代人に特有の眠り現象、不眠症の分析と対策などについて述べてきたのに続いて、大自然の真理、原則にのっとった睡眠の仕方、いわゆる正眠法というものについて解説していくことにする。
 正眠法の第一の要諦は、早寝、そして早起きということにある。昔から「早起きは三文の得」などといって、早起きを奨励しているが、どうしたことか早寝については、それほどやかましく論じられていないようである。
 実は、早起きよりも早寝にこそ、人間の健康や運命をよくするカギがあるのである。
 なぜならば、いくら早起きが習慣になっていても、「早く寝るのはもったいない」などといって、夜が更けてから就寝したのでは結局、睡眠不足に陥り、寝ぼけた状態で一日を空費することになるからである。
 また、睡眠時間の長短よりも、睡眠の深さが問題であるともいわれ、それも確かに一理あるが、そういう人に限って早く永眠する傾向があるそうである。
 だからといって、ダラダラと朝寝坊をせよといっているのでもない。本来、人間の体には自然作用が働いており、早寝をすれば当然、早起きができるようになっているものなのだ。
 そこで、日暮れとともに就床し、夜明けとともに起床して働くというような、宇宙のリズムに合った生活をするならば、人間は誰でも健康で、賢明で、堅実な三拍子そろった人格者になれる。
 読者の方々には、実生活の上に体験、認証してみてほしいもの。そして、あなた自身が素晴らしい人格者となって、周囲の人たちを教導し、花も実もある日々是好日の人生の旅路を歩んでもらいたいものである。
 ところが実際、早寝ということは、簡単なことのようだが、これはまた現代人にとっては難事業ではないだろうか。夜遅くまで残業をしたり、深夜テレビを見たり、日が替わるまで酒を飲み歩いたりと、体に染みついてしまった長年の生活リズムを改革しなければならないからである。
 理屈では効用がよくわかるから、早く寝ようと思い思いしながら、なかなか暮らしのサイクルは変えられそうもない。ついつい十時になり、十一時になるという方もおられよう。
 ともかく百日続けてみることである。「石の上にも三年」というではないか。早く永眠する代わりに、毎日、日が暮れたら早く往生すべし、明日がある。遅くとも八時には寝るがよい。夏でも八時、冬は七時でもよい。
 現代は社会が華やかで、一人敢然と、落ち着いては眠れぬものである。それでも一日にわずかの努力が、三年で死ぬか三十年生きるかの交換条件となると聞いては、考えるまでもないこと、早寝と決めたのである。
 従って、数十年間にわたって、毎朝早く、はっきり、すっきりした心境、元気いっぱいな肉体で目が覚める。
●天地に定められた時間で眠る
 現代社会の人間は多く、習慣的に寝ることをする。これは間違いである。宇宙の原則、生命の原則からいえば、夜は八時に寝て、朝は四時に起きるのがよい。
 現代社会の時刻というのは便宜的な取り決めであり、夜が明けたら起き、日が暮れたら休むように、人間の体内時計は太古の昔からセットされている。
 つまり、標準時間というものが、天地に定められているわけだ。昼の正午には、どこの世界でも太陽が天の真ん中にくる。夜の午前零時は、夜の真ん中である。そして、方角に南北があるように、時間にも南北がある。南が正午で、北が夜の真ん中の午前零時。
 十二時を中心として、夜は八時に寝て、朝は四時に起きる。眠る時間は八時間。日本などは春夏秋冬がまことに正確に訪れる。この規則正しい自然の運行に恵まれた日本、それゆえにこそ日本民族は世界で一番優秀なのである。
 生理的に見ても、人間の体温は、午前二時から明け方の四時頃までが一番低い。代謝機能も低下しているわけで、最も休息を必要としているのだから、夜中の十二時前には眠るべきだ。
 昼の頂点が正午であるように、夜中の十二時は夜の頂点、夜気最も沈んで、人体というバッテリーに、明日のエネルギーが最高潮の状態で、チャージされている時である。従って、眠るのは遅くとも十時前でないと、せっかくのチャージの効率が悪くなってしまう。
 大自然によって決められた昼夜の「時」は機会であり、個人が自由に使えるものだが、自然の摂理に反すると、人間の生理に不都合が起きるわけである。
 冒頭で述べたように、正眠法では、早く寝る、十分に睡眠をとり、早起きすることを第一の要訣としている。自然のリズムを壊さぬようにすべきであろう。
 早く眠れば、睡眠もそれだけ深いはずである。その証拠に、夢をあまり見なくなるだろう。俗に、夢は「五臓六腑の疲れ」などといわれるから、早く寝るようになったお陰で、内臓の機能も生き生きしてくるはずである。ともかく、よく眠れるようになることは事実で、寝つきもよくなる。枕に頭をつけると、たちまち眠りの深淵にグングン引き込まれてしまうだろう。
 こうして熟睡した時、肉体全体が組織も器官も、機能も一致する。この時が生命、生活上には重要な問題、重大な時である。
 上手に熟睡すれば、たとえ眠る時間は少なくても、この間に体は安らぐ。眠りの中でエネルギーが作られる。バッテリーの充電ができるように、宇宙の生命エネルギーが肉体の中にみなぎる、到来するのである。眠りの中に体力、気力が作られるのである。
 この力のない人は、耐久力がない、病気にかかりやすい、身も心も健全でない。熟睡できる人は、弱そうでも強い。確かな人、善良な人、賢明な人たり得るのである。
 眠りは、絶対世界と相対世界を結ぶ第一の機会である。生かされ生きている、他力と自力を結ぶ素晴らしい方法である。
 眠りという自然作用は、今日一日の疲れを明日のエネルギーに切り替えられる。今日一日、命を懸けて一生懸命働くがよい。愚かな人も賢明になる。弱い人も丈夫になる。眠りの中においては、足らざるものが補われてくる。病人は病気が治る。愚かな人には知恵が出る。疲れた体には新しいエネルギーを与えて、翌日に備える。
●楽しい眠気に乗じて休む
 編集子が説く早寝をするということは、眠くなった潮時に乗じて寝るという意味でもある。そこで、正眠法の第二の要諦は、眠くなったら寝るということにある。
 人間誰もがせっかくの寿命を全うするには、眠くなったら寝るという原則に目覚めて、夜は早寝を心掛けるべきである。すでに述べたように、睡眠にも適当の時がある。入眠時間の最良は八時、次が十時、限度は十二時。時をはずした眠りは正眠とならない。
 夜は仕事をしないで体を休め、宇宙天地大自然に生かされているという自然の順序に任せて生きれば、誰でも、日が暮れたという宇宙の構造、仕組みからいえば、眠気を催すのが当然である。そうしたことに慣れると、非常に眠気を催してくるものである。
 眠気というものは、とてもよい気持ちで楽しいもの。眠くなった時にそのまま寝たら、どれだけよい気持ちかしれない。誰もそれは体験ずみであろう。
 床の中に入ってきちんと寝るのは、無論楽しみだけれども、眠くなったらそのままそこへ無造作にゴロリと寝る。それ以上の楽しいことはないだろう。
 また、居眠りというのも、案外楽しいものである。人間の楽しさというものは、意外とそんなところにあるものである。真の楽しさ、無上最高の楽しさ、一番楽しいというものは、そういうところにあるのである。
 ともかくも、心身の健康を保つためには、夜は眠気がきたら、その眠気がゆきすぎないうちに、その眠気に乗って眠るということに理がある。これは、宇宙からのお誘いであると考えなければならない。
 人間が自分の努力で性格の悪いのを直そうとしても駄目だし、精神的な悩みや苦しみ、つまらない気持ちを転換しようとしても、そう簡単に自分で自分の気分を転換することは難しい。
 しかし、その時に眠ることができたら、いっぺんに気分は転換する。だから、眠れないという人は、一番気の毒である。
 この眠くなったら寝ろということは、何でもないことのようであるが、潮時に寝て、十分に睡眠のとれた翌日には、実によく肉体の神経が働くのである。
 神経は大変な力を発揮するものであるが、神経の力ということを誰も知らないし、気がつかない。
 眠っているうちに、今日働いた疲れが明日のエネルギーに切り替わるということも、神経の働きによって見事に行われるものである。これが人間を成長、発展させる原動力であり、条件なのである。
 寝ている間に細胞が調整される。新しい活動力、エネルギーをいっぱいによみがえらせるということは、眠くなったら寝るという条件によってのみなされる。
 人間は、眠りが足りておりさえすれば、食べ物は何でもよい。「あれを食べよ、これがいい」などということは、二次的な問題である。季節の物を食べてさえいれば、人間の体は健康にならざるを得ないように、完全にできているものである。
●夜遊びは神経を損なうもと
 十分に眠れて体がすっきりしている人、神経が落ち着いてしっかり働く状態にある人は、五官がはっきりして、すべての物事が正確に受け取れる。
 このような人は、その体がそのまま他力を受けることができるから、他力の力で自己の意識、すなわち心と称するものの動揺、暴走を抑えて、静寂ならしめることができるのである。すなわち、他力によって、暴れやすい自己意識をくぎづけにすることができるということを知っておいてもらいたい。
 意識が暴れると、その結果、五官が乱れる。自己意識が強くて、欲望や感情に走ると、人間の五官作用というものは、正確に働かなくなるのである。
 人間の自己意識というものは、常に満足することがない。一つのことに満足すれば、すぐにまた次の欲望、野心を起こす。要らざること、間違ったことを次から次へと求めに求めて、果てしがないのである。人間の意識には果てもなく、道も法もない。
 毎日がつまらないから楽しさを求め、刺激を求め、夜遊びに興じるなどと、いろいろなことをしたがるが、それらがみな肉体を弱め、神経に負担をかけているのである。結局は、自己の運を悪くするのみである。
 神経がこの負担に耐え切れなくなると、それぞれの臓器に影響してくるようになる。精神的な面からの肉体への圧迫も、みな体に変化を起こしてしまうものである。人間が生きている以上は、どんな人にも多少の圧力はあるけれども、特に心からくる圧力の強い人は、人一倍、自己の圧力によって苦しみ、悩まされるものである。
 しかし、その圧力も、太陽が沈んだ後は、少し低くなる。
 昼間はブラブラしている人が、夜ともなれば自己の圧力が下火になって、いくらか気が楽になるために、意識がはっきりとして、いろいろな遊びを求めて歩くということになる。眠らねばならない時間に遊び歩く人の神経が、どれほど疲労するかは、想像以上のものがある。そして、明くる日はまたボンヤリしてしまう。
 こういう生活習慣を持つ人の人生は、毎日、圧力や感情に支配されて、常にイライラ、そわそわした、動揺常なき状態になってしまうものである。
 人間の肉体は、暑さや寒さ、昼と夜というように、気象的な条件にも影響されるが、物理的な面からも影響を受けている。その上に、感情や意識が体を責めさいなむのであるから、たまったものではない。
 従って、人間の一生というものは、知識があるとか、頭がいいとかいう問題とは別に、また、金力や権力を持っているという幸せとは別に、幸福への条件があるということをよく知って、計算に入れておかないと、それがやがて個人ばかりでなく、社会的な幸、不幸にも広がってゆくものである。
 ようやく社会的に価値を認められ、名を成した人が、もろくも五十歳、六十歳で死んでゆくなどという悲惨な結果になってしまうのは、この人生の計算不足のゆえである。
●睡眠中に浄化される老廃物
 物に恵まれた地位や立場が欲しいなどという意識的欲求は、誰でも実に根強いものがある。借金してまで遊びたいという欲望などは、次から次へと苦しみを作っていくばかりである。すべて、こういうことは意識がするのである。これが癖になると、なかなか直らないものである。
 一カ月や二カ月で作り上げた、こうした習慣を元に戻すために、一年も二年も時間がかかる。また、癖になってしまったら一生直らないという場合もあるから、恐ろしいことである。
 本当に自分を知り、自分を生かしていくためには、このことをしっかりと認識して、人生の計算をするべきである。
 それにはどうしたらいいか。眠くなったら寝よ。十分に休め。ただそれだけでいいのである。理屈をいわずに「なるほどそうか」と、素直な気持ちで実行すれば、必ず効果があるはずである。
 眠くなったら寝よ、早く寝よ、十分に寝よ。それが人間をつくり、維持するすべての基礎なのである。
 意識と体が一つになって、これを実行すれば、自分の幸せはもちろんのこと、その人には人がついてくるものだ。
 これをやるかやらないかは、聞く人の自由であるが、その差が大変な違いを作り出すのである。
 水をかぶれとか、断食をせよ、などというのではない。道徳、倫理を守れというのでもない。神や仏を信仰せよともいわない。いろいろな形式に従って、精神修養をせよというのでもない。
 この人間の第一課、第一の条件、この基礎が実行できたら、真理の話は素直に受け取れるものである。
 体は丈夫でも、神経が弱くなってしまうと、本当の力を発揮することができない。人間として与えられている力をフルに出すことができない。これは、体の機能の順序が狂っているからである。
 現代人は、意識を最高のものとして、精神至上主義などといっているが、その根底に肝心の肉体の力がないために、精神力も意識も、その能力を十分に発揮することができないのである。肉体の力が弱いということは、すべての基盤がもろいということである。
 しかし、力といっても、この場合、圧力や感情のみを使うような自力の働きでは、どうにもならないのである。
 現代人は、子供の時から、あまりにも早く意識を作りすぎており、自然から成り立ってくる力を無視してしまうから、本当の健康者が少ない。健康そうに見えても、本当に健康でないために、水とか食べ物などからの有害な影響をつい受けてしまう人が多いのである。
 睡眠時間を八時間とれば、神経が完全に働くから、体内の老廃物をそれぞれの場から体の外へ排出してくれるものである。呼吸からも、皮膚からも、気体として発散してしまうし、また尿にして排出する。朝の目覚めの時の尿には、色がついているのもこのためである。
 どんな健康な者でも、睡眠中に作られる小水には色がついていて当たり前。寝ている間に、自然の働きが、そうした素晴らしい浄化をしてくれるからである。神経を使いすぎた場合にも、尿に色がつく。病気で熱が出た時にも、色は違うものである。
 尿の色の具合で体の状態がわかるほどに、人間の体というものはうまくできている。これを完全、精密に検査することができれば、内臓の状態がわかるものである。それを本当に検査する方法ができれば、それだけで人間の健康状態はよくわかるはずである。
 人間の体の機能は、素晴らしい値打ちを持っているものである。そして、生かされているという条件の上に、成り立っている生命が人間である。体の器官、機能は、実に巧妙に働くようにできている。
 この働きをいかに故障なく運行せしめるかということが、生きていく面のすべてにかかってくるのである。
 生きていくことは、難しいことではない。眠りと呼吸を真理的に行い、暑さ、寒さに順応してゆきさえすれば、年を取ってもその働きが弱るということはない。




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