■眠りの知恵7 [眠りの知恵]
昼寝、仮眠、うたた寝の再認識
●「気」の充電は夜に行われる
ここまで述べてきた睡眠というものは、「気」を肉体に吸収するという観点からも重要である。
その意味でも、夜は十分に眠ることである。自然に任せて眠ると、肉体が眠っている間に、宇宙の「気」を吸収することができる。宇宙ドックに身を横たえて、眠りの中から宇宙の「気」を十分に体に受けるのである。
この「気」を吸収するという時は、夜の大気によって肉体が吸収するものであり、昼間の太陽が出ている時には、「気」を吸収はしているけれども、絶対の「気」ではなく、調節しようとしている「気」なのである。
逆に、夜というものは内容的な面の一切、「気」を充実させる「気」というものを蓄える。要するに、バッテリーに充電させているようなもので、昼間はそうはいかないものなのである。
昼間も大切であるが、いかに夜が大切であるかということであり、それにしてはあまりにも、人間が夜というものに関心が薄すぎるというのは、重大なことである。
夜は、眠っていて自己意識を伏せているから、特に「気」を吸収することが自然に、楽にできるわけだ。
夜の「気」というものは、たとえ風があろうが、鉄筋の蔵の中であろうが、それは宇宙的な「気」であるから、別に窓を開けておくからいい「気」がくるというものではない。 夜のいい「気」の中においては、万物が完全に法則、原理に従って宇宙秩序、すなわち生命の生理的秩序に合わせて眠るのである。
夕方、太陽が沈むとともに、地球上の「気」は変わってしまう。一日のうち、日の出と日の入りは「気」の変わり目、正午と夜中の零時にも境目がある。昼には昼、夜には夜の「気」があり、互いに異なる。空気の働きも違う。
人間の肉体も、昼と夜とではまるで別物のように変わる。肉体は数え切れないほど多くの微小な細胞からなっているが、昼と夜とではその細胞のおのおのの働きが変わるからである。そのそもそもの原因は、これも「気」にある。
肉体が変われば、その中に含まれるあらゆるものが変わる。目に見えるものも、見えないものも。神経も変わり、感覚も変わる。従って、昼と夜とでは人間の生き方も変わってくる。生き方というよりは、生かされ方といったほうが適切かもしれない。
人間は夜の「気」に合わせて眠ることをせず、こうこうと電灯をつけ、夜まで昼の延長をやっているから、昼夜兼行で自らの命を燃やし切ってしまうのである。そして、病気になり、早死にする。あるいは、体の自然作用が狂って、健全に働かないから、年を取ると、ボケてしまうのである。
よく眠ることが万事の根本である。眠りの足りない人は、気息が整わず、基礎工事のあやふやな建設と同じで、浮世の波風に耐えられぬこととなる。
人間は一日にたとえ八時間であっても、起きて、動いたり、働いたりしていれば疲れるに決まっている。疲れない体というものは一つもない。子供でさえも、動けばくたびれるに決まっている。
そのように、体というものは動いたり、働いたりして、疲れているわけだから、その疲れをいやして早く力にしなければならない。
その疲れをいやし、力にしてくれるのは意識ではない。それは、夜の「気」というものが、今日の疲れを明日の力にしてくれるものなのである。
また、人間は「気」の発動によって行動するから、気が乗れば気合が入って、五体にも「気」がみなぎってくるが、気落ちすると、気がくじけたり、めいったりして、万事に気後れしてしまう。毎日の生活の中で、四六時中「気」は働いているから、あまり気を使いすぎると、消耗して疲れるし、肝心の時に気が散って失敗するものである。
「気」を入れ替え、気力を充実させるためにも、夜はできるだけ早く寝て、「気」を養うことに努めよう。せっかくの休日に遊びほうけて、疲れ果てるなどは、愚の骨頂である。
「気」の乱れを静め、平静を取り戻すにも、眠ることが何よりの方法である。困ったことがあってもクヨクヨせずに、まず一眠りすることだ。「果報は寝て待て」といわれるように、十分に眠れば判断力も増し、勘もさえて、道はおのずから開けてくる。
反対に、眠りをおろそかにしている人は、朝起きても気分がさわやかでなく、「気」によって生命力を躍動させることができない。眠気や疲れが肉体の中に残っていると、新しい「気」が入ってこないから、「気」はますます濁り、意気消沈してしまうことになる。
●健康にとって睡眠に勝る妙薬はなし
風邪を絶対ひかぬ秘訣は、毎日早く寝て十分な睡眠をとって、肉体に「気」を充実させておくこと。風邪をひくというのは、体の中の「気」が張り詰めてなく、寒い風や、ばい菌を引き込むからで、体内に生気が充実していれば、風邪をひくことも病気になることもない。
肺結核の病院の医師や看護士は、何十年も患者と生活を共にしながら、病気に侵されることはない。
それでも風邪ひきらしいと感じたら、早めに寝て、十分眠ること。眠れさえすれば一晩でケロリと治るだろう。
このように睡眠が疲労をいやし、新たな活力の源となることは、私がここで改めていわずとも、誰でも経験的に知っている。例えば、風邪をひき、医者に診察してもらった場合、決まって「今晩は薬を飲んで、早めに休むことですね」とアドバイスされるはずである。
風邪を早く治すには、風邪薬を飲むのと同様、十分な睡眠が必要である。また、いくら薬を飲んだからといって、睡眠不足では軽い風邪も治らない。
睡眠は疲労を回復し、ひいては風邪を治す作用を有することは、生理学的にも証明されている。人間の体は、病気に対する自然の免疫力と、治癒力を備えているのである。その免疫力と治癒力は、睡眠中に作られる。病人で十分睡眠がとれる場合と、とれない場合とでは、回復に差異が生じるのはそのためである。
日本には、昔から「早起きは三文の得」といって、早起きを奨励する気風があった。その反面、睡眠は何ももたらさない非生産的な行為のように思われがちである。
しかし、それは誤解であり、人の睡眠は「気」を充実して疲労を回復し、病気を治すのである。
眠りは万病の薬、体を寝床の上に投げ出して、生かされているという気持ちになり、すべてを宇宙生命の絶対力に任せ切れば、風邪ひきを機会に体を丈夫にし、人生観が一変し、悟りの開けるもとにもなる。禍福転換、常に真理の妙用を忘れてはならない。
●眠りは子供の「気」を養う
睡眠に関することわざで、「早起きは三文の得」とともに、よく使われるものに「寝る子は育つ」がある。
親の我が子に対する行き届いた管理は必要だが、独りで育つ子供のじゃまをしないで、よく見守って、十分に眠らせること。特に、子供は早く寝かすがよい。年齢にもよるが七時結構、八時以後では遅すぎる。
子供も大人も早く寝ることによって、体の中に「気」の力が作られてゆく。その中から機能が発達してくる。その機能の中から、また能力が芽生えてゆくのである。そこへ必要なものを時に従って仕込んでゆきさえすれば、子供の体の中には、いくらでも力が出てくるのである。その力は成長という時期にあるだけに、なおさら素晴らしいのである。
例えば、子供は全く純真であり、純粋であるから、ごはんを食べている間でも、眠くなるとハシを持ったまま、すぐにそこへ横になってしまう。それを起こしてはいけない。「ごはんを食べなさい」と、無理に食べさせるようなことは、絶対にしてはいけない。
ごはんを食べることよりも、眠ることのほうが先であり、自然の原理であるから、それに従ったほうが利益は大きい。そのまま床に寝かせるなり、風邪をひかないように布団を掛けてやればよい。
肉体のすべてが、完全に自然機能を発し、生涯百年の生命、百年の魂が用意できるまで、子供の自然発動に親が干渉してはならない。
子供が自然に育ってゆく有り様をよく見ていると、特に新生児の場合は毎日、安らかに眠る。この眠りというものが、新生児にとって一番大切なものである。この眠りの中で、一生の「気」を養っているのである。
新生児は、眠りの中では「気」を養っているが、目覚めの時には、何がだんだん意味されてゆくのか、わかってゆくのか、自然だけが知っていることである。親も知らない。科学の力でもまだわからない。親の気持ちで、親の判断で、親の一方的な考えで子供を育ててはならない。子供は自然が育てているのだから。
自然が育てるということは、宇宙の生命を生命として生きる、ということである。宇宙の生命とは、宇宙の意思であり、法則であり、約束である。それを能力ということができる。この宇宙の能力のもとに、子供は生かされているのである。
宇宙の能力の中心をなすものは、「気」である。「気」は空気の気とは区別する。「気」は人間の体に宿って気力となる。この気力がなかったら、肉体はヘナヘナとなえてしまうというほどのものである。
特に、乳児の体は、宇宙の「気」を吸収しやすくなっているから、この時期は、静かにしておいてやるのが一番である。なるべく静かな場所に寝かせておけば、子供の体は常に健康に守られて育つ。「寝る子は育つ」という通り、寝ている間は成長ホルモンの分泌も盛んになっている。
親は、子供が泣いたら、その泣き声で、「これはおなかがすいたのだな」とか、「おむつがぬれたのだな」とか、その原因を聞き分け、見分けて適宜、対処するだけでよい。
親が乳児をあまりチヤホヤしすぎると、子供の神経は、いやがうえにも高ぶってくる。なぜなら、子供の神経系統は、口がきけないだけに、大変敏感な状態に置かれているからである。乳児を抱いて揺すぶることは、やたらに神経を刺激することになり、夜泣きの原因ともなる。
乳児を寝かせるには、昼間は直射日光を避ける程度で、明るいところがよい。夜は暗いのが当然なのだから、テレビの音や電灯の光などの刺激に、いつまでもさらしておかないで、暗くして寝かせるべきである。
昼間眠る乳児のために、眠りやすいようにと、わざわざカーテンで光を遮って部屋を暗くしてやる母親がいるが、これは間違いである。昼間は明るいところに寝かせておけばよい。
こういうことをはっきりさせておくところに、自然な育て方のコツがある。自然の状態の中で、体の細胞組織が組織化され、神経の働きが健全化されてくるのである。
●睡眠法の工夫について
乳児を寝かせるコツに続いては、大人自身がよく眠れる工夫を述べてみよう。
眠る時は、夕日の落ち込むように、疲れたままの体を眠る「気」に任せて、さっさと寝ると、ぐっすり眠れる。これが熟睡の秘訣である。
論より証拠、必ず一度は訪れるはずの、眠くなる自然感覚の潮時に早く眠れば、熟睡ができ、宇宙ドックの中の八時間に、生命は一新する。
また、眠るために床に就いたら、姿勢を楽にして、全身の筋肉の緊張をゆるめるがよい。真の落ち着きというものは、心や意識からではなく、肉体をくつろがせることによって生まれるものである。
せわしなく呼吸することもやめ、吸った息を足のつま先に回すようなつもりで、深い呼吸運動を繰り返す。その状態を続けていると、いつしかコンチュニアム(連続体)が自己の中に没入し、一体となったことが知覚される。
マイステル・エックハルトのいうイスチヒカイト(如実)の境地であり、半意識の中で天地万有と自己が一体となる。
そして、眠りに落ちる時には、自然に口を閉じるがよい。「養生訓」にも、「口をひらきてねむれば、真気を失ふ」とある。
しかしながら、高齢者にとっては、春は眠くなるといっても必ずしも眠りは深くならないように、深い眠りを得るためには、もう一工夫したいものである。
そこで、健康敷布、健康掛け布とでも名づけようか、木綿製の寝具を作って、真っ裸で寝ることを奨励したい。雪国の人は冬でも素っ裸で寝るが、それは自然の知恵で、そのほうが暖かくもあり、自分の体から出る放射熱で温まるという。それは、地球上における放射熱によって万物が健全に成長、繁茂し、あるいは発展する、宇宙の理と利にかなったことなのである。
四季を通じて、敷布、掛け布はできれば毎日でも、日光や風にさらして、体温や湿気を除く。洗濯も頻繁にして、なるべく衛生的に保つようにしたい。その中で裸で寝る味は、まことによきものである。
夏の寝床では、厚地のタオルケット一枚で、涼しく、温かく眠れるだろう。これは空気を着て寝る方法で、生理的にして合理的、よき方法だと思う。
枕(まくら)については、パンヤやソバガラなど、中に入れる材質にはいろいろあるが、最近は自然志向に沿って、枕の中に植物や、その芳香を入れるのが目につくから、一度利用してみるのもいいだろう。芳香枕カバーや芳香シーツもあるという。
実験によっても、芳香物質を入れた枕などを使うと、指先などの末しょう部分の温度が使用しない場合より高くなり、神経系がより鎮静化していることがわかった。芳香が睡眠に有効なことが確かめられているのである。
静か、あまり明るくない、温かい布団といった環境に、もう一つ、枕も工夫して、気分のよい睡眠をとり、心と身体の健康を高めよう。
老人になると、小用が近くなるから、寝床のそばへ小用のタンクを備えておくことも忘れずに。
●ごろ寝や昼寝を見直すべし
最後に、夜の眠りばかりでなく、日中の昼寝、うたた寝、ごろ寝などの効用を述べて、「眠りの知恵」を締めくくる。
例えば、休日のごろ寝は一番貧しい過ごし方とされているが、これは必要な睡眠しかとらない人には味わえない快楽。体もリフレッシュされるし、単なる怠惰ではない。
電車の中での一眠りも捨てがたい。電車内で居眠りできるのは、日本社会が全体として安全であることが大きく、豊かな文化といえる。
反面、外国にはある昼寝という習慣が制度化されていないから、日本人は自分で眠りを見つけているともいえる。日本では、夜眠ることが自明の理となっているが、人間はもともと、一日に何度か眠る多相性睡眠の傾向がある。世界的に見れば、昼寝をしないのは先進国の一部で、熱帯や地中海の地方など、昼寝をする国のほうがずっと多いともいう。だが、ペルーやスペインでも、シエスタ(昼寝)の習慣は廃れつつあるようだ。
この昼寝を医学的に見ると、十五分ぐらいの短い昼寝が意外に効果的なのは、すでに実証されているところである。
昼寝の効用を調べたある調査によると、十五分間の仮眠後、眠気の度合いや、刺激に対する反応時間を測って、寝る前と比較すると、眠気は約十五パーセント、反応時間は約二十パーセントも改善されていた。
十五分以上の眠りは、深い眠りに導く。深い眠りから急に起こされると、しばらくボーッとして作業能力が低下したり、事故率が上がるという。
また、短時間の仮眠が、タクシー運転手の疲労回復や、事務職の能率向上に有効との別の研究結果も出ている。機械は連続して動かしていたほうが効率がいいが、人間の脳は時々休ませたほうが能率が上がる。短時間眠ったほうが、ダラダラ仕事を続けているよりも、能率は圧倒的に改善されるのである。
昼寝、仮眠、うたた寝は罪悪ではない。脳の疲れをとってくれるし、大切な行為なわけである。
仕事をしている時は左脳を使うが、寝ている時には右脳の働きが相対的に活発になるもの。ウトウトしている状態などは、レム睡眠ではないのだが、夢と同じようなものを見る。ウトウトすると、右脳より先に左脳が休んでしまうからである。こうして右脳を使うと、直観、ひらめきが出てくることもある。
考えあぐねて壁にぶつかった時は、意識的にウトウトして、右脳で発想の転換をするのも一つの方法である。寝た後は、いい企画が浮かびやすいから、企業はもっと仮眠室を設けるべきではないだろうか。
果報を得んとする者は、まず体を投げ出して寝、自然に湧いてくる力の発動を待てということである。
企業に勤める人ばかりでなく、誰もが眠気を催したら、昼間でもそこへゴロリと寝る癖をつけること。十分間、十五分間の眠りでもすっきり頭がさえ、はっきり体が澄んで元気になる。勉強中でも家事中でも、居眠りするより寝るがよい。体には睡眠以上の妙薬はない。
●「気」の充電は夜に行われる
ここまで述べてきた睡眠というものは、「気」を肉体に吸収するという観点からも重要である。
その意味でも、夜は十分に眠ることである。自然に任せて眠ると、肉体が眠っている間に、宇宙の「気」を吸収することができる。宇宙ドックに身を横たえて、眠りの中から宇宙の「気」を十分に体に受けるのである。
この「気」を吸収するという時は、夜の大気によって肉体が吸収するものであり、昼間の太陽が出ている時には、「気」を吸収はしているけれども、絶対の「気」ではなく、調節しようとしている「気」なのである。
逆に、夜というものは内容的な面の一切、「気」を充実させる「気」というものを蓄える。要するに、バッテリーに充電させているようなもので、昼間はそうはいかないものなのである。
昼間も大切であるが、いかに夜が大切であるかということであり、それにしてはあまりにも、人間が夜というものに関心が薄すぎるというのは、重大なことである。
夜は、眠っていて自己意識を伏せているから、特に「気」を吸収することが自然に、楽にできるわけだ。
夜の「気」というものは、たとえ風があろうが、鉄筋の蔵の中であろうが、それは宇宙的な「気」であるから、別に窓を開けておくからいい「気」がくるというものではない。 夜のいい「気」の中においては、万物が完全に法則、原理に従って宇宙秩序、すなわち生命の生理的秩序に合わせて眠るのである。
夕方、太陽が沈むとともに、地球上の「気」は変わってしまう。一日のうち、日の出と日の入りは「気」の変わり目、正午と夜中の零時にも境目がある。昼には昼、夜には夜の「気」があり、互いに異なる。空気の働きも違う。
人間の肉体も、昼と夜とではまるで別物のように変わる。肉体は数え切れないほど多くの微小な細胞からなっているが、昼と夜とではその細胞のおのおのの働きが変わるからである。そのそもそもの原因は、これも「気」にある。
肉体が変われば、その中に含まれるあらゆるものが変わる。目に見えるものも、見えないものも。神経も変わり、感覚も変わる。従って、昼と夜とでは人間の生き方も変わってくる。生き方というよりは、生かされ方といったほうが適切かもしれない。
人間は夜の「気」に合わせて眠ることをせず、こうこうと電灯をつけ、夜まで昼の延長をやっているから、昼夜兼行で自らの命を燃やし切ってしまうのである。そして、病気になり、早死にする。あるいは、体の自然作用が狂って、健全に働かないから、年を取ると、ボケてしまうのである。
よく眠ることが万事の根本である。眠りの足りない人は、気息が整わず、基礎工事のあやふやな建設と同じで、浮世の波風に耐えられぬこととなる。
人間は一日にたとえ八時間であっても、起きて、動いたり、働いたりしていれば疲れるに決まっている。疲れない体というものは一つもない。子供でさえも、動けばくたびれるに決まっている。
そのように、体というものは動いたり、働いたりして、疲れているわけだから、その疲れをいやして早く力にしなければならない。
その疲れをいやし、力にしてくれるのは意識ではない。それは、夜の「気」というものが、今日の疲れを明日の力にしてくれるものなのである。
また、人間は「気」の発動によって行動するから、気が乗れば気合が入って、五体にも「気」がみなぎってくるが、気落ちすると、気がくじけたり、めいったりして、万事に気後れしてしまう。毎日の生活の中で、四六時中「気」は働いているから、あまり気を使いすぎると、消耗して疲れるし、肝心の時に気が散って失敗するものである。
「気」を入れ替え、気力を充実させるためにも、夜はできるだけ早く寝て、「気」を養うことに努めよう。せっかくの休日に遊びほうけて、疲れ果てるなどは、愚の骨頂である。
「気」の乱れを静め、平静を取り戻すにも、眠ることが何よりの方法である。困ったことがあってもクヨクヨせずに、まず一眠りすることだ。「果報は寝て待て」といわれるように、十分に眠れば判断力も増し、勘もさえて、道はおのずから開けてくる。
反対に、眠りをおろそかにしている人は、朝起きても気分がさわやかでなく、「気」によって生命力を躍動させることができない。眠気や疲れが肉体の中に残っていると、新しい「気」が入ってこないから、「気」はますます濁り、意気消沈してしまうことになる。
●健康にとって睡眠に勝る妙薬はなし
風邪を絶対ひかぬ秘訣は、毎日早く寝て十分な睡眠をとって、肉体に「気」を充実させておくこと。風邪をひくというのは、体の中の「気」が張り詰めてなく、寒い風や、ばい菌を引き込むからで、体内に生気が充実していれば、風邪をひくことも病気になることもない。
肺結核の病院の医師や看護士は、何十年も患者と生活を共にしながら、病気に侵されることはない。
それでも風邪ひきらしいと感じたら、早めに寝て、十分眠ること。眠れさえすれば一晩でケロリと治るだろう。
このように睡眠が疲労をいやし、新たな活力の源となることは、私がここで改めていわずとも、誰でも経験的に知っている。例えば、風邪をひき、医者に診察してもらった場合、決まって「今晩は薬を飲んで、早めに休むことですね」とアドバイスされるはずである。
風邪を早く治すには、風邪薬を飲むのと同様、十分な睡眠が必要である。また、いくら薬を飲んだからといって、睡眠不足では軽い風邪も治らない。
睡眠は疲労を回復し、ひいては風邪を治す作用を有することは、生理学的にも証明されている。人間の体は、病気に対する自然の免疫力と、治癒力を備えているのである。その免疫力と治癒力は、睡眠中に作られる。病人で十分睡眠がとれる場合と、とれない場合とでは、回復に差異が生じるのはそのためである。
日本には、昔から「早起きは三文の得」といって、早起きを奨励する気風があった。その反面、睡眠は何ももたらさない非生産的な行為のように思われがちである。
しかし、それは誤解であり、人の睡眠は「気」を充実して疲労を回復し、病気を治すのである。
眠りは万病の薬、体を寝床の上に投げ出して、生かされているという気持ちになり、すべてを宇宙生命の絶対力に任せ切れば、風邪ひきを機会に体を丈夫にし、人生観が一変し、悟りの開けるもとにもなる。禍福転換、常に真理の妙用を忘れてはならない。
●眠りは子供の「気」を養う
睡眠に関することわざで、「早起きは三文の得」とともに、よく使われるものに「寝る子は育つ」がある。
親の我が子に対する行き届いた管理は必要だが、独りで育つ子供のじゃまをしないで、よく見守って、十分に眠らせること。特に、子供は早く寝かすがよい。年齢にもよるが七時結構、八時以後では遅すぎる。
子供も大人も早く寝ることによって、体の中に「気」の力が作られてゆく。その中から機能が発達してくる。その機能の中から、また能力が芽生えてゆくのである。そこへ必要なものを時に従って仕込んでゆきさえすれば、子供の体の中には、いくらでも力が出てくるのである。その力は成長という時期にあるだけに、なおさら素晴らしいのである。
例えば、子供は全く純真であり、純粋であるから、ごはんを食べている間でも、眠くなるとハシを持ったまま、すぐにそこへ横になってしまう。それを起こしてはいけない。「ごはんを食べなさい」と、無理に食べさせるようなことは、絶対にしてはいけない。
ごはんを食べることよりも、眠ることのほうが先であり、自然の原理であるから、それに従ったほうが利益は大きい。そのまま床に寝かせるなり、風邪をひかないように布団を掛けてやればよい。
肉体のすべてが、完全に自然機能を発し、生涯百年の生命、百年の魂が用意できるまで、子供の自然発動に親が干渉してはならない。
子供が自然に育ってゆく有り様をよく見ていると、特に新生児の場合は毎日、安らかに眠る。この眠りというものが、新生児にとって一番大切なものである。この眠りの中で、一生の「気」を養っているのである。
新生児は、眠りの中では「気」を養っているが、目覚めの時には、何がだんだん意味されてゆくのか、わかってゆくのか、自然だけが知っていることである。親も知らない。科学の力でもまだわからない。親の気持ちで、親の判断で、親の一方的な考えで子供を育ててはならない。子供は自然が育てているのだから。
自然が育てるということは、宇宙の生命を生命として生きる、ということである。宇宙の生命とは、宇宙の意思であり、法則であり、約束である。それを能力ということができる。この宇宙の能力のもとに、子供は生かされているのである。
宇宙の能力の中心をなすものは、「気」である。「気」は空気の気とは区別する。「気」は人間の体に宿って気力となる。この気力がなかったら、肉体はヘナヘナとなえてしまうというほどのものである。
特に、乳児の体は、宇宙の「気」を吸収しやすくなっているから、この時期は、静かにしておいてやるのが一番である。なるべく静かな場所に寝かせておけば、子供の体は常に健康に守られて育つ。「寝る子は育つ」という通り、寝ている間は成長ホルモンの分泌も盛んになっている。
親は、子供が泣いたら、その泣き声で、「これはおなかがすいたのだな」とか、「おむつがぬれたのだな」とか、その原因を聞き分け、見分けて適宜、対処するだけでよい。
親が乳児をあまりチヤホヤしすぎると、子供の神経は、いやがうえにも高ぶってくる。なぜなら、子供の神経系統は、口がきけないだけに、大変敏感な状態に置かれているからである。乳児を抱いて揺すぶることは、やたらに神経を刺激することになり、夜泣きの原因ともなる。
乳児を寝かせるには、昼間は直射日光を避ける程度で、明るいところがよい。夜は暗いのが当然なのだから、テレビの音や電灯の光などの刺激に、いつまでもさらしておかないで、暗くして寝かせるべきである。
昼間眠る乳児のために、眠りやすいようにと、わざわざカーテンで光を遮って部屋を暗くしてやる母親がいるが、これは間違いである。昼間は明るいところに寝かせておけばよい。
こういうことをはっきりさせておくところに、自然な育て方のコツがある。自然の状態の中で、体の細胞組織が組織化され、神経の働きが健全化されてくるのである。
●睡眠法の工夫について
乳児を寝かせるコツに続いては、大人自身がよく眠れる工夫を述べてみよう。
眠る時は、夕日の落ち込むように、疲れたままの体を眠る「気」に任せて、さっさと寝ると、ぐっすり眠れる。これが熟睡の秘訣である。
論より証拠、必ず一度は訪れるはずの、眠くなる自然感覚の潮時に早く眠れば、熟睡ができ、宇宙ドックの中の八時間に、生命は一新する。
また、眠るために床に就いたら、姿勢を楽にして、全身の筋肉の緊張をゆるめるがよい。真の落ち着きというものは、心や意識からではなく、肉体をくつろがせることによって生まれるものである。
せわしなく呼吸することもやめ、吸った息を足のつま先に回すようなつもりで、深い呼吸運動を繰り返す。その状態を続けていると、いつしかコンチュニアム(連続体)が自己の中に没入し、一体となったことが知覚される。
マイステル・エックハルトのいうイスチヒカイト(如実)の境地であり、半意識の中で天地万有と自己が一体となる。
そして、眠りに落ちる時には、自然に口を閉じるがよい。「養生訓」にも、「口をひらきてねむれば、真気を失ふ」とある。
しかしながら、高齢者にとっては、春は眠くなるといっても必ずしも眠りは深くならないように、深い眠りを得るためには、もう一工夫したいものである。
そこで、健康敷布、健康掛け布とでも名づけようか、木綿製の寝具を作って、真っ裸で寝ることを奨励したい。雪国の人は冬でも素っ裸で寝るが、それは自然の知恵で、そのほうが暖かくもあり、自分の体から出る放射熱で温まるという。それは、地球上における放射熱によって万物が健全に成長、繁茂し、あるいは発展する、宇宙の理と利にかなったことなのである。
四季を通じて、敷布、掛け布はできれば毎日でも、日光や風にさらして、体温や湿気を除く。洗濯も頻繁にして、なるべく衛生的に保つようにしたい。その中で裸で寝る味は、まことによきものである。
夏の寝床では、厚地のタオルケット一枚で、涼しく、温かく眠れるだろう。これは空気を着て寝る方法で、生理的にして合理的、よき方法だと思う。
枕(まくら)については、パンヤやソバガラなど、中に入れる材質にはいろいろあるが、最近は自然志向に沿って、枕の中に植物や、その芳香を入れるのが目につくから、一度利用してみるのもいいだろう。芳香枕カバーや芳香シーツもあるという。
実験によっても、芳香物質を入れた枕などを使うと、指先などの末しょう部分の温度が使用しない場合より高くなり、神経系がより鎮静化していることがわかった。芳香が睡眠に有効なことが確かめられているのである。
静か、あまり明るくない、温かい布団といった環境に、もう一つ、枕も工夫して、気分のよい睡眠をとり、心と身体の健康を高めよう。
老人になると、小用が近くなるから、寝床のそばへ小用のタンクを備えておくことも忘れずに。
●ごろ寝や昼寝を見直すべし
最後に、夜の眠りばかりでなく、日中の昼寝、うたた寝、ごろ寝などの効用を述べて、「眠りの知恵」を締めくくる。
例えば、休日のごろ寝は一番貧しい過ごし方とされているが、これは必要な睡眠しかとらない人には味わえない快楽。体もリフレッシュされるし、単なる怠惰ではない。
電車の中での一眠りも捨てがたい。電車内で居眠りできるのは、日本社会が全体として安全であることが大きく、豊かな文化といえる。
反面、外国にはある昼寝という習慣が制度化されていないから、日本人は自分で眠りを見つけているともいえる。日本では、夜眠ることが自明の理となっているが、人間はもともと、一日に何度か眠る多相性睡眠の傾向がある。世界的に見れば、昼寝をしないのは先進国の一部で、熱帯や地中海の地方など、昼寝をする国のほうがずっと多いともいう。だが、ペルーやスペインでも、シエスタ(昼寝)の習慣は廃れつつあるようだ。
この昼寝を医学的に見ると、十五分ぐらいの短い昼寝が意外に効果的なのは、すでに実証されているところである。
昼寝の効用を調べたある調査によると、十五分間の仮眠後、眠気の度合いや、刺激に対する反応時間を測って、寝る前と比較すると、眠気は約十五パーセント、反応時間は約二十パーセントも改善されていた。
十五分以上の眠りは、深い眠りに導く。深い眠りから急に起こされると、しばらくボーッとして作業能力が低下したり、事故率が上がるという。
また、短時間の仮眠が、タクシー運転手の疲労回復や、事務職の能率向上に有効との別の研究結果も出ている。機械は連続して動かしていたほうが効率がいいが、人間の脳は時々休ませたほうが能率が上がる。短時間眠ったほうが、ダラダラ仕事を続けているよりも、能率は圧倒的に改善されるのである。
昼寝、仮眠、うたた寝は罪悪ではない。脳の疲れをとってくれるし、大切な行為なわけである。
仕事をしている時は左脳を使うが、寝ている時には右脳の働きが相対的に活発になるもの。ウトウトしている状態などは、レム睡眠ではないのだが、夢と同じようなものを見る。ウトウトすると、右脳より先に左脳が休んでしまうからである。こうして右脳を使うと、直観、ひらめきが出てくることもある。
考えあぐねて壁にぶつかった時は、意識的にウトウトして、右脳で発想の転換をするのも一つの方法である。寝た後は、いい企画が浮かびやすいから、企業はもっと仮眠室を設けるべきではないだろうか。
果報を得んとする者は、まず体を投げ出して寝、自然に湧いてくる力の発動を待てということである。
企業に勤める人ばかりでなく、誰もが眠気を催したら、昼間でもそこへゴロリと寝る癖をつけること。十分間、十五分間の眠りでもすっきり頭がさえ、はっきり体が澄んで元気になる。勉強中でも家事中でも、居眠りするより寝るがよい。体には睡眠以上の妙薬はない。
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