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■男の器量を磨く1 [男の器量を磨く]





[クリスマス]器量人とは「気」の量が多い人 
●人間の命の本体は宇宙に遍満する「気」
 私たち日本人は、日常の会話で、何気なく「気」という言葉を使っている。
 「よい天気だね」を始めとして、「大気」、「気候」、「寒気」、「元気」、「病気」、「病は気から」、「気宇壮大」、「雰囲気」、「気品」、「景気」、「平気」、「勇気」、「気持ち」、「気質」、「生気」、「香気」。あるいは、「人生が味気なくなった」、「気が滅入ってしようがない」、「あいつは、山気が多すぎる」。
 さらに、「気が早い」、「短気」、「気まぐれ」、「浮気」、「気心が知れない」、「気が晴れた」、「気分がいい」、「気分を出す」、「気の毒」、「気のせい」、「気に食わない」、「お気に入り」、「気のない返事」、「やる気がない」、「気後れ」、「気がもめる」、「気がきく」、「気勢を上げる」。
 「気」がつく言葉を全部挙げるには、相当な根気がいる。それほど、ちょっとした一日の会話の中に、「気」という言葉が限りなく使われているのである。
 あなたは、こんなに使われている「気」とはいったい何か、じっくり考えたことがあるだろうか。
 「気」というのは、大宇宙の生成、発展と、万物の発生、進化の根源であり、悠久なる太古から現在に至るまで宇宙天地大自然界に遍満し続けながら、万事万物を存在させているものである。
 私たち人間の肉体も、そのまま小宇宙、小天地であり、宇宙天地大自然と同じ「気」によって支配されているのである。
 すなわち、私たち人間は宇宙の「気」によって創られ、生かされ、生きている存在であり、はるかな昔の宇宙創造の根源であり、今も宇宙いっぱいに満ちみちている「気」そのものが、人間の命の本体ということである。
 生命は「気」であり、宇宙生命も、人間生命も同じ「気」である。人間の体は、「気」で生かされ、「気」で生きている。人間の肉体は、「気」を吸収し、「気」を発する。
 行き着くところ、その「気」を全身に充実するか、しないかで、人間の人生の成否は決定するといっても過言ではない。
 「気」は風と似ていて、見ることも、手に取ることもできないし、香りも味もないが、自らの生命を生かしている宇宙天地大自然の「気」に気づいて、「気」を土台として生きるということが、最も正しい人生のあり方ということになるだろう。
 「気」の充実した人と、「気」の抜けた人。全力を打ち込んで、やる「気」のある人と、やる「気」のない人。肉体に「気」があるか、「気」がないかで、人間の値打ちは大いに違ってくる。
 宇宙に遍満する「気」は、すべての根源であるとともに、人間の知・情・意の源泉なのである。私たちの心、精神、体など、「気」はすべてを包んでいる。「気」というものは、私たちの日常生活に密接な関係を持っているわけだ。
●「気」の量が多い人こそ器量人である
 「気」は宇宙天地の創造、生成の根源であり、風のように大自然の現象であるばかりでなく、私たちにも内在するものであるために、人間における「気」はより個性的なものとなる。
 個人、個人の「気」には、落ち込んだ「気」もあれば、やがては浮かれてくる「気」もある。「気が大きい、小さい」、「陽気、陰気」、「気が強い、弱い」、「気がきく、きかない」というように、大小、陰陽、強弱、質量、形、濃淡、軽重、柔剛、開閉など、人間の「気」は、百面相のような変幻ぶりを示す。
 そして、この個人、個人の「気」というものは、対人関係においても重要な働きをする。人間対人間において、「気」の大小や量は、人間の値打ちや格まで決めるものとなるのである。あだやおろそかに考えてはならない。
 取引相手などと向かい合っていて、何となく気後れする場合、これは「気」ですでに負けているのである。
 「技術も知識も、こっちが上だ」、「語学も自分のほうがうまい」、「金もたくさん持っている」というのに、「どういうわけか相手にかなわない」という気にさせられる。「不思議なことだ」と、イライラしながら首をひねる。
 何も不思議なことはない。「気」で負けているのである。
 「あの人にはかなわない」と、腹の底から思わせるのには、「気」のパワーが大いにあずかっている。「気」のパワーとは、その人間の持っている「気」量ということだ。「気」量とは、器量に通じるものである。
 反対に、「あの人にはかなわない」と相手に思わせるということは、こちらが戦わずして「気」量、すなわち器量で勝ったということである。
 では、こうした人間の格まで決定する「気」を蓄えておく器は、どこにあるのであろうか。頭ではない。もちろん、腰でも、手でも、足でもない。実は、腹にある。
 あなたが「よし、やるぞ」と気合を入れる時、どこに力が入るか。臍下丹田(せいかたんでん)に、力が入るはずだ。肉体のヘソの下にある丹田が、「気」を育てる田んぼであり、「気」をプールする器でもあるのだ。
 この「気」の器こそ、「あの人は大器だ。器の大きい人物だ」などという場合の器のことである。
 器の大きさというのは、その人の人品骨柄に表れ、にじみ出てくる。世の中に、会った途端、何となく圧倒されるような人物がいるのは、その人の器からあふれ出る「気」に、気圧(けお)されるからである。
 こういう人を器量人という。「気」の量が多い人である。
●重要なのは収容した「気」の十分な循環
 辞書を引くと、器量とは、1.人間の才徳、すなわち才能と人徳、2.人間の備えている才能、力量、3.器量の「器」は材の在る所、「量」は徳の満つる所の意、などと説明されている。
 よって、器量人とは、才能と人徳に優れた人のことであり、才能や力量に優れた人のこととなる。知情意、知性と感情と意志に優れた人のことともいえよう。
 この点、昔から世間ではよく、「器量」、あるいは「社長の器」などということが取りざたされているところで、その実体については、「心が広いこと」、「七情をよく統制していること」といった人間性の面からの解釈が行われている。
 また、努力して身につけたものではなく、生まれながらして与えられた才、まさに天性のものを「人間の器」とか、「器量」と呼ぶ場合もあり、もちろん、その器量は天性のものでありながら、現実に生きることにおいて、常に磨きをかけておかなければならないもの、とされる。
 私はここで、人間の器量とはその人物の持つ「気」の量のことにほかならず、器量人とは器に「気」が充実されて豊かに存在する人物である、という解釈を加えたいのである。
 東洋では古来より、人間のことを「気」を収める器といっており、人間の器量、器の大小というものは「気」の器の大小、そして「気」の吸収量と排出量の多寡のことだ、と考えるのは自然である。
 人間の器を、生体エネルギーや、知情意の源泉である「気」が入る器のことであると見たほうが、話の理解も早いだろう。
 人間の大きさに、これほど関係してくる「気」量。重要なのは、その器が大きく、その量が多いというだけでなく、それが十分に体内を循環していることである。
 「気」を肉体に充実し、循環するか、しないかで、人間の値打ちが大いに違ってくるし、人生の成否が決定するといっても過言ではない。
 たとえ小柄な人でも、どっしり構えて泰然自若、すがすがしい目をした人がいる。そして、周囲の人からは、「あの人は腹のできた人だ」と、一種の尊敬を得ている。これが、器量人というものだろう。
 「器量人」、「社長の器」などといわれる人は、生気、胆力、迫力、元気、気迫、陽気などという「気」を十分に収容し、循環させている大きな器の持ち主なのである。人間集団の中で
 抜きんでるためには、大変な統率力が入り用なのであり、そのパワー源こそが多数を抑え、治める「気」の大小や人間的迫力の大小であることは、社会の現実が示している。
 反対に、元気はつらつとして、精気にあふれてはいるけれども、どこかこせついていて、落ち着かない。こんなタイプに器量人はいない。
 いずれにせよ、器量人であろうと、器量人でなかろうと、人間というものは各自、それぞれの「気」を放ち、独特の気配を漂わせている、不思議な存在といえる。
 例えば、器量人とまでは評されていなくても、組織の長や幹部という指導者の立場にある人間は、特別な気配、雰囲気、オーラなどといったものを放っているもの。




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