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■一日を大切にする [気力を充実する秘訣]





[右斜め上]仕事の価値を知れば行動意欲がわく
 さて、何か事を行うのに際しては、積極的な考え方で臨むとともに、今から取り組む課題に対して、気力を奮い起こそうと考えたなら、当の課題がどのくらい重要で、価値のあるものかを知ることも、大事になってくる。
 「書類を作成するなんて、つまらない、地味な仕事だ」と否定的に考えていれば、取り掛かる時も「気」が充実し、成し遂げようとする気力が出るどころではないし、ダラダラと仕事をして、つまらないミスを繰り返したりするだけ。
 そもそも、私たち人間の心理というものは、つまらないこと、簡単にできること、やさしい仕事を前にしては、いくら気力を奮い起こしたつもりでも、高まらないのが普通なのである。
 自分の仕事が重要だと認めれば、「今作るこの書類一枚がなければ、会社の仕事は動かない」、「私が少しでもミスをすれば、会社や取引先に迷惑をかけることにもなる」と考えて、自然に積極的になり、やり遂げようとする気力が出てくる。
 すなわち、やりたくない気持ちが強くて、なかなか気力が出てこない状態の時でも、取り組もうとする課題の重要性を認識することで、かなり強い気力の奮い起こしを行ったのと同じことになるのである。
 また、自分が取り組もうとしている課題の全体像を把握し、その結果をある程度予測することも、大切となる。
 私たち人間は、先行きの予測が立たないことについては強い不安を抱くもので、それが行動意欲の減退につながることが多いためである。
 一つの仕事に取り組む場合でも、全体の見通しが立つ条件と見通しが立たない条件とでは、仕事の結果に大きな差が出るもの。
 未経験の仕事をする際には、その仕事を経験した人の話を聞くなり、自分で調べたりして、情報を少しでも多く集め、自分が新たに挑戦する課題の全体の見通しを持つようにすればいい。経験者がおらず、情報がない場合は、自分の過去の体験から類似したケースはなかったかと、思い出してみるのもいい。
 仕事の全体像をイメージできて、どこでどのくらい力を入れたらいいかが予測できてこそ、気力も効果的に鼓舞できるというものだ。
 自分の仕事の全体像をイメージできない例として、「大企業病」という言葉がある。かつての電々公社や国鉄など企業が巨大になりすぎると、社員たちが大きすぎる組織の中で、自分の役割分担を見失ってしまうのが、病気の最大の原因である。
 無論、自分のやるべき業務は上司から指示されてわかってはいても、その仕事が組織の中でどのくらい重要性を持つのか、見当がつかなくなってしまう。
 こうなると人間は受動的になって、与えられたことを与えられた時間以内にこなす以外、興味をなくしてしまう。仕事に創造的な喜びを見いだせず、いわゆるルーチンワークをこなすだけの人間になってしまう。
 そんな無気力な社員ばかりになれば、組織全体の生産効率は目に見えて落ちる。各職場ごとの社員に、気力や気迫や気概がなくなってしまうからである。
 自分の毎日、取り組んでいる業務に何の意義も感じず、自分の達成したことがどの程度、会社や社会の役に立っているのかがわからなくては、仕事に意欲を出して頑張ろうとしても、無理なのは当然だ。
 一方、自分の仕事が必要とされているのだとわかれば、大いに気力も、気迫も、気概もわいてくる。特に中小企業の中に多いが、社員一人ひとりが組織の中での自分の役割をつかみ、「自分がやらなければ」という気持ちで働いている会社は発展する。
 自分の仕事が、確かに役に立っている。自分が製品を作ることで、喜んでくれる人がいる。こうした意識を持てるかどうかは、仕事の張り合いにも大きくかかわってくる。張り合いややりがいは、他人から与えられるのを待っていてもしょうがない。
 どのような仕事に就いていようと、どのような組織に属していようと、要は自分の見方、考え方次第である。
 何もあえて、自ら自分の仕事をつまらなく考える必要はないだろう。自分の会社の製品を喜んで使ってくれているお客の姿を、想像してみる。自分が仕事をしなければ、会社の中で支障をきたしたり、迷惑をかけたりする部署が必ずあることを、考えてみる。
 以上のことをイメージしてみるだけでも、組織の中の一員としての、自分の仕事の重要さを意識できるであろう。
[右斜め上]仕事を楽しみ多いものにするコツ
 自分の役割の重要性、価値を認識しながら仕事に臨めば、誰もが意欲的に、楽しみながら業務を遂行できることだろう。
 私たち人間が労働するということは、本来「楽しい」、「面白い」ことである。体や頭を使う労働を「苦しい」、「つまらない」ものにしているのは、自己意識のなせる業なのだ。
 仕事が楽しいかどうかは、自己意識で仕事をしてしまうか、無意識に仕事をするかで、大きく左右される。
 宇宙天地大自然世界に生かされている人間は、本来、楽しく生きられる配慮を大自然界から与えられているのである。単調な仕事であっても、この他力に身をゆだね、やり遂げようとする気力を鼓舞し、「気」を入れて能率よく働くならば、知恵が身に着くし楽しさもわいてくる。他力を自力として生きるためには、日々の現実から逃避しないことが大切。
 こうして己の職業を天職と確信し、迷わず努力してゆけば、必ず仕事がよくわかるようになってきて、上手になる。上手になれば、「この仕事は自分に適している」と感じるようになり、さらに気力やアイデアも出て熟練の域に至り、仕事はより面白くなってくる。そうなれば、もはやその仕事は苦労ではなくなり、道楽に変わるというものである。
 職業の道楽化、趣味化は、人生の最大幸福であるともいえるだろう。
 「よし、やろう」と決意した仕事が幾多の障害や難関を切り抜けて、見事に完成した時の、あの素晴(すば)らしい楽しさは、誰にも体験があるだろう。ここに、仕事に気力や張りを出し、楽しみ多いものにするコツがあるわけだ。
 「サラリーを得なければならないからやる」、「上司が命令するからやる」という態度で仕事をするのではなく、努力に対する満足感、完成した場合の快感のために物事をやるように、心の持ち方を変えてみることである。
 汗水たらしての艱難(かんなん)辛苦の後に、険しい頂上を極める登山を始めとしたスポーツも、自分の満足のためにやっているからこそ楽しいのである。もしもスポーツが強制的に課せられた労働だったとしたら、必ずしも楽しいものではなくなるだろう。同じ道理が、仕事にも当てはまる。
 喜びとして、あるいは自分の創造力の表現として見ることによって、仕事は楽しみとすることができ、そこから人生と仕事に対するゆとりが生まれてくる。実際にそうしている人々の例も、たくさんある。
 労働と遊びとの相違は心構え一つ、気構え一つにかかっている、ということをよく覚えておいてもらいたい。遊びはやることを楽しむものであり、社会通念としての労働は「しなければならないもの」である。
 人生を豊かにし、ゆとりを持つために、あなたが第一にしなければならないことは、仕事を遊びに変えることである。私の場合は少年の頃から、遊ぶことよりも、学ぶことよりも、働くことのほうが面白かった。
 誰もが会社のために、社会のために働くということは、直ちに自分のためにもなる。懸命に会社の仕事をし、仕事を通じて自己を磨く。そうして、絶えず向上しようと心掛けることが一番。
 気力に満ちた、精力的な活動家といわれる人物を観察してみると、彼や彼女は決して無駄で余計な意識を使わず、明るく活発な「気」を集中させながら、自我意識を捨てて仕事に取り組んでいる。そして、全精力をその日一日の仕事に使い切る。
 これが大切なコツ。中途半端はいけない。手抜きや怠慢は、肉体を一時的に楽にはしても、「気」の流れを妨げ、心にスキを与えることになる。
 「その日一日の仕事に全精力を使い切る」という心掛けの人物は、性格も素直で明るく、健康で賢明で、社会的に成功者が多い。もちろん、彼や彼女の肉体は疲れる。へとへとに疲れ切るだろうが、そういう人の肉体は、一晩ぐっすり寝ると疲労そのものが明日のエネルギーに変換しており、前日楽をして疲労しなかった人よりも元気で、精力的に働けるものである。
 仕事に命を懸けるくらいの覚悟があるならば、物事に取り組む態度というものが、おのずと真剣になる。従って、考え方が一新し、創意工夫ということも、次々に生まれてくる。
 命が生きて働いてくれるからだ。それは、命、すなわち人間の体、肉体が無尽蔵の力と知恵を発揮してくれる、という意味である。
[右斜め上]将来展望から今日一日を考える
 そもそも、人間の体は働きそのものである。仕事や勉強に忠実、勤勉の毎日を積めば、将来の生活の基礎となる自己というものが確立するのである。
 その点で、今日一日を大切にすると同様に、自らの将来のことでも、自分の家庭のことでも、会社の仕事や経営のことでも、先の先を読み取ること、壮大でかつ綿密な先見性を身に着けることも、人間にとって大切となる。
 長い単位としては二十年後、中期では五年から十年後、短期でも一年から二年先までの状態を見詰める。
 二十年先にはどうなっているか、どうすべきかと考える。そのためには十年後にはどうなっていなければならないか。その十年後の自分や家庭や会社の理想の状態を可能にするには、一年後にはどう進展していなければならないか。さらに、そのためには明日、そして今日やるべきことは何かを考える。
 二十年後という長く、大きな展望から、今日、明日やるべきことまでを考えるのである。当然ながら、二十年後の状態というのは、まだボンヤリとしか見渡せないだろう。
 しかし、それを十年後、五年後、一年後といったように細分化してゆくと、今日やるべきことにたどり着く。つまり、今日一日の実行すべきことというのは、一見見えないようであっても、実は二十年後にちゃんとつながっていくのである。
 こういう将来展望という大目標と、今日一日やるべきことという小目標は、人間にとって非常に大切である。人間は目的に向かってこそ、努力をしたり、苦労をしたりできるもので、それこそ雲をつかむような漠然とした状態では、気力や張りの出しようもない。
 だからといって、あまりにも現実離れした高い目標を掲げてしまった場合も、人間はその能力を十分に発揮できないものである。
 目標が適度だった場合には、「よし、やってやろう」と気力が出る。それが大きすぎたり、高すぎたり、漠然としたものでは、気持ちがついていかない。
 成功した人の話を聞いてみると、大目標と小目標の使い分けが実に、うまい人が多いものである。「絶対、起業して社長になろう。会社を大きくしてみせる」などと、十年後、二十年先の大目標はもちろん抱くのであるが、「まずこの目の前にある仕事を成功させるのだ」、「今度の商談は絶対にまとめてみせる」と、ちゃんと目に見えやすい小目標も同時に持ち合わせている。
 誰にでも把握しやすい単純な目標は、人間に力を与える。「もう少し頑張れば達成できそうだ」と思えれば、人間は気持ちが前向きになるのである。
 拙文をお読みのあなた自身も、「何があろうと、これはしなければならない」と没頭し、成功した体験があるはずだが、目標は明確であったのではなかろうか。
 「成功したい」という決心、決心に向かっての成し遂げようとする気力、情熱、想念が人生における成功のカギであるが、目標を明確にすることによって、その気力や情熱が確たるものになるし、目標があってこそ初めて、生きがいも生まれるのである。
 生きがいともなり得る大目標についていえば、例えば「ぜひ金持ちになりたい」という願望は、人間誰にもあるはずだし、また誰もが努力もしているだろう。
 しかし、ここから先、アプローチの仕方が重要なのである。
 企業内で出世することによって、達成するのか。事業を自ら起こして、金持ちになるのか。あるいは、プロのスポーツ選手や音楽家、デザイナーなどを目指して、実現しようとするのか。
 方法は多様であり、どれを選択するのかをまず決めることから、スタートしよう。その上で、私の若かりし頃のように実業家を目指すのであれば、何年先に自社所有のビルを持つのか、持つとすれば何階建てにするのか、立地する場所はどこにするのかなどと、できるだけ具体的に構想していくのである。
 「学者になりたい」ということであれば、専門の分野は何か、どの大学で教えるのか、はたまた、世界最先端をいく学者としてノーベル賞を目指すのかといった点まで、明確にすべきである。
 また、目標は一つでなければいけないということではない。それどころか、学校や仕事における目標、家庭生活における目標、さらにはトータルなライフスタイルでの目標と、異なる方面ごとに目標を掲げ、それぞれの達成に向けて積極的に挑戦し、情熱を傾けることが大切だ。




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