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■思想としての「気」2 [「気」学]

[蠍座]昼夜、四季の変化の中に「気」を求める
 「気」を自然の中に求め、それを最初に表現したのは「荀子」であった。
 荀子は戦国時代の前三世紀の儒家で、孟子の性善説に反対し、人間の性はもともと悪であり、儒教の礼によって悪を善に変え得ると主張した性悪説で知られていよう。
 「水火は気ありて生なし、草木は生ありて知なし、禽獣(きんじゅう)は知ありて義なし、人は気あり、知あり、義もまたあり。故に天下の貴となす」の一節で、自然の中の水と火についての「気」に触れているのである。
 先にも紹介した「孟子」では、孟子と弟子が性善説について論じたくだりで、平旦(へいたん=夜明け)の「気」、夜気が登場する。
 太陽と地球の位置関係で作られる昼と夜、明と暗の繰り返しは、人間にとって最も基本のバイオリズムである。一夜の休息の中から、次の日のための活動エネルギーが蓄えられ、一日の活動を終えた後には、一夜の充電のための時間がある。充電によって準備されたものを、孟子は平旦の「気」と呼んだのである。
 そして、夜の休息により、清明で純善な「気」が満ちている早朝にこそ、浩然の「気」を養うべきであるという、養気を主張したのであった。
 昼夜を繰り返す一日に比べ、季節の変化はもっと理解しやすいバイオリズムであるかもしれない。
 「荘子」は、戦国時代の道家、荘周の著作で、道家の祖である老子の思想を哲学的に発展させ、巧みなエピソードを用いて、その無為自然の道(タオ)を説いたものである。
 この「気」の思想をはじめて体系付けたとされる古典の中には、「四時は気を殊にする」とある。四時とは四季のことであり、四季は「気」の種類が違っているために、移り変わっていくという認識がなされている。
 同時に、「気」の種類が四回変わり、一巡りすることを歳(年)としているのである。
 大自然の中の「気」については、「荘子」で「雲気を絶ち、青天を負う」、「呂氏春秋」で「地気が上騰し……草木が繁動する」とあり、雲気、地気は自然そのものを表現している。
 この大自然を少しばかり拡大し、宇宙にも目をやるとすれば、「気」の範囲は天地ということになる。これを「天地の一気に遊ぶ」、「天気が不和ならば、地気は鬱結(うっけつ)す」などと論じたのは、やはり「荘子」が最初であった。
 また、前四世紀の「列子」は老子の説く道を、多くのエピソードによって解説した書物であるが、「天は積もれる気のみ」、「虹(にじ)や雲、霧、風雨、四時などは、積気が天に成りしもの」と述べており、「気」はすでに天地の万物の根源であり、天地を構成する存在として描かれている。
 以上見てきたように、中国における「気」の認識は、自分の呼吸や精神の状態から始まり、自然の規則をも包摂するものになっていったわけである。
[射手座]陰陽理論と五行説の展開について
 次に、古代中国人の「気」が、具体から抽象へ、その認識が感性的から悟性的になるプロセスを検討してみよう。
 自然の中の「気」をよく観察し、その動きや作用を抽象化する過程で、陰陽の「気」という概念が出てきたのだが、まず陰陽理論の成り立ちについて述べる。
 陰陽とは、日と影、明と暗、温と冷、熱と寒、北と南などの一対の概念であり、この陰陽については「易経」と、それに続く注釈書の中で語り尽くされている。
 その中に「一陰一陽する、これを道という」とあるように、確実に巡ってくる四季を観察する中から、自然の変化を支配する法則として考え出されたのが、陰陽であった。
 その陰陽と「気」とを関連付け、論理思考を展開させたのは、老荘の系譜である。
 道教の開祖・老子が書いた「老子」は前三世紀頃の書物とされるが、その中で「気」は宇宙万物を構成する陰陽として一回、人間の生命力として二回使われている。
 「老子」に見られる「気」の宇宙論では、天地万物に通じる一大生命力は、その始まりは恍惚(こうこつ)とし、茫漠(ぼうばく)としたものであるが、道の生成作用により混沌(こんとん)とした一気を生じ、この一気から陰陽という二気が生じ、二気は三気を生じ、三気は万物を生ず。
 万事万物、人間の生死も、四季の運行も、陰気を負い、陽気を抱いた自然の変化である。以上のようにしているのだ。
 人間の生命力としての「気」については、「気を専らにして柔を致して、能(よ)く嬰児(えいじ)たらんか」とある。「気」を専らにするとは、体内の精気を外に漏らさないことであり、道教でいう養気である。そうすれば心身はこの上なく柔軟になり、ちょうど赤子のように初々しくなるという。
 「沖気(ちゅうき)、以(も)って和するをなす」ともある。沖気とは、内に陰気と陽気を持った沖和した「気」のことであり、それによって調和を保つことである。
 「心、気を使うを強という」ともある。心、すなわち知と欲によって、生命を形成している精気を使役する結果、陰陽の調和は無理を来し、乱れてしまうのだという。
 老子の思想を哲学的に発展させた「荘子」では、巡りくる四季の変化を、「気」の中の「気」たる陰陽、陰気と陽気の消長であるとはっきり述べている。
 また、「荘子」には、「天地は形の大なる者、陰陽は気の大なる者」とある。陰陽の「気」、すなわち万物を構成する陰気と陽気の大きさ加減は、ちょうど天地が大きいことと同様であるとする。
 「荘子」が論じる「気」は多彩で、示唆に富むものであるが、「気が変じて形あり、形が変じて生あり、今また死にゆくは、これ相ともに春夏秋冬をなし、四時に行われるなり」ともあり、ここに道家の「気」的宇宙生成論がほぼ完成していることがわかる。
 人間の生と死を「気」の一字によって端的に表現し、「人の生は気の聚(あつ)まるなり。聚まれば則(すなわ)ち生、散れば則ち死……故に曰(いわ)く、天下の一気に通じるのみ」ともいう。
 道家の主張する思想を貫いている「気」一元論が、この句で明らかになる。つまり、宇宙天地の至る所にある「気」は、集合すれば人の生となり、離散すれば人の死となる。
 だとすれば、生死ということに心を苦しめる必要はなく、自由の境地に遊ぶことこそが、無為自然の道の体得者の態度であるというものだ。
 さて、陰陽とともに、春秋時代の中国人の思考を決定したのは、五行であった。物事を木・火・土・金・水の五種類に分析し、それに一定の性質を持たせると同時に、相生と相克という関係を想定したのである。
 春秋時代の思想書「墨子」に、「五行は常に勝つなし」とあるように、それは政治権力をも含む万象の変化を承認し、見方によっては、そうした変化を予測する原理である。
 この五行の「気」について触れているのは、先の「淮南子」である。「五行は気を異にして、みな適調す」、「水・火・金・木・土・殻は、物を異にし、みな任ず」という。
 後者では五行に殻が加えられているが、五行は物を異にし、形を異にし、用途を異にするものの、それぞれに適するところがあり、ふさわしいところがあるとする。しかも、五行の「気」は、ハーモニーを奏でるのだ。
 この自然の中にある五種類の事物の性状を抽象化し、それらが「気」の変化したものだとする五行説を全面的に展開したのは、「呂氏春秋」であった。完成された五行では、四季に長夏を加え、四方に中央を加えて、五つの要素とした。
 そして、五行思想はその後、人間の行為やモラルの基準にも当てはめられ、温・良・恭・倹・譲といった五徳や、仁・義・礼・智・信といった五常となる。
[山羊座]仏教や道教の概念も吸収した「気」の哲学
 前二世紀の前漢の時代に、儒教は国教化され、体制の思想となった。それと引き換えに、訓詁(くんこ)学が主流となり、古典に学び、注釈を施すことが盛んに行われて、柔軟な生命力を失っていった。
 儒教が思想としての生命力を再び獲得したのは、十世紀の後半から始まる宋代、「気」の哲学の時代になってからのことである。
 宋朝は、北宋と南宋を合わせれば三百年以上にわたる統一王朝で、学問や芸術のレベルは非常に高いものがあった。
 新たに興った士大夫と呼ばれる地主の階級は官僚であり、インテリでもあったが、彼らの立場を表明する哲学として、儒学はそれまでの煩雑な訓詁学に終止符を打ち、「理」と「気」によって宇宙を解説し、人間の性質をも説明することにより、新たな生命を得たのである。これが宋学である。
 北宋の周敦頤(しゅうとんい)の「太極図説」は、宋学の出発点となった作品である。宇宙の生成を示すとされるが、一見すると何の変哲もないような「太極図」を解説したものが「太極図説」。
 その内容は、宇宙の本体を太極と呼び、太極には陰陽の二つの「気」があり、二つの「気」から木・火・土・金・水の五つの「気」を生じ、五つの「気」の配合によって宇宙の万物が生成されるというものである。
 周敦頤らの学説を引き継ぎ、広く儒学を集大成して、宋学を確立した人物は、十二世紀の南宋の時代に生きた朱子。ゆえに、宋代の儒学を朱子学とも呼ぶのである。
 朱子学によれば、「理」は宇宙の最高の原理であり、万物の根本であって、太極と言い換えることもできる。こうした根本的な存在を意味する「理」は、宋以前の儒学で用いられることは少なく、一般には仏教からの導入であるともいう。
 儒学が歴史的な発展を遂げていく中で、仏教や道教からの刺激も受け、概念や用語を借用してきた事実もまた見逃せない。
 朱子学によると、「気」は「理」から生じたもので、空気と同じように人間の目で見ることのできない気体であり、対照的な性格を持つ陰と陽の二つの「気」がある。
 「理」と「気」とは相合わさって事象を形成するが、「理」は一定の性として万物に内在し、「気」はさまざまに変化して万物に形を与えることになる。
 陰陽の「気」はさらに、木・火・土・金・水の五行を生じる。陰と陽とは対照的であり、抽象的な性格であるが、五行には具体的な質が備わっており、現実の形を持つ物により近い概念である。
 「理」はまた人間にあっては徳性であるから、これを十分に発揮するように努めることを、修養と呼ぶ。
 このように朱子学の個々の概念はいずれも、すでに語られていたものであり、それを「理」と「気」の二元的な立場から総合、集大成したものであった。
 陰と陽という対照的な概念を相対的に捕らえ直し、陰は陽に、陽は陰に、それぞれ転化することを指摘し、しばしば陰中の陽、陽中の陰という表現をするのも朱子の特徴である。
 この「気」の哲学は、その後さらに徹底したものとなり、明代に「理は気から生じる」、明末から清初に「気の外に独立した理はない」と続き、清朝では「気化流行、生々して息(や)まず」という表現が使われた。




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コメント 1

AlboRUS

GO!!!
This phrase was said by the first cosmonaut on Earth - Yuri Gagarin. (Yuri Gagarin)
He was the first astronaut on Earth. He was Russian! ...
Now Russia is becoming a strong country, gas pipelines, a vaccine against COVID-19, an army.
Is this very reminiscent of the communist Soviet Union?
How do you think?
Now we have total control in our country. I am interested in the opinion of foreigners.

<a href=https://www.albonumismatico.ru>... Альбонумизматико - альбомы для монет </a>

ПОЕХАЛИ!! a
by AlboRUS (2021-05-12 18:47) 

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