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■思想としての「気」1 [「気」学]

[牡牛座]「気」という漢字は長い歴史を有している
 人間はそもそも、「気」ということを二千数百年も前から研究してきた。
 特に本家の中国では、最も伝統的な思想として、「気」の思想が長い歴史を持っている。紀元前十数世紀の中国最古の王朝、殷(いん)、これに続く周時代の甲骨文などの発掘資料からは、「気」の原初的生命観を知ることができる。
 すでに、人の気息の様を表す言葉が明らかとなっており、天気、地気に次いで人気の思想も、中国古代から考察されていたことがうかがわれているのである。
 古代の中国人は、目には見えないがパワーを持って宇宙天地大自然に確かに存在する何かを「気」と命名して、さまざまな事物や現象に「気」を看取していった。
 例えば、彼らは山中の鉱物や玉石を探す中で、偶然にも発見したと思われる磁界を、天の「気」の作用であると考えて、磁石として軍事や航海に応用した。それは地理学としての風水、望気の軍事利用にも通用する思考の方法であり、肉体の理解においてさらに高度な完成をみることになったのである。
 それら多様な「気」が複雑に絡み合いながら、中国の独特な伝統思想、文化が形成されていったのである。
 それゆえ、中国の古典には熟語化された「気」が無数に登場するが、まずは漢字の成り立ちと、「気」という字の所出に逆上って観望してみよう。
 中国においては「はじめに文字ありき」の感があり、殷代ですでに小学と呼ばれた学校があり、八歳から文字を学んだという。
 しかしながら、前三世紀の秦代まで、漢字の字体はきわめて多様であり、始皇帝によって建てられた中国最初の統一国である秦朝にとって、字体の統一は課題であった。秦朝では、字体の模範となる篆書(てんしょ)を作り、これに合わないものを駆逐した。
 紀元を挟んでの約四百年、前・後の漢代は空前の隆盛期で、漢朝の領土は拡大し、文化は大いに発達した。文字の使用も多面的になり、秦代の篆書をさらに簡略化して、実用的なスタイルにした隷書が普及する。
 この隷書をより簡略化した字体が楷書(かいしょ)であり、現在、日本でいう漢字だ。
 こうした漢字の変遷を整理し、言語学的に体系化したものが、後漢時代の紀元一〇〇年に出された許慎の「説文解字」、略して「説文」であり、漢字研究の根本的な文献となっている。
 この二千年ほど前の「説文」では、「氣」(「気」)は名詞ではなく動詞として登場し、「賓客あるいは祭壇に米穀を供する」ことと定義付けられている。
 「説文」はまた、「气」については「雲気のことなり」と解説している。「気」とは、雲ないし雲となる気体のことであり、地上から天上へとゆらめきながら上昇していく陽炎(かげろう)のことであったようだ。
 なお、すでに述べた通り、「気」という字は日本の教育漢字であり、現在の中国では「氣」ないし「气」を用いる。
[蟹座]論語こそ「気」の字が初登場した書物
 漢代以前の主たる生産が農業であったことは、当然である。大自然に働き掛けて生産をする農耕社会にあっては、雲や風、雨などの自然現象は最も気掛かりなこと。
 その季節にふさわしい、適切な風であれば、春耕の前後の大地に恵みの雨をもたらすであろう。雲が盛んに動く時、やがて天上から大粒の雨が降ってくる。
 逆に、秋の収穫期の大地に、時ならぬ突風や暴風が吹き荒れれば、一年の苦労による農作物の成果が水の泡になってしまう危険性をもたらすであろう。
 農耕の民の生活は、雲、すなわち「気」によって、大きく左右、決定されたといっても過言ではなかろう。古代人にとっての雲気は、自然の現象であるばかりでなく、生殺与奪の大権を持つ神格であったはず。
 この天空の雲や風は、人間の呼吸にも似ているではないか。真に生ある人間にとって、命のある証(あかし)は、やはり呼吸であり、体温である。
 そして、この人間の生存に必要なのは、米に代表される五殻である。先に見た「説文」では、「氣」とは「賓客あるいは祭壇に米穀を供する」こととしているが、贈られたり、供えられた米は結局、人間の腹に納まるもの。
 米、すなわち食料がなければ、人間の生はない。生ある人にのみ呼吸があり、体温があるのである。
 人間の最たる本能である食の恵みをもたらすのが「雲気」たる「气」、その食の帰結としての呼吸という生理的な営為をも包摂していたのが、「氣」という字だったのではあるまいか。
 私たち現代人にとっても、自分に感じる「気」を身近なところから挙げるとすれば、まず呼吸であろう。
 しかしながら、寝ている時でも休むことのない呼吸は、とかく忘れられがちである。そのわけは、呼吸が脳幹に支配された反射運動だからである。反面、意識的に大きく息をしたり、腹式の呼吸をしたりすることもできる。
 実は、儒学の祖・孔子の言行録である「論語」は、中国の古典の中で最初に「気」という文字を登場させた文献であり、呼吸を意味する「気」について述べているのだ。「論語」以前にも、「書経」、「詩経」、「易経」などという古典があるが、「気」という文字は姿を見せていない。
 「論語」の中に出ている「気」のうち、「気を屏(ひそ)めて息をせざる者に似る」の「気」は、明らかに呼吸のことである。
 魯(ろ)の国の人であった孔子は、自説を広げるために諸国を三十年も歴遊し、国王にまみえる機会も少なくなかった。生殺与奪の全権を持つ国王を前に、治国の道、仁義の説の正しさを広めようとする時には、やはり緊張せざるを得なかったのだと想像される。
 中国医学では、肉体のエネルギーの源は血気であるといい、遺伝的な先天の「気」、すなわち元気と、食生活や呼吸から得られる後天の「気」、すなわち水殻の「気」によって、血気が作られるという。
 日本語でいう元気は、呼吸の「気」ほど即物的ではないが、自分も他人も感じ取ることができる。それは血気が表情や活動に反映したものであり、かなり肉体的な意味を持つものである。
 孔子が若者のセックスを戒めたことは有名であり、その理由が「少(わか)き時は血気いまだ定まらず」なのである。
 性悪論で知られる「荀子(じゅんし)」の中の「気を治め生を養う」、道家の代表作「荘子」の中の「気を漠に合わせる」、前漢の思想書「淮南子」の中の「血気とは人の華なり」などは、いずれも肉体のエネルギーや、その現れとしての生気はつらつとした生命現象を指すものである。
[天秤座]各種の「気」を観望できる古代中国思想
 人間の精神作用としての「気」に最初に触れ、「志は気の帥(すい)である」と最初に主張したのは、前四世紀に生きた孟子である。孟子の言行録「孟子」では、「志は気の帥、気は体の充なり」という。
 人間は志を先に立てて統率し、「気」を乱すことをしなければ、その「気」が体に充満するというほどの意味であり、意志と「気」の関係を論じ、気力や勇気という精神作用の一面をはっきりと示したのであった。
 「我は善く浩然(こうぜん)の気を養う」ともいっている。浩然とは、水が大規模に流れている様である。中国医学では、志は心の作用であるとするが、浩然の「気」という表現で精神作用と「気」の関係を捕らえた「孟子」には、十数回に及んで「気」が登場している。
 このように個人が自覚したり、他人がそれを感じたりする「気」のほかに、大衆の中に漂う雰囲気、数多くの民衆の中に満ちている気分などを表す民気というものがある。
 それを最初に記録したのは、前二三九年頃、秦の宰相・呂不韋(りょふい)の編集と伝えられる「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)」。そこには同時代の儒家、道家など諸子百家の思想が反映されており、思想史上の不可欠の文献となっている。
 「民気を益すことと民気を奪うこと」などは、一種の民衆的な心理状態を表現したもので、極めて政治的、社会的な「気」の認識であるといえる。
 漢代までの古典で、最も多く「気」について述べているのは、前一三九年刊の「淮南子」二一編であり、百八十回に及ぶ。
 著者は前漢の学者であり、皇族であった劉安で、無為恬淡(てんたん)の老荘の説を中心に、儒家などの説も交えた中国古代の思想書である。
 とりわけ、「気」による万物生成論と養生法が述べられていることは、よく知られている。はじめに虚空があり、虚空に宇宙が生まれ、宇宙に陰陽の「気」が生じて、天地の万物が生成された、と天文訓には記されている。
 このほか、たくさんの「気」の字を含む熟語が本の中に見える。
 「天地の気」、「天気」、「地気」、「陰陽の気」、「陰気」、「陽気」、「春気」、「秋気」、「蒸気」、「神気」、「正気」、「生気」、「煩気」、「偏気」、「人気」、「民気」、「食気」、「含気」、「吐気」、「合気」、「同気」、「養気」、「専気」、「望気」、「損気」、「失気」などなど。
 その内容は、宇宙の「気」のほかに、大自然の中の「気」、医学の「気」、人間が感じる「気」など多方面にわたっており、漢代における「気」の流行ぶりを物語るものでもある。




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