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■宇宙天地大自然と「気」1 [「気」学]

[牡羊座]ブームは去り、完全に根付いた「気」
 現在の日本においては、「気」のブームは去り、完全に根付いた感がある。書店に出向けば、「気」をタイトルに冠した書物がずらりと棚に並び、自宅でテレビを眺めれば、気功師や武術家の諸兄が登場して妙技を披露している。
 目を海外に向けると、「チー(気)」、「チーコン(気功)」という中国語は、そのまま英語として定着している。
 「気」の本家は、中国なのである。本家から日本へと、道教の「気」の思想が伝わってきたのは、紀元三世紀の末のことと見なされている。
 道教とは、老子を開祖とする中国固有の宗教である。老子とは、紀元前四世紀に生き、無為自然や、「気」を生じる道(タオ)を説いた人物である。
 古代の中国人は紀元前から、目には見えないがパワーを持ち、捕らえどころはないがエネルギーを有して、宇宙天地大自然界に確かに存在する神秘的なものを「氣」ないし「气」と命名して、さまざまな事物や現象に、日本語でいう「気」を看取していったのである。
 「気」の思想は、天文、易学、医学や、健康法、養生法など、多くの範囲にわたって、その基礎的理論に大きな影響を与えている。
 端的に「気」を表現すれば、宇宙天地大自然に存在するすべてのものの根本、始まりであり、原因こそは「気」なのである。だから、「気」がわかるということは、宇宙がわかることであり、自然がわかることであり、人間がわかることに通じる。
 強いて、すべての根源であり、オールマイティーであり、多岐にわたっている「気」の諸相を分類すると、宇宙天地大自然に満ちみちている「気」、陰陽や五行の「気」のような原理・思想としての「気」、小宇宙である人間の「気」の三種になるだろう。
[牡牛座]人間は宇宙の「気」の結晶体である
 宇宙天地大自然に満ちみちている「気」から、説明を始めてみよう。
 そもそも、私たち人間というのは、宇宙天地大自然の「気」が結晶してできた存在なのである。人間の体は、いわば小宇宙であり、小天地であり、宇宙生命の結晶体なのである。私たちは誰もが一人ひとり、宇宙に生かされ、生きている。
 広大無遍の宇宙から見れば、「地球」や「アース」などと呼ばれる小さな惑星上に住む人間は、チリ以下の存在、極微な一点にしかすぎない。けれども、極めて小さい生命は、宇宙大自然によって創られ、生かされ、生きているという、大宇宙との深いかかわり合いの中に存在している。
 その大宇宙とは、一大生命体である。「宇」の字は広い空間、「宙」の字は空間に一貫している時間を表す。大宇宙全体は、我が太陽系が属する星の大集団・銀河系宇宙と同列の規模を有する島宇宙が、銀河群や銀河団をなしつつ、一千億個も集まって形成されている。
 まさに無限に等しい広い空間と、百何十億年に及ぶ時間を有する大宇宙は、空漠たる無の世界ともいえるが、「気」の世界でもある。全くの空、全くの無ではなくして、「気」を始めとして法則、原理の遍満する秩序整然たる真理世界なのである。
 大宇宙の中に存在する、それぞれの「気」というものは、それぞれ異なる理に規定されている。「気」のあるところには、必ず理、法則、原理というものがあり、「気」と理は同時に存在し、理のあるところに「気」は存在するのである。
 要するに、理は宇宙の始源以前から存在している。理とは根源的に空世界に存在して、この大宇宙という現象世界を規定し、創造せしめ、活動せしめている宇宙の真理を意味する。
 すなわち、現象世界は空世界と表裏一体の存在をなし、その万象、万事、万物は結果的に、空世界の真理的内容を表現しているものなのだ。
 かくのごとく、「気」の世界でもある大宇宙には、真理や法則、原理が遍満している。そして、宇宙の「気」の結晶体である人間の体内には、大自然が潜み、宇宙全体が働き掛けている。肉体生命の中に、宇宙のすべてが宿っている。我ら人間の肉体は、真理の象徴である。
 大宇宙こそ、私たち人類が昔から、その神秘、広大さに畏敬(いけい)の念を抱き続けてきた対象である。人間を知ろうとする人は、何よりもまず、人間を創り、人間を生かしている大宇宙を知れ。大自然世界の巧妙至極の構造と機能を知れ。
[双子座]体系の中で調和を保って回転する宇宙
 今世紀は科学万能時代を迎えて、有人火星探査がアメリカの宇宙計画に上っているが、直径六千キロ余りの火星にしろ、直径一万二千キロ余りの地球にしろ、大宇宙の微細な一点にしかすぎない存在である。
 火星も地球も、一つの銀河の中にある一つの星・太陽の周囲を回る、一惑星にすぎない。
 地球は、水・金・火・木・土・天王・海王・冥王の八惑星や、惑星に属する計百三十六個の衛星、約二千五百の小惑星などとともに、毎秒二十九・八キロもの速さで自転しつつ、太陽の周りを回り続けている。
 例えていえば、一つの社会を形成している太陽一家である。一家は、同じ原始太陽系星雲から生まれたものであり、現在は太陽を親として影響、恩恵に大きく浴しながら、親を中心として公転運動をしている。
 この地球にとっては最も身近な家族に例えられる太陽系は、銀河系と呼ばれる宇宙の中のほんの小さな集団であり、銀河系宇宙の中心からかなり離れたところを、一周、二億五千万年もかかって回り続けている。
 地球上から夜空を仰いで、肉眼で見えるほとんどの星は、銀河系宇宙の星々である。望遠鏡が発明されるまでは、宇宙とは銀河系宇宙だけであると思われていた。
 高性能の望遠鏡が開発されるに及んで、二千億個とも四千億個ともいわれる星からなる銀河系の外にも、多くの島宇宙と呼ばれる宇宙が存在することを、人間ははじめて発見したのである。
 アンドロメダ座の中の渦巻き銀河に、銀河系宇宙から最も近い島宇宙がある。肉眼でもぼんやりと、視野に捕らえられる大星雲。その名の通り雲状に見えていたものが、実は一千億個もの星が渦状をなして大きな回転をしながら、一つの宇宙を形成していることがわかったのである。その姿が、我が銀河系宇宙をはるかかなたから見下ろした姿と、そっくりであることも解明された。
 その最も近い隣の島宇宙であるアンドロメダ大星雲との距離が、二百万光年であるといえば、宇宙の広さが想像を絶するものとよく理解できよう。
 一光年というのは、光が一年間に飛ぶ距離のことであり、約十兆キロに相当している。二百万光年の距離は、十兆キロの二百万倍という、真に天文学的な数字で表されるわけである。
 島宇宙が一千億個も集まって形成される大宇宙もまた、ある中心を持って、大きな回転運動をしている。同時に、大宇宙は外に向かって、非常な速さで膨張し続けている。大宇宙の周辺部には、光の九十パーセントの速さで遠ざかっていく星があるのだ。
 では、大宇宙の外には、何があり、どのようになっているのか。膨張する宇宙は、どうなっていくのか。現在の人間の知識をもってしては、知るよしもない。私たちは、無限という言葉でしか表現するすべを知らない。
 ただ、人間の知っている三次元の世界の次に、四次元の空間、世界というものがあろう、と想像している天文学者がいる。宇宙は四次元の超球であり、中心もなく、果てもなく、果ての向こうには何もない、と推し量っている天文学者もいる。
 宇宙の将来について、かのアインシュタインの一般相対性理論は単独では、時空はビッグ・バン特異点で始まり、もし全宇宙が再崩壊するならばビッグ・クランチ特異点で終わる、と見なしている。
 三つの説とも、想像の域を出ていない仮説である。
 かくして、宇宙のさまざまな実相を見てきた時、宇宙が立派な体系と厳粛な秩序を形成していることは、明白になった。一つひとつの星は偶然に、恣意(しい)的に存在して、気まぐれに、自由勝手に動き回っているのではなく、体系の中の存在であり、体系の中で調和を保って運動し、息づいている。
 星の世界も、中小さまざまな社会を構成し、やがては大宇宙という大社会を構成して、その見事な秩序の下に存在しているのだ。
 あたかも、人間や動物、植物が常に集団や社会を構成し、それぞれの規範や秩序の下に生活し、生存しているのに似ている。これが即、宇宙秩序である。
[双子座]無に等しい「気」から誕生した原初宇宙
 百数十億年前に逆上って、広大無遍で、調和や秩序を備えた現在の大宇宙は、どうしてできたのか、どういう経過をへて、今に至っているのか述べてみたい。
 原初宇宙の誕生した時、つまり宇宙のはじめには天体などはなく、何もなかったとされている。手掛かりもない空間、混沌(こんとん)とした「気」だけの世界であったとされている。ただし、そこには感覚というものがあり、エネルギーというものが存在していた。そして、原初宇宙は真空状態であった。
 真空というものもまた、「気」の世界にほかならない。真空の状態がだんだん、時空を超えた空の状態へと変化する。空の状態とは、無ではなく真空妙有・真空妙無という、無であり有である状態であり、全くないと思われるほどの「気」の状態であった。
 その頃の「気」というものは、重さもなければ形もなく、何らの手掛かりとなるような「気」ではなかった。薄い、淡い、軽いなどと物理的な表現もできないほど、混沌とした「気」の世界。
 その「気」は、はるかな太古から現在に至るまで、絶えず生きている。宇宙に「気」が生ずる前も後も、「気」なのである。「気」の中には、ある力を物に変えるエネルギーが含まれている。
 エネルギーというものも「気」である。「気」はエネルギーの本質であり、宇宙始源の空の世界に属するから、無限無上の動力源にもなって働く。
 さて、原初宇宙の「気」は、ゆったりとした回転エネルギーによって、動き動かしながら、だんだんと変化していった。漠然としていた原初宇宙そのものが、そのまま回転していたわけである。やがて、回転エネルギーが超高温、超高圧の光の海となり、次いでビッグ・バンと称する巨大な爆発を生じた。
 天地開闢(かいびゃく)については、古代中国の文献にも記述されている。
 はじめに虚空があり、虚空に宇宙が生まれ、宇宙に陰陽の「気」が生じて天地の万物が生成された、と前漢の学者・劉安(りゅうあん)が著した「淮南子(えなんじ)」の天文訓は、伝えているのである。
 現代の著名な天体物理学者たちも、ごく初期の頃の宇宙は全体でも極めて小さく、一滴の露より小さかったかもしれない、と述べている。そして、露の中の超ミニ宇宙に、現在の宇宙の謎(なぞ)のすべてを解くカギが含まれているはずだ、とも述べている。
 「一滴の露より小さかった」ものとは、「気」にほかならない。「気」こそは現在の宇宙の森羅万象の根源である、という真理は、古今の時空を貫く不変の理(ことわり)なのである。
 まさに、無から有を生じた、「気」という無から宇宙という有を生じた、といった感じではないか。無から有が生じるということは、しかし、論理的にはあり得ないから、この場合の無は文字通りの無ではなく、むしろ空と呼ぶべきものと理解できるであろう。
 空とは、一見した限りでは無に等しいように思えるが、その内実に有を含んだものなのだ。




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