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■見えを張る勝気 [強気と勝気と弱気]

[TV]勝気の人間は派手好きで見えっ張り
 次は、勝気の人間の解説に移る。
 この勝気型の性格というのは、心理学においてはヒステリー性性格、または顕示性性格ともいわれているものだ。
 勝気の人間は、強気の人間に似て積極的ではある。だが、我が強いだけで、真に自信があるわけではなくて、上辺をてらい、背伸びをする。自己中心的でありながら、他人に暗示されやすく、人のいうままになることも多い。
 派手好きで、見えっ張りといった特徴を持つ性格であるから、控えめに振る舞うよりはパッと目立つことを望み、我慢して耐えることよりもオーバーに発散することを好む。時に何かしら華やかで、にぎやかな雰囲気も漂わせている。
 その勝気型の人間が一人で黙って仕事をしている姿を想像するのより、いく人かの人々に取り囲まれ、朗らかに談笑している姿を思い浮かべることのほうがはるかに簡単である。
 談笑といっても、彼がニコニコと笑って聞いているのではない。その場の中心にいて、話して聞かせているのである。そんな時の彼は、きわめて幸福そうで得意満面である。
 会話はなかなか気がきいていて、教養ありげに見える。浅くても広い知識、誰かの受け売りであっても、新しい話題の一つや二つをいつも用意している。特に最近、評判になった小説や映画、あるいはスポーツなどについては、どこで仕入れたのか、専門的な批評もすれば、細かな裏話にも通じている。
 その上、彼の話術は巧みである。時々、気のきいたユーモアや、流行しているテレビのコマーシャルなどの要素をさりげなく入れ、大仰なゼスチャーも身につけている。
 顔の表情も豊かであり、全体として知的で利口そうに見える。周りの者が彼の話に聞きほれていればご満悦で、相づちを打ったり、彼が期待しているような質問をしてくれれば、ますます上機嫌になる。
 勝気型の人物の第一印象は、ざっと以上のようなものだ。社交性も目立つ特徴であり、それに若干の虚飾が加わっている。
 調子よく、幸福そうであるが、話の内容には不思議に彼自身のこと、しかもその自慢話が多い。名家の出だとか、東大の出身だとかいうことが、別に聞きたいとも思っていない人に対しても、度々、繰り返して語られる。
 自分についての話題が展開していく中で、その内容には時々、うそが混入する。背伸びや誇張はしばしばであるし、大仰に感情を表現したりもする。友達の一人に聞いた話をさも自分の体験談のように、ほかの人に話すこともある。
 勝気型性格者の誇張癖のある会話には、酒飲みが好機嫌で話すような無邪気で、たわいない自慢話とは違う印象を受ける。自分が苦労したこと、皆に感謝されていること、自分の才能が優れていることなどを無理にでも相手に認めさせ、敬意を払ってもらおうとする、執念のようなものすら感じられるのである。
 「周囲に注目されたい。皆にほめそやされたい」という望みは誰でもが持っているが、自己顕示性を特徴とする勝気の者は、それがきわめて強いのである。
[TV]弱者にいばり、強者に迎合する性向
 常に、優位に立って相手に望もうとするのが勝気の人間ではあるが、危険を感じた時、また不安に駆られる時には虚勢を張る。弱い犬がほえて強く見せようとする場合のような一種の偽態であり、弱いにもかかわらず、強いように見せることによって危険に対処する。
 この性格の人間は、弱いと思う相手や目下の者には圧力を加えたり、いばりながら、強い相手や目上の人間には迎合し、恭順を示す。低姿勢の態度によって、強者の同情を求め、攻撃を避ける。誰が権力者で、何が時代の動向であるかといったことを敏感に察知し、「いつでも日の当たるところにいたい」と願う。
 加えて、この型の人間は概して、人の好き嫌いが激しい。自分を受け入れ、自分を称賛してくれる、いわゆる取り巻きと、「自分の心の内側を知っているのではないか」と、不安の念を持たざるを得ないような苦手というものを区別している。
 苦手の人には心の底を見通されないように用心する一方、裏に回ると盛んにその人物の悪口をいう。上司に取り入って、同僚のことを中傷するようなことを平気でいったり、したりするのである。
 「多くの人から尊敬と注視を浴びたい」と思っている者にとって、最大の脅威は自分より実力のある者が身近に出現することである。けちをつける、中傷する、故意に無視するという一連の反応が、ここにおいて展開する。
 彼らは一般に、自分の非を認めない。思い通りにいかない時、彼は「自分の能力が十分でなかった」、「自分のやり方が悪かった」というように、自分の側にその原因があったとは解さないで、「相手が自分に意地悪をした」、「誰かが自分を悪くいった」と思いがちである。
 そして、いよいよ自分の立場が悪くなると、「風邪を引いた」、「腰が痛む」などといって、結果的には具合よく病気になってしまって、病気の中に逃避してしまう。
 勝気型の性格者には、誠実さというものがない。華やかではあるが、どこか暗く、温かそうでいて意外に冷たく、にぎやかなようでいて孤独である。
 彼を利用する者、彼にへつらう者はいても、心の通い合う友人はいない。他人の中にある自分の評判を気にし、真の自分自身を見詰められない、むなしさと焦りとがある。
 一見、社交的で、親切そうにも思える。時には、実際に面倒も見てくれる。しかし、こんな時にも、彼らは親切にしてやったことを忘れない。「自分はあの人に情けを掛けてやったのだ」、としゃべりまくる。素朴な人のよさとか誠実さというものと、彼らは最も無縁である。
 さて、先の強気の場合と同様に、同じ勝気の人間においても、その勝気の要素の多少によって、性格の違いも認められるところだ。
 純粋の勝気の場合は、外向的で、行動的であって、不安を感ずることがない。火事など騒がしいことが街で起こっているという時、極端に勝気の人間は、つまずくことを恐れずに飛び出す。このような性格の者は、劣等感を持つことがない。
 弱気の混入した勝気の場合は、弱気があるため、かえって勝気の持つ虚栄心はいちじるしくなる。自分を実際より強く、また、よく見せようとする自己誇示的な傾向が強まって、劣等感を補おうとする。
 逆に、強い者には自分を弱く見せたり、甘えたりして、その擁護のもとで危険を避け、安心を得ようとするため、劣等感を持つ子は親に甘え、成長してからは夫や妻に特別の愛着を持ち、先輩や教師にも甘えることがある。
 結局のところ、勝気の人間というのは、大人になり切れない、未成熟な性格の持ち主といえるだろう。




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