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■目は最重要ポイントである [人を見抜く]

[がく~(落胆した顔)]人のすべてが目に反映される
 人間の資質、性格を洞察する観相上で、最も重要なポイントは、何より目である。
 人間を見る場合、言葉のような表面的な要素だけではなく、言葉の裏に隠れている部分、内面を見ることが大切で、「目は口ほどに物をいい」といわれる通り、その人の精神状態、性格、情感、本音がすべて目に反映される。人間の賢愚、気力が一点に集まるところも目である。
 その昔、禅宗の始祖である中国の達磨(だるま)大師は、「貴(素質)と寿(生命力)は神(目の輝き)を見よ」、と喝破した。「目は心の窓」ともいわれ続けてきた。言い古された言葉ではあっても、千古不易、万古不易の真理である。
 現代社会において、人間の体の一部だけ出して、相手が誰であるか当てっこをするゲームをしても、一番よく的中するのは目なのである。それは、関心の程度を表すと考えたらいいだろう。
 日常生活でも、口は動きでごまかしがきくが、目はちょっと腫(は)れただけで、不機嫌そうにも、体調が悪そうにもなる。わずかの変化が表情に出るところなのである。何をするにも、まず相手の目を見ることだ。目は口のようにうそがいえない。
 かくのごとく、目は顔の部分の中で、観相術における最重要の個所であるだけに、古くから説かれている判断例もきわめて多い。
 例えば、古い観相では目の形について、鳳眼(ほうがん)を最高として以下、竜眼、牛眼、羊眼、蛇眼など、あるいは、三白眼、四白眼、雌雄眼その他、細かく分けて眼形を規定している。
 意味づけの面でも、「象のように細く、切れの長い象眼は思考力があり、慈悲深い」、「左右ふぞろいの雌雄眼は人を裏切る」、「三白眼は剣難の相」のような古典観相法から、「目の上瞼(まぶた)の線が真っすぐなのは金もうけが上手」、「二重で大きい目は異性におぼれる性格」といった新観相法まで、まことににぎやかである。
 最も大切なのは、顔の中心に垂直の線を引いた時、目だけは寸分のずれもなく、左右同じ高さについていることである。目に限っては、ちょっとでもずれると社会性、道徳心が欠如してしまう。
 次に、横に長く、必ず目尻のところに切れ目があること。たまに切れ目の見えない人がいるが、非常に危険で、いきなり火をつけたり、女性のスカートを切るのは、このタイプとされる。
 眼球に関しては、白目の中に黒目があるが、この黒目は上下の両瞼にかかっていることが望ましい。下が白目の下三白眼は怜悧(れいり)な頭脳を持っているが、冷たい。上の白目が出ているのは愚鈍。「剣難の相」とまで断定する必要はないが、三白眼はあまりよくない相といえる。
 大事なのは、黒白分明といって、黒目と白目の境目がはっきりしていることで、これは頭脳明晰を表す。
[がく~(落胆した顔)]大小、長短などの目の形で見る観察
 さて、目の形の大きさ、長さ、両目の間の広さである目間、眉と目の間の距離の四つで見る人間観察法を紹介しよう。
 最初の目の大小については、小さいよりも大きなほうが、万事を大局的に見通すことができるのでよいとされる。大きい目は「芽が出る」といって喜ばれもする。
 しかし、小さい目のほうが忍耐力、持続力を持っているから、コツコツと努力して、最終的には成功する可能性が高いと見ることもできる。とりわけ、細いけれども強い光を持つ竜眼と呼ばれる目は、超大物になる相とされ、田中角栄・元首相などはこの目を持っていたといわれている。
 また、目が大きい人は、表現力に富んでいるといえる。この場合の表現力とは、話し言葉や身振り、あるいは音楽や絵画、造形といった直接的な表現力のことを指す。
 タレントや舞台俳優や画家などに目の大きい人が多いのは、誰しも気づくことであろう。表現力があるということは、同時に感情移入が簡単にできる体質であるわけで、俳優や歌手が役や歌に没入して涙をこぼせる原因に数えられる。独創的な、超現実派の絵画世界を開いたピカソやダリなども、大きな目の持ち主で、おまけに感情表現が率直で大仰なことでも有名である。
 逆にいえば、こうした目の大きい人は、ポーカーフェイスが不得手だといえる。柳に風と無表情を装ったり、うそをつくのが下手である。一方、目の小さい人は表現が直接的でなく、内向し屈折して出てくるので、顔を眺めていても内心がつかみにくい。
 もっとも、目の大きい人の中には、お得意の表現力を駆使し、芝居を演じて他人を欺くようなやからもいるので、その点は注意が必要だろう。
 さらに、目の大きい人は感情が率直に表現されるだけに、開放的性格であることが多く、恋愛などに関しても積極的で、うじうじしない性格といえる。これに対して、目の小さい人は感情が内にこもってしまうため、他人の手を借りないと自分の恋情を告白できないような消極さがある。それだけに、かえって強烈な情熱になる場合もある。ともあれ、目は大きいほうが明朗で、社交性がある。
 目の大小の次は、目の長さによる人間観察法の基本である。目頭から目尻までが長い人、あるいは俗にいう切れ長の目の人、こうした長い目の持ち主は、考察に奥行きがあって、物事をじっくり見ようとする性質がある。自然、洞察力に富むことになる。
 しかしながら、いくら長い目の人が洞察力に優れているといっても、目の鋭気を極度に欠く場合など、彼のじっくりとした考察は、いわゆる下手の考え休むに似たりの結果に終わりやすいのは仕方ない。
 反対に、目の長さが短い人、いわゆるドングリ眼、リス眼などと呼ばれる短い目の人の特質は、物事を速断する傾向が強いこと。つまり、直感した瞬間に判断を下して行動するといったタイプなのである。
 人間観察を重ねて帰納される結論は、じっくり型の長い目、速断型の短い目ということだ。
 目と目の間、目間については、広いほど妥協性が強くなったり、物事を大ざっぱに見ようとする傾向が強くなるといえる。逆に、目と目の間が狭いほど妥協性が減じてゆくし、物事を細密に追求しようとする傾向が強くなるものである。
 時間の約束でも、広いタイプは多少の遅れなど気にしないで、のんきに構える面があり、狭いタイプは厳格に守ろうとイライラするところがあるはず。大局的に見ようとする楽天型に通じる面があるタイプと、ひたむきに思い詰める悲観型に通じる面があるタイプということである。
 面白いのは、人間というものは日常生活の中でも、遠くを眺める時や大局的な判断を下そうとする時、子供や孫などを心を広くして眺めている時には、いつしか目間も広くしていること。これに反して、物を細かく見る時や他人の行動を探る時、相手の欠点を見逃すものかと目くじらを立てる時は、必ず目を寄せて目間を狭くしようとしているもの。
 眉と目の間の距離についても、短くなるほどに、心配事が増えて喜びが小さい。目と目の間の広い、狭いと、同じ性格傾向が認められるのである。
[がく~(落胆した顔)]光輝、鋭気などの目の質で見る観察
 以上、目の形による観相法を述べてきたが、旧来の観相法について総じていえるのは、目の形に捕らわれて目の質を忘れていることだ。
 目の場合、目の形とともに、眼球の中の黒い部分である、瞳(ひとみ)の質という方向からも観察する必要がある。瞳の質に関しては、光輝、鋭気、和気の三つを見ればよい。
 目に三つのうち一つか、それ以上の要素がない人間は、社会で成功する可能性はきわめて低いと断言せざるを得ない。言い換えれば、成功する人間は、三つの要素のうち必ず一つは有していなければならないし、備えているはずなのである。
 第一の目の光輝、輝きというものは、その人間の気力、すなわちエネルギーの充実を示すものである。子供や思春期の若者がキラキラと輝く目を持っているのは、過剰エネルギーにあふれているためだ。充実したエネルギーは、向上意欲をかき立てる原動力となって、人を奮起させるのである。
 往々にして、異常性欲者やヤクザなどに血走って、油光りにギラつく目の人がいるものだが、その不気味で、下卑た感じの目は、輝きのある目とは全く異質。
 つまり、普通にキラリと輝く、清潔感のある目であればよいのである。しかし、一般に年を取ればエネルギーが衰えてくるのは当然だから、年配者に青少年のような輝きを求めるのは無理というもので、静かな光がその目に宿っていれば上等である。
 目を観察する時は、まず光輝、輝きの有無を確かめてみよう。目に輝きを失わない人は、必ず上昇運をつかむ人なのである。この目の輝きは、持続的な向上意欲の存在を証明するものといえる。絶えまざる向上エネルギーのもたらす成功の可能性は、きわめて高い。
 反対に、年配になってからならともかく、若いうちから目に輝きがないような人物は、将来が気掛かりである。
 第二は目の鋭気。鋭気とは、目に澄明で、どこか鋭い光のような感じがこもっていることで、それは知力を表している。鋭気のない目、すなわち、どんよりとして焦点の定まらないような目は、愚鈍さを表す。
 もともと、鋭気は人間の大脳の集中力が目に表れた現象である。だから、例えばスリが他人の懐中物や品物を狙って、鋭い目になっているのも、その集中力のゆえの悪い鋭気である。
 また、普通の人で目の鋭い感じが露骨に出すぎる人は、狙いすぎているもので、目先の利害に敏感である。しばしば大局的な視点を失いがちなので、注意しなくてはいけない。
 鋭気は、落ち着いた平明な感じで、目に表れているのが最上である。鋭すぎるのは、あまり感心しない。もっとも、ここ一番といった勝負の時に、高揚された集中力の結果として、一時的に猛烈に鋭くなるのは別である。
 失職、倒産、落第、失恋、死別などといったショックによって、一時的に目から全く鋭気が消えてしまう時があるが、こうした場合は、しばらく時間をおいてから観察しなければならない。そのあたりは、常識として判断してもらいたい。
[がく~(落胆した顔)]目に優しい和気がある人は成功する
 目の質を見る第三の観察点は、目の和気。和気とは、目のうちに落ち着いた感じや、和やかな感じ、優しさで包むような感じがこもっていることである。
 この和気は何よりも、バランス感覚に富んだ人間であることを示している。バランス感覚という作用は、他人の立場へ自分を置いてみるという意味を内包している。従って、公平な、片寄りのない判断ができることで、道徳性や常識性も高いといえる。
 和気に富んだ目の人は、知能程度が普通の水準であっても、いつの間にか人間関係によい結果が生じ、他人からの信頼も高まって、思い掛けない成功を得るもの。先の目の鋭気も、和気と結びついた時に、特にその力を発揮する。つまり、大局的な視点を失い、先走りに陥りやすい危険性を、バランス感覚が取り除いてくれるのである。
 失敗の少ない人生、大きな成功が期待できる人生、それをもたらすのが、和気のある目である。
 反対に、いくら才能があっても目に和気の見られない人は、いつしか周囲との調和が破れたり、独りよがりに独走してしまったり、孤立したりといったことになりやすい。
 さらに、和気とは正反対に、目にすごみの見られる人間が時折いる。和気を全く欠いている上に、悪い鋭気が露骨に出る結果、そうなるのである。めったにこうした目に出くわすことはないが、すごみのある目の人間には警戒する必要がある。
 こうした光輝のある目、鋭気のある目、和気のある目、あるいは、どんよりした目、きつい目、すごみのある目といった人間の目付きの要因は、瞳孔(どうこう)との関係が大きいもので、日本人は虹彩(こうさい)が茶褐色の茶色目が多く、その中の黒い瞳はわかりにくいが、その開き具合で心の動き、関心度を知ることもできる。
 かつての中国では、ヒスイ商人が客の瞳が開くのを見ていて、すかさず値を釣り上げた。そこで、買い手は瞳を見られないように、ベールをかぶって取り引きするようになったという。それくらい瞳は心の動きを表すのである。
 すなわち、人間は興奮したり、楽しいと瞳を開き、つまらないと閉じてしまう。生理学的にいえば、興奮したり、びっくりしたりして緊張すると交感神経優位になり、瞳が広がるのである。瞳が広がるということは、商品に魅力を感じているということで、現代日本の宝石や車のベテランセールスマンも、客の瞳を見て商売をするとよくいわれる。
 また、きつい目というのは、瞳が閉じている状態で、いわゆるヤクザの目は、例外なしに瞳は小さいものだとか。
 その点、きつい目の人間というのは、自己意識が強いために圧力ができ、圧力ができれば目の中に圧力が入ってくるから、きつくなったり、さまざまに変化しやすいのである。自己意識の強い人は、目が濁って、妄想が渦を巻いているものでもある。
 一方、すっきりと、素直に生きている人の目は、おのずから澄んで美しく、青空のようにすがすがしいものである。




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