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■笑いで円滑な関係を取り結ぶ [性格判断のノウハウ]





[exclamation]互いに「気」でつながる人間関係
 自己性が強いと、それはみな欲になってしまう。悠々として地金のままで世渡りしながら、自然作用的な「気」を豊かにして生きていけば、好き嫌いや疎むということもない。
 それは自然の「気」。いかなることがあっても、人と人との和を欠くようなことはない。差別を知るから、常に平等でいることができるのが、自然の「気」なのである。
 人間は、動物や植物に対しても、「何となく気に入らぬ」、「気に食わぬ」ということがある。「気に入って」、好きでたまらなくなることもある。
 同じ人間に対しても、「気に入る」、「何となく気に掛かる」、そして「気が合う」、「気遣う」など、人間関係のジョイントとしての「気」の効用をいう言葉を使う。
 反対に、「はじめからどうも気が合わぬ」、「気が染まぬ」、「気兼ねする」などということもあって、出雲の神の気をもませることもある。
 すべては普遍的な「気」の働きなのであって、宇宙の森羅万象とも「気」によってつながっているのである。「気」でつながるとは、肉体でこそ知り得る味で、自己意識の強い人には、この味は体得できない。
 人間は生まれてから死ぬまで、「気」のお世話になっているのに、その醍醐味(だいごみ)に気づかずにいる人は不幸である。
 人間は本来、おのおの「気」でつながるべきものである。「気」を働かせるコツは、相手が黙っていてもその「気」を察し、相手の望むように振る舞うことである。
 「気を合わせる」ということも、実は相手と呼吸を合わせることで、これが調和関係にある、安定した人間関係の根本である。
 ところが、現代人は「気」でなしに物でつながる。政官財が金でつながる。権力でつながる。趣味でつながるのは、まだしも上等の部類に入れねばならない。
 また、口先では「気が合う」などといっても、その「気」と称するものが多分に意識的な、社交辞令的なものであることも多い。何よりも「気」というものについての認識が欠如しているから、聞きかじりの言葉として使われているような気味合いもある。
 人間の内なる世界と、外なる自然との統合はもとより、肉体と精神との根源的統一も、「気」が存在するからこそ可能なのである。
 人間の腹には、宇宙から吸収された「気」がプールされている個所がある。昔から臍下丹田(せいかたんでん)を気海というが、活力の源泉はすべて、そこから湧き出すものである。
 胸中に「気」を集めず、丹田に「気」を集めるよう心掛ければ、自然に「気」が養われてくる。
 そして、人間同士の「気」の流れ、「気」の交換というものは、肉体の健康、家庭生活、社会生活の中で最も大きな価値を持っているものである。親子や師弟というような、縦の差別の中に流れる「気」の関係というものは、計り知れない大きな働きを持っている。
 「気分のいい人」とか、「気性がいい人」だとかというように、人間は天候、気候と同じように気性に支配されることが大きいから、誰もが楽しい気性を養わなくてはいけない。楽しい気性を養えば、人のよいところが見えてくる。
 「君子」と「小人」ということもいうが、君子とは人のよいところのみを見る人、小人とは人の悪いところのみを見る人だという説がある。私たち人間はふだん、人の短所を見ることのほうが多くて、長所というのはなかなか見えないものだから、人間全体を善意で見ることを日頃の心得として、修養のポイントと考えてもいいのではないか。
 いい人と付き合う、あるいは、すべての人のいいところのみ見ていくということを、今後の指針としていきたいものである。
[exclamation&question]表情を明るくすれば肉体も環境も変わる
 現代の混濁した人間関係を矯正するために望まれるのは、他人の長所を見るようにし、自らも楽しい気性を養うように心掛けるとともに、穏やかな表情や、ほほ笑みを浮かべるように努めることである。
 言い換えれば、人間というものは、その心が顔の表情に出てくるのであるから、顔を軽んじてはいけないということだ。
 仏頂面、渋面はいけない。いつも苦り切った顔付きをしている人などは、できれば自分の表情を変えるために、和やかなほほ笑みや、明るい笑顔を習慣的に訓練してみたらどうだろうか。
 毎日、ただ自宅の鏡を見て、意識的に笑い顔を作る練習をやるだけである。経費も税金もかからないし、やがては健康がよくなり、家庭がパッと明るくなり、夫婦や子供の生活まで一変するから、ぜひ試してもらいたいのである。
 私たち人間全員に本来的に備わった自然力としての笑いの能力も、開発されないことには、顕在化することはない。
 例えば、家庭の中で誰かが大声で笑っていた時に、「慎みなさい」と責める主がいた場合、家族は大声で笑うことを避けたり、口に手を当てて潜かに笑うということになり、抑制すべきものと受け取られてしまう。
 逆に、大きな声で笑うのも自由、笑わせるのも自由という家庭で育つと、笑いを積極的に肯定する態度が生まれることになるだろう。
 普通、「笑いについて学んだ」という人はいないはずで、親であれ、教師であれ、大概は自覚しないままに、それまでに身につけてきた仕方で、子供に接するまでのことであろう。ここで、大人たちの文化、大人たちが生きる社会の文化が、笑いの能力開発に大いに関係するのを知るのである。
 さて、誰にも好意を持たれぬ人が、「いったい自分の顔のどこが、人から嫌われる人相の悪いところであろうか」と、鏡に向かってつくづくと顔を映して研究したところ、まず眉間(みけん)にシワが寄っていることに気づいたという。
 そこで、常に眉(まゆ)を伸ばすように努力したが、習慣的にまた、いつの間にか眉間にシ ワを寄せてしまう。
 最後の工夫で、眉を左右に伸ばしてバンソウコウをコメカミのところへ張った。眉間をしかめようとすると、コメカミのバンソウコウが突っ張るので、自然に眉間を伸ばす訓練ができ、それが習慣になって、ついに眉間のシワが伸びて明るい表情になったというのである。
 さらに、その人は自分の言葉遣いを優しくし、しかも語尾まではっきりわかるように発音するようにし、姿勢を正しく、シャンとすることも心掛けた。
 その時分になって気がついてみると、自分の胃病がすっかり治っていただけではなしに、奥さんのヒステリーまでも治ったそうである。
 本当に、顔の訓練をして表情を変えたり、笑う習慣をつけたりすると、肉体も環境も変わるのである。
[exclamation×2]円滑な人間関係は、ほほ笑みが取り結ぶ
 「人間は笑う動物である」というのは本当である。だが、「人間は笑うことのできる唯一の生物だ」というわけでもない、と説く学者もいる。
 チンパンジーやゴリラは、遊び顔をして仲間同士遊ぶし、くすぐられたりすると口を開け、 「アハハ」と声を立てて笑うという。
 喜怒哀楽の四大感性の中で、最も表出しやすいのは怒りの感情のようで、これは大抵の動物が表現できる。笑いに近い表情をとれる動物は、社会性に富んだものたちだ。笑いが表出できるのは、精神活動の発達の証拠でもある。
 すなわち、笑いの感情を示すことができるのは、高等動物の証明ということであり、その笑いの感情を人間は持っているのであるから、素晴らしいことである。
 怒ったからといって、広く動物にも見られる感情なわけだから、決して自慢できるものではない。笑いは人間が自慢できる、優れて人間的な能力といわなければなるまい。
 そして、人間同士が心のこもったほほ笑み、あるいは豊かな言語によって、温かい気持ちや感謝を伝え、心を通わせることができる。
 人間関係の潤滑油とも考えられる笑顔を使わず、まるで無表情に押し黙っていたり、「男はめったなことで笑うな。三年片頬(ほお)といって、三年に一回、片頬で笑うぐらいでよい」などと教えるのでは、いたずらに宝の持ち腐れを奨励しているようなものである。
 とりわけ日本人男性には、「おかしくもないのに笑えるか」というような厳格主義にとりつかれている者が、今日でも少なくない。
 このような堅物は、企業、官庁、学校の管理職にはけっこうおられよう。それでも不愉快な会議をしたり、部下や生徒に説教を垂れた後の眉間にシワの寄った顔を鏡に映して、ニヤリと苦笑するくらいの余裕はほしい。
 ともかく、個人によって、よく笑う人、笑わない人という程度の差はあるにしろ、誰でもが笑う能力を持って生まれ出てくるのだ。
 その優れた能力が、後において開発されて十分に顕在化するか、何かの障害によって潜在化したままであるかの違いはつきまとうが、基本的には人間は誰でもが、笑いの能力を持っているということを確認しておきたい。
 遺伝子という言葉を使うならば、笑いの能力は人類の遺伝子の中に刷り込まれているとも考えられる。人類が長い歴史を通じて進化をとげてきた過程で、笑いの能力は生存していくのに必要だからこそ、残り続けてきたわけであろう。
 私たち人間が生きていくのに、なぜ笑いが必要なのか。
 一つには、個人が生きていくためには、心身ともに元気で過ごすこと、健康に毎日が暮らせるということが何よりも大事で、そのために笑いが欠かせないのである。
 最近、精神的にも肉体的にも、笑うことが医学的な見地からして大切であるとい うことが、証明されつつある。大いに笑うと、免疫担当細胞として働くNK細胞が増えるという知見も、その成果である。
 もう一つには、人間は共同生活を営んでこそ生きていけるわけで、その共同生活を営む上で、笑いが欠かせないということである。夫婦の間であれ、親子の間であれ、他人との接触や交渉であれ、関係を親和的に取り結ぼうとすれば、笑いが必要となる。
 人間関係には、大なり小なり緊張がつきまとうものであり、硬い気持ちを和らげさせる仕掛けがないことには、共同生活を円滑に営むことはできない。
 日常生活の中での個人と個人の話し合いでは、笑みを浮かべたり、相づちを打ったり、時には声を出して笑い合ったりして会話が進む。もし、笑いの表情が全くないとしたら、その話し合いは、命令的か、けんかをしているか、いずれにしろ緊張をはらんだ関係ということになろう。
 協調としての笑いが交ざってこそ、円滑な人間関係が取り結ばれる。




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