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■感覚力を生かして発想する2 [頭を鍛える]

[soon]アイデアを生む「気」の原理
 私のいう「気」というものは、知情意の源泉であるけれども、その本質は宇宙始元の空の世界に属し、無限無上のエネルギーである。そのような目に見えない「気」エネルギーは、人間の肉体の空意識層に入り、自己の無意識層において人間の生命力に切り替えられて蓄積される一方、私たちが生きているところの実社会で体験し、毎日感受するものは、そのまま意識を構成し、あるものは潜在性意識に蓄積されて、生まれてから今日までの生活体験のすべてがイン・プットされているのである。
 この私たちの体内の空の領域、すなわち無意識層および潜在性意識層に蓄えられた、たくさんの知識や意識や体験は、体内の隅々にまで充満していても、それは空の世界だから少しの容積もなく、重量もないので、いつもは忘却のかなたにあることが多いのである。 それが思い掛けない時に、思い掛けないイメージとしてひらめくことがある。それは自己の意思や意識が放下され、半意識の状態にある時にしばしば生じることは、すでに述べてきた通りである。
 これは、空の世界に蓄積されているものが、空から色へ、色から空へと自由に次元を超えて、瞬時に交流(ひらめき)を生ずるからである。それは空世界の真理現象といえる。
 「気」のこのような本質を知れば、私たちは目に見える日常の目先のことに気を使いすぎて、気疲れする生活はほどほどにして、「気」を豊かな想像力として発揮して、創造的に日常の中で自由に生かすようにしたいものである。
 「気」をあまりに知性や意思や感情に結びつけ、自意識を目いっぱい働かせ、自力本位に生きるよりも、空世界のエネルギーを上手に発揮する生活、他力本願の宇宙真理生活を目指すほうが、楽で賢明で、創造的である。人間は、知識や意思や感情で何々すべきであるとか、何々がしたいと、「気」をそのようなものに従わせる社会生活を身につけているが、もっと大きな想像力に結びつけて、空の世界に遊ぶ人のほうが素晴らしい業績をなし、豊かな人生を送っていることに注目してもらいたい。
 そもそも人間には、空の世界から「気」となって到来するものがたくさんあり、物事となってくる前に、必ず「気」が働いている。この「気」というものは他力である。他を利する「気」、他利気ともいう。自分を利する「気」、自利気、自力というのも、実は「気」である。この他力と自力はつながっており、他力即自力となって働く。
 宇宙大自然や人間社会の他力を察し、把握し、うまく利用して自力とすることができれば、すべてが機会となる。アイデアや発明、発見の発想が、体内の空の世界からいくらでも発動するようになる。
 だが、他力に通ずる根本の原理、要領を知らずに、目的のみに向かい、結果を急いでも、他力は求められないものである。いろいろな企画会議などでも、「さあ、よいアイデアを出さなくては」などと改まると、意識ばかりが気負い立って、いいプランは決して出てこないものだ。
 タバコ一服、お茶一杯、まるで関係のないようなことを気楽にしゃべり合っているうちに、突拍子もないところに連想が次々に飛んで、虚空からヒョイヒョイと名企画が生まれてくるというのも、この他力の消息を示す好例だ。
 私は、何の修行もいらずに他力を得る方法を伝えたい。他力を求める原理、要領とは、自然作用にほかならない。自然作用を無視しては他力は得られないことを知らなければならない。自然の作用は頼りないように見えるけれども、決してそうではない。常に肉体を調整し、意識を秩序的に守っているのは、この自然作用である。
 自然の食物をとる。自然の姿勢をとる。自然の呼吸をする。自然の睡眠をとる。自然の「気」に触れる。自然の動植物と親しむ。自然の音楽を聞く。自然な考え方をする。自然の成り行きに身を任せる。自然を友とし自然を師とする。
 深く微妙なところまで自然作用が円滑に働くならば、現象界はもちろんのこと、見えない世界まで知ることができる。全身の細胞が活性化されて、下半身にある他力層の働きが充実し、上半身の自力層につなげてゆくからである。宇宙の「気」エネルギーという他力が、即自力となってゆくと、素晴らしい働きをしてくれるものである。
 自然作用によって、常に青空のように心を空にした人にとっては、宇宙エネルギーという他力で、目に見えるものことごとくがアイデアの世界となる。
 この青空とは、空寂世界のことであり、空寂という状態においては、肉体が宇宙の「気」エネルギーを盛んに吸収し、蓄積しているのである。物事に相対した時に、当意即妙に解決することのできる判断力が生じてくる。ここにこそ、真に役立つすべての名案、素晴らしいアイデアの源泉がある。
[on]電車やデパートは発想の宝石箱
 ここまで、直観を重視したアイデア発想法を説明してきた。
 日頃から真の感覚力を養って、無から有を生み出す「気」働きで発想すること。朝の目覚めの時などに、半意識状態の素晴らしい感覚からひらめきを得ること。アイデアという他力を求めるには、常に肉体を調整し、自然作用が働くように心掛けること。以上が要点であったが、アイデアや企画を生み出す日常的な方法や工夫は、ほかにもいくらでも考えられる。
 アイデアを生む心構えとしては、大胆不敵になることが必要であろう。アイデアや企画などというものは、仮説を作る作業であるから、奇想天外な仮説を発想する能力も求められる。融通のきかない人間は、とっぴなことを考えられないものである。
 アイデアマン、企画マンなどは常に、「この世の中にこんな物があったらいいなあ、なかったらいいなあ」といった、あり得ない仮説を立てて、そこから派生する現象を考える訓練を積むことである。やがて、あなたの脳の中で、非凡なアイデアや企画を生み出す能力が醸成されてくることだろう。
 次に、アイデアマン、企画マンには過去の経験や知識も、なるほど大切な情報であり、多ければ多いほどよいが、自由自在に使いこなせなければ、無用の長物、宝の持ち腐れであると知ること。
 つまり、ただ知っているだけでは応用がきかない。見慣れない事物や問題にぶつかった時に、すでに持っている知識や経験と比較、分析し、類比の発想から、新しいアイデアを得ることが大切なのである。
 例えば、ダンロップタイヤの創始者、ダンロップは、丈夫なタイヤをどう作ろうかと苦労している時、サッカーボールをヒントに、空気を入れることを思いついたという。
 このように、よく見知っているものの中にも、視点を変えてみると、発想や企画のヒントになるものは多い。
 アイデアに詰まったら、散歩したり、デパートを見て回ったりするとよいといわれる理由も、ここにある。何か、自分のテーマと結びつくものが見いだせるかもしれない。
 その点、各種の車内づり広告があったり、いろいろな年齢、職種の人たちが乗り合わせている電車の中は、発想や企画の宝庫といえるし、人間が考えるのに絶好の場所でもある。たとえ満員電車の中でも、意外に考えがどんどん広がっていくものである。
 電車の中というのは、いくら書類作成の締め切りなどが近づいているとはいえ、決して原稿が書けないのだから、時間に追われることはない。それは開放された無駄な時間であるから、逆に考えがぐんぐん広がっていくのだろう。今まで行き詰まっていた考えに突然明かりが差してきたり、意外なひらめきが浮かんでくる。こういう発想は、次の瞬間にふと忘れることが多いので、思いついたことはきちょうめんにメモしておけばよい。
 そのほかにも、仕事をする上で物事を考えるのに適した場所は、いろいろあるものである。
 頭脳を明敏にしたり、日常業務でない特殊な問題に注意を集中するために、短時間自分一人になって考えたいと思うのだったら、静かな喫茶店を利用するのもよい。先の電車に座席のすいている時間を見計らって乗り、環状線を二、三回回ってみるのもよい。
 天気のよい日だったら、会社の屋上も考える場所になるだろうし、あまり人が混んでいない公園のベンチ、美術館、博物館も、まとまった自分の時間を持ち、新鮮な気持ちで落ち着いて物を考えるのに適している。
[on]アイデアが湧き出る日常生活の工夫
 屋外ではなく自分の会社内で、アイデアを考え出したり、計画を立案したり、問題を解決したり、より創造的な仕事をするのには、機械的方法を用いてみることもいい。
 この機械的方法とは、まず机に向かって何かをしてみることによって、精神にスタートをかけるのである。それには、メモ帳と筆記具を用意して、精神集中の道具とするというテクニックが役立つはずだ。
 私たち人間が紙の上にある考えを書く時には、注意力は自動的に書くことに集中されることになる。脳というものは、一つの考えを考えながら、同時にそれと違ったことを書き出せるようにはなっていない。だから、手で紙の上に一つの考えを書いている時には、心の上にもそれを書いているのである。書き出してみると、ずっと長く、ずっと正確に、内容を記憶していることが何よりの証拠である。
 こうして、ひとたびすぐ書き出せる習慣を身につけてしまえば、新聞記者のように、ざわついた中でも、その他、気を散らすどんな環境の中でも考えることができるようになる。精神を集中して考えたいと思った時には、いたずら書きでも何でもよいから、何かを紙に書いてみることである。
 その上、物を書くことは、自分の考えを系統立てて整理するのにも役立つ。発表の席でも、自分の考えをただ口に出して述べていくのではなく、重要な点を書き出したり、図解しながら話していくと、自然に頭の中が整理されて、述べる考えも系統立ったものになってくるから不思議である。
 次に、アイデアを生むためには、異種体験を積むことも大切である。ビジネスマンが会社の仕事だけに忙殺され、飲みにゆくとしても上司や同僚が相手というのでは、刺激が少なすぎて、どうしても知らぬ間に狭い世界に閉じこもりがちになるので、発想の視界は狭くなるばかりである。
 多少無理をしても、異業種の人間と付き合うことも、豊かな発想を生む、一つの方法である。全く違った世界の人に接するのは、頭の活性化のためにもよい。最近は勉強会と称して、異業種同士での集まりが盛んだから、積極的に参加してみるのもよい手である。
 また、発想の井戸を増やすためには、趣味として、俳句や短歌を作るのもいいかもしれない。外国語をマスターするのもいいかもしれない。
 さらに、発想や創造性は直観的なもので、右脳の分野に属しているから、日常生活の中で右脳をトレーニングするように心掛けることもよいかもしれない。トレーニングといっても、決してむずかしいことではなく、たやすく右脳を刺激できる方法がある。
 例えば、左手や左足など左半身は、右脳の管轄である。右利きの人は、カバンを左手で持ったり、電車のつり皮を左手で握ったりするだけでもよい。絵を鑑賞したり、クラシック音楽を聴いたりするのも効果的である。
 もっと簡単なのは、うまい物を食べること。これは何も舌の問題だけではない。見た目、嗅覚、歯ごたえなど、右脳が総合的に処理して、うまいと感じさせてくれる。味のわからない人は、右脳の働きが鈍いということなのである。
[end]先見力と情報収集力を育てるには
 発想に相通ずる先見力と、発想のもとにもなる情報収集力というものについても、触れておこう。
 先を見る力を意味する先見力というものは、特に企業活動において、きわめて重要な意味を持つものである。時々、とっぴすぎて誰からも相手にされないようなケースもあるだろうが、それはいわば優れた先見力の宿命のようなものだ。
 さまざまな情報の中から、独自の嗅覚でヒントを捕らえ、独自のアングルで掘り下げ、先を読む。そうした力は、創造的な発想とともに、現代のビジネスマンに最も求められているものの一つではないだろうか。
 では、発想力や先見力を生み出すもとになる情報は、どのように収集すればいいのか。
 集めるべき情報は、我々の身の回りのどこにでもある。街を歩いていても、家でテレビを見たり、新聞や雑誌を読んだりしていても、仕事をしていてもである。
 ただ、これを自分の仕事にどう生かせるかが問題なのであるが、とりわけ情報で勝負するビジネスマンなら、まずは、仕事上必要な情報がどこにあるかを、嗅ぎ出さなければならない。
 そこで、人間の情報感知能力というものは、人間の五官(五感)、つまり視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚から発揮されるという、基本的な話から始めてみよう。
 心理学者のメトフェッセルは、今から五十年ほど前に、「人間の知識の六十五パーセントは、目から取り入れられる。二十五パーセントは耳から、残りの十パーセントは、触覚、味覚、嗅覚による」と指摘した。
 今日では、活字媒体と映像媒体の発達によって、視覚を通じた情報の受け入れ比重が、一段と大きくなっていると思われる。
 このような情報感知能力は、どのようにして養えばいいのだろうか。情報通といわれる人たちは誰でも、きわめて好奇心が強い。モーターショーが行われるといえば、何はさておき飛んでゆき、国際見本市があると聞けば、すかさず出掛けていく。そこには、現在と未来についての情報が、無数に転がっているからである。
 彼らはあらゆる出来事に関心を持ち、熱心に観察し、メモをとっている。何でも見てやろうの精神は、やじ馬根性にも通じる。新しいものを発見すると、すぐさま試してみようとするのである。
 要するに、さまざまな情報、わけても生きた情報を集めるには、マメであることが第一条件なのである。まず、強い好奇心を持つことが必要だ。「何でも見てやろう」という、やじ馬根性に駆られて、何かあればすぐ飛んでいくといった行動力がなければ、なかなか細かい情報は集めにくい。
 また、好奇心の強い人と話し合うこともプラスになる。気がついたら何時間も話し込んでしまったという経験をするのは、相手が好奇心の強い人の場合に多い。好奇心の強い人は多くの人に関心を持ち、同時に多くの人から関心を持たれているから、自然に大量の情報がストックされている。彼らはひとりでに、情報のギブ・アンド・テークを行っているわけで、お互いに加速度的に情報が累増するわけだ。
 およそ、情報は生身の人間が持っているものだ。特にインフォーマルな情報ほどそうであって、本当に人間好きな人でなければ情報は集めにくい。
 多くの情報が集まる人には、一定の性格パターンがあるようだ。人間の性格をドン・キホーテ型とハムレット型とに分けると、情報集めにはドン・キホーテ型の人が有利である。こういう人は平気で、格好の悪い、ぶざまな情報集めができるし、軽蔑(けいべつ)されることも恐れずに、議論を吹っ掛けることもできる。
 彼の率直な質問の仕方や議論の仕方は、気取った人のそれよりもはるかに人に好かれるものである。人に好かれれば、おのずと豊かな情報が集まってくる。
 こうした純情さと、労力をいとわないマメさこそが情報の源であって、さらに「火事だ」といえば、すぐに走り出すような江戸っ子の腰の軽さも重要だ。
 情報の源であるマメさは、日常生活の中でも大いに発揮してほしい。
 ビジネスマンの場合、奥さんのお供でスーパーにいったら、レジ近くに立ち、奥様方はどんな物を買っているか、いくらぐらい買ったかを見る。床屋にいって、そこの主に世間話を聞く。タクシーの運転手の愚痴をたまには聞いてみる。
 我々は、日々生きた経済の中で生活しているのである。そこから得られるホットで、多種多様な情報を鍛え抜いた頭で体系化すれば、日本経済に関する優れた洞察力を持つようになる。それに基づいて会社の仕事の展開を考えていけば、必ず非常に優れたアイデアが次々に生まれるに違いない。




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