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■感覚力を生かして発想する1 [頭を鍛える]

[phone to]自ら柔軟思考を鍛える努力
 社会人の中には、新しいアイデアを考え出したり、今までにない商品企画を立案したりといった、創造的な仕事に携わっている人も多いはずである。
 こういうセクションにある人は、鋭い着眼力を持ってひらめく、柔らかい頭の持ち主でなければ、役目を果たすことはできない。融通のきかない、常識に捕らわれた固い頭の使い方しかできない人間では、務めを全うできるものではないだろう。
 創造性、独創性豊かで、柔軟な思考力を持つ必要があるビジネスマンこそ、日々、自らの頭を鍛えることを怠ってはならない。
 「論語」に、「学んで思わざれば、すなわち罔(くら)し。思うて学ばざれば、すなわち殆(あやう)し」という言葉がある。これは、他人に教えてもらうだけで自分で考えない人間も、逆に、自分の考えだけで、先人の知恵を学ぼうとしない人間も、ともに伸びないということである。
 つまり、学ぶことと考えることのバランスをとる必要があるということである。
 この点で、現在の学校教育における、知識をできるだけ詰め込むという知識偏重教育も、独創性を生む柔軟思考を妨げているといえよう。知識があっても、それを活用する能力がなければ、独創性は生まれてこない。物まねが単に物まねで終わってしまう危険性は、ここにある。
 他人の仕事などをきっかけにして、自分の中から独創性を引き出すためには、自ら思考を鍛える努力を怠ってはいけない。
 独創的なひらめきを得るための基本が、常に思考を鍛えること、毎日考えることとしたら、その核は問題意識を持つことといえよう。
 発想力に優れた人は、必ず問題意識を持っている。そして、この問題意識があればこそ、勘も働き、仕事に生かせるアイデアも湧いてくる。
 その問題意識を持つためには、ものを感じ取る能力、すなわち感受性を日頃から磨いておく必要がある。
 そこでまずは、人間一般、特に創造的な仕事に携わる人は、感受性を含めた感覚力というものが、あいまいであったり誤ったものであっては、話にならないことを知るべきである。
 真の感覚力が働けば、人はいくらでもアイデアを生み出し、仕事がこなせるばかりか、健康も、長寿も得られる。企業人なら大経営者、スポーツ選手なら超一流のスポーツマン、芸術家なら天才的アーチストになることも、夢物語ではない。
 なぜなら、真の感覚力とは、宇宙性の感覚であり、宇宙の大感覚に直結、直交して、無から有を生み出す「気」働きとなるからである。
 宇宙は無限の空である。星や惑星や衛星が存在するが、天はもともと空であった。その空なる宇宙に最初に現れたものは、感覚である。かすかな感覚から大感覚が生じ、それが一大エネルギーとなってビッグ・バンと称する大爆発が起こった。だから、宇宙の無限の空の中にないものはなく、すべての情報は潜在していた。
 それゆえ、人間にとって、天に通じる感覚力を養うことが何より大切である。何気ない自然の事象の中や、人の何気ない言葉に計り知れない真理が潜んでおり、真の感覚力で得た真理が人間を大きく育ててくれるのである。
[mail to]真なる感覚力の養成が大切である
 その私たち人間の肉体は、厚さ約二ミリの皮膚に覆われている。皮膚の役割は、肉体的生命を内と外に隔離すると同時に、内と外を交流させることにある。つまり、皮膚は自己と非自己を分けて、排除したり、受け入れたりする器官なのである。
 皮膚には、頭部に七つ、下半身に二つないし三つの穴がある。この穴も皮膚の一部として、外界との交流を行う大切な役割を果たしている。一般に五感といわれる皮膚感覚、視覚、聴覚、味覚、嗅(きゅう)覚は、皮膚が有する特殊な能力である。私は、この五感を外部の感覚を感じる器官という意味で、五官と表現することにしている。
 皮膚はもともと、脳と同じ外胚葉と呼ばれる部分から分化したもので、さまざまな能力を持ち合わせている。特に皮膚表面に開かれた穴の周辺は、外部と内部との交流をつかさどる感覚受容器官がびっしり集まっている。人間が感じることのできる外部からのすべての刺激は、この五官を通じて伝わるのである。
 私たちは、感覚というものは自己の内部から発生するものだ、と考えがちである。だが、感覚というのは、皮膚を越え、伝わってくる外部からの刺激であり、皮膚を通して感じる外の世界なのである。外界とは自己を映す鏡であり、言い換えれば自分自身ということになる。人間は内と外をつなぐ感覚器官によって、自己を認識するのである。
 感覚は磨けば磨くほど光るものである。それは、自分を鍛え、知ることにもつながる。現代に働く人は、もっと感覚を重視しなければならない。
 ところが、現代人は一般的に、こういう磨かれた感覚から生じる直観というものについて、理性に劣る精神作用だと思いがちである。直観というものが非論理的であったり、科学的でなかったりするためで、西洋的な考えが論理や科学的であることを優先させてきたゆえでもある。
 しかし、もともと東洋の思想は、知識よりも直観ということを大切に考えてきた。直観とは、いわゆるインスピレーションのことである。禅の修行僧は、問に対して即座に答える訓練をする。俗に問答といわれるこの行為は、知識よりも直観力を高める訓練である。 直観によって世界を理解することは、物事をイメージで捕らえ判断するということ。直観は、無意識の世界に近く、しかも主観的である。東洋の思想が直観を重視するのは、意識の世界には、真の判断を狂わせるさまざまな邪念があると考えたからである。
 ここで、古今東西の偉大な人々の発明、発見は、ただ単に知識や論理から生まれたのではないということを、今一度考えてみてほしい。発明、発見の前には、必ず「ひらめき」という現象がある。優れた直観力がなければ、偉大な発明も発見もないのである。ひたすら知識を吸収し、論理を磨くだけでは、新しい物は生まれてこない。
 現代では、人間の知識や記憶はコンピューターでも代用できるのに対して、磨かれた感覚から生じる直観は人間だけが持つ優れた能力なのである。人生は自分の直観を生かすか否かで、大きく変わってくる。人間の能力は、生かしてこそ価値があるものなのだ。
[fax to]半意識はひらめきを得るチャンス
 ここに、磨かれた感覚から生じる直観を生かしたアイデア発想法を、紹介することにしよう。企画力などを高める発想法にはオズボーンのチェックリスト法、ブレーンストーミング、シネクティクス法などさまざまな方法があるが、これは「気」を利用したものである。
 はじめに、誰も知らない未知を対象にして研究、発見をする科学者などを例に話を進めていく。彼らは、「気」が入っていなければ本当のことはわからない。ノーベル賞を受賞したような科学者や各分野の専門家は、「気」で発するとか、「気」で発見するとかいう意味において、余人に未知なことを知るのである。彼らはみな、それぞれの専門、専門で「気」を磨いている。「気」を利用し、「気」を使って、「気」で探査研究しているのである。
 そういう人たちは、一生懸命「気」を入れて熱中しているならば、朝の目覚めのひとときなどに、素晴らしい感覚から直観を起こしてひらめき、難問解決のヒントに気がついたりする。このような着想、ヒントを得て研究し、成就させる科学者は、鋭い感覚を持っているのである。だから、思い考えるというよりも、「気」を入れた科学的な研究が合理的に続いて、朝の目覚めの時、夜の眠りに入る直前、放心状態などにおいて、感覚を起こして気がつく時、いろいろひらめきを感ずる、ヒントを得るということがある。
 そのような時は、意識が放たれつつある状態であるから、自己意識から五官意識が解放されて、自由に働く。肉体の自然機能が、自然作用として宇宙に直結して、宇宙の大感覚を吸収している。つまり、宇宙に遍満する「気」を肉体が盛んに取り入れているのだ。宇宙の「気」が肉体内で力となって瞬間にイメージを結ばせる、これがひらめきである。
 このようなひらめき、インスピレーション、アイデアを得られるわずかな時間、いや瞬間は、人間が半意識という意識状態になっている時でもある。
 私のいう半意識という状態は、無意識と大変よく似た状態である。精神集中から無念無想に移った時、意識と無意識の交代が行われ、無意識が意識の中に入り交じると、半意識状態が生じる。すなわち、半意識とは、無意識と意識との架け橋になるものである。半分の意識というのではなく、うつらうつらと意識が放たれつつあるような状態をいうわけだ。
 このような状態は日常、私たちが朝目覚める時や、夜の眠りに入る直前などにも、同じ半意識が生じるので、どなたでも体験ずみのものである。が、体験があり、毎日のように経験しながら、専門の科学者や発明家と違って、その本当の価値というものを知っている人は少ない。
 もしも、精神の純粋性を保ち、無意識の中に超自我を体得できるならば、半意識状態の時に真空妙有の宇宙真理が、稲妻のように天と地を結んでいくらでもひらめく。思いも掛けないイメージを受けたり、難問解決のヒントに出合ったりもする。
 無意識のエネルギーが意識界へ流れ出る時、肉体感覚と宇宙感覚とが瞬間的にではあるが接触を繰り返す。これが、ひらめきであったり、素晴らしい宇宙真理であったりするのだ。
[携帯電話]夢の創造力を利用する方法
 この点で、睡眠中に夢を見ている状態も、一種の半意識状態といえる。無意識の内容がいろいろと意識の中へ躍り出して、幻影となって現れているのである。ある意味では、私たちが見る夢の中にも、貴重なヒントやアイデアが凝縮されているといえる。
 なぜなら、夢の内容には、その人が意識的、無意識的に実現したいと望んでいる願望が含まれる場合が多いからである。深層心理学では、無意識の願望は夢を誘発するばかりでなく、夢の内容を決定するという。
 そして、眠っている状態では意識の検閲力は弱まっているから、無意識は現実の制約や、さまざまな日常的配慮から解放されて、自由に活動することができる。このため、目覚めている時には思いもつかなかったようなアイデアや発想が、眠っている間に浮かぶことがあるもの。
 古来、夢の力を借りて難問を解決したり、個性的な仕事をした発明家や芸術家は数多く見られる。有名な例を挙げてみると、作家のスティーブンソンは「ジキル博士とハイド氏」などの作品の構想を夢から得たし、ミシンの発明家であるイライアス・ハイは、先端に穴の開いた槍(やり)を持った未開人に捕まった夢を見たことから、針の先端に穴を開ける着想を得て、開発に成功したのである。
 しかし、一般の人にとっては、よほど印象に残る夢でもない限り、すぐに内容を忘れたり、ヒントに気づかなかったりしてしまう。もちろん、いくらひらめいても、それを理解する知識や日常の努力というものがある程度なければ、意味不明な夢でしかない。
 スティーブンソンのように、夢の力、夢の創造力を利用するには、日頃から問題意識を抱いて、寝床に入っても解決したい問題について考え、心に念じながら眠りに就くといい。
 こうして眠ったら、目覚めた朝、すぐに夢の内容をメモする。たとえ自分の問題と無関係に見えることでも、突拍子もないことでも、思い出せる限り綿密に書き留めておく。そうしてメモを点検して、問題解決のヒントを探せばいいだろう。
 さて、寝ている時のほかにも、トイレの中、電車を待っている時、入浴中などボーッとしている一瞬に、直観的にひらめきを得ている人は数多いものである。
 名案は、真剣に考えている時ではなく、対象から意識が離れ、力が抜けた時に生まれるわけである。つまり、仕事に集中して取り組んでいる時よりも、ふっと気を抜いて自分の好きなレコードを聞いてぼんやりしていたり、風呂に入ってリラックスしている時などに、新しいアイデアが浮かぶことが多いのである。
 アルキメデスが浮力の法則を発見したのは、朝風呂につかっている時だった。ジェームズ・ワットが蒸気機関の構想を組み立てたのは、散歩中だった。ダーウィンが進化論の解答を突然思いついたのは、馬車に乗っている時であった。
 それらのインスピレーションを受けた意識状態が、自己意識を放下して、無意識となった瞬間である場合が多いことは、無意識が意識界に入り込む直前か、意識と無意識の入り交じった半意識の状態にのみ生ずる、不思議な現象だからである。
 半意識というのも、無意識の中へ含めてよいのは、意識はあってもそれは自己コントロールが不可能で、自然現象として受け止めるほかない意識ゆえである。
 いうまでもなく、その半意識の時に生じるひらめきは超感覚的知覚の一種である。
 思考は人為的なものであるが、気がつくことは自然作用である。肉体感覚を高め、五官の働きをよくすれば、宇宙感覚と直結して「気」をキャッチする能力が身につくばかりか、おのずから超感覚も養われ、発想豊かな企画の名人、当為即妙の人生の達人、天才といわれるほどの仕事もできるようになる。




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