■生涯現役の勧め3 [生涯現役を目指す]
真の人生百二十年の原理
自然にも人生にも、春があり、夏があり、秋があり、冬がある。それが当然、自然というものだ。
特に、日本はありがたいことに、四季の別のきわめて明らかな国である。冬は寒く、夏は暑い。春と秋とは同じようであって、同じではない。春の花は秋には咲かない。秋の虫は秋にしか鳴かない。
自然の四季に、それぞれ美しさ、楽しさがある。地球の軸が二十三度あまり傾いていることによって、地上に春夏秋冬という季節の区別ができ、植物はその時その時の花を咲かせ、季節ごとの鳥が歌う。春に、小鳥のさえずりが耳に入る。快く、楽しい。秋に、咲いている花を見て、「ああ美しい」と思う。
同じように、人生の四季にも、年齢や時期に応じた美しさ、楽しみがある。一年に四季あり、一日に四期あり。朝は春、早起きせねば春を失う。夏に稼ぎ、秋に収穫。冬も早く冬眠しないと「健幸」を損ずる。そのいずれの季にか、それぞれの特徴があり、真善美楽・健幸愛和の喜びがある。
これを発見して、喜び楽しむことが大切である。
人間は生きているということの中に、無限の喜び、楽しさがあるのであるが、現代人は人間心の意識的な楽しさを求めて、誤りを犯している。意識的なものは、一時的で強烈であり、危険を伴い身を滅ぼすものである。
本当の楽しさを身につければ、健康になるし、楽しさが人間を引きずってゆき、楽しさに引かれる人生を送ることができる。そして、楽しさの中から知恵が生まれ、運命が開けてくるのである。
人生の百年、百二十年は、常にどこでも、いつでも、誰でも皆、賢明、幸福であり、健康、「賢全」の人であるように創られており、生かされており、生きてゆく道がある。
まずは、人間の肉体構造を見るがよい。わりあい簡単にできているようで、子細に見れば機能、働きの何と巧妙なることか。柔軟で、一見弱く、切ったり突いたりすれば、すぐに死んでしまうような生命が、正しく用いれば何と百年も、百二十年もよく生き続ける。
目の玉一つでも、百年ほどの働きを続ける。針一本で心臓を突いても命を失うことは容易であるのに、百年間も働き続け、一瞬も休むことがない。細い糸のつながりのような神経が、生理作用的に肉体を動かし、生かし、感覚し、意識し、知恵、知識を発して、これほどの素晴らしい働きをする。どこをどうとってみても、驚くことばかりといってよい。
ところが、その間に、病気や災難などというものがあるべきではないのに、人間は食べすぎたり、つまらないことに気を使いすぎたり、欲を出したりして、病気もするし、早死にすることもある。
六十歳から八十歳までの間に死ぬ人が多いのは、貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴の三毒に代表される三漏、四暴流、四取、五蓋、五結など、心という曲(くせ)者の作り出した八万四千の煩悩に苦しめられるからである。人間だけが心という自己意識の描き出した妄想によって、自力で生きていると錯覚し、自分自身の寿命を縮めているのである。
こうした人間の運命は、天命というようなもの、すなわち天然自然から与えられている運命と、宿命というようなもの、すなわち親先祖から受け継いでいる運命、さらに自己が作り上げていくところの運命の三つに分けることができる。
開運に一番早く、合理的であるのは、天然自然から与えられている運命に、自己が意識して開いていくという運命をつないでいくことである。先祖伝来の運命で、よいものは大いに思い出してやればよく、悪い運命は忘れてしまえば、そんなものは消えてしまう。迷信的なものは気にしないでおけば、自己の運命にかかわってはこないものである。
生涯現役計画の立案を
人間の肉体に与えられた力は、天来の運をいくらでも伸ばしていくことのできるものであり、平等で素晴らしいものである。このことに運命的自覚を持つことが、天寿百年、百二十年を生き抜いていくために最もよい。
これが真理である。真理は厳粛なものである。人が守らなくても、天と人間という個々の関係では、厳守せねばならぬ。自ら守る者を天は必ず守ってくれる。
生まれきたったのも天の命、生かされているのも天の命。生きているというのは、その真理の中においてのみ許されている我らの自由、そこにさえ法則もあり、原理もあるはずである。
宇宙の真理に目覚めた人は、今からでも百二十歳の天寿を全うできる。よしんば百二十歳は望めないとしても、これから完全な真理生活に入れば、百歳までは宇宙の加護と保障によって生きられることが、約束されている。
「天寿」という言葉は、宇宙大自然による人間の生命の仕組みを、巧みに表現したものである。つまり、万物の生命はすべて天から与えられ、自然の力と法則によって管理されているのである。
その広大無辺な、宇宙大自然の結晶が人間である。最高度の能力者が人間である。そして、天なる宇宙は、一人ひとりの人間に、百年、百二十年という天寿を与えてくれている。
一人ひとりの人間が百歳、百二十歳までの天寿、長老の道を思い定めて、そうした計画表、見積表のもとに、これからの人生を組み立て直してみてほしい。その道を志すことこそ、最も大切なことである。
誰でも、ちょっとした小旅行でもしようという時には、いろいろとプランを立て、万事うまく運ぶように用意する。ビルを建設する時にも、まず詳細な設計図を描き、工事の途中で支障が起こらないように、すべての手配の順序を決定してから取りかかる。
ところが、これらの小旅行やビル建設以上に重要な人生旅行において、何の計画もなく、ましてや一片の人生地図もなく、人間設計書もないということでは、この先どうなるかわかったものではなく、危険この上もない。これを灯台下暗しというのである。
だから、「子供を三人育てると、貯金する余裕はない」などと世間ではいわれている。老後、物心両面にわたって豊かな悠々自適の生活を送るべく、人格、才能など、ほぼ十善具足して立派な長寿者になってよいはずなのに、おおかたその頃には、抜け殻のような人間になってしまうようでは、一人の人間として、少年、青年、壮年時代をどう暮らしてきたのだろうか。不用意というより、あまりにも無計画である。
人生という長い絵巻物に、生きた歴史を描き上げるには画材に乏しく、人生という延々たる旅路に就こうというのに旅行プランがなく、さらには人生ビルの建設に当たって、計画書も設計図もなく、ゆき当たりばったりでよいだろうか。
人生今や百年、いや百二十年だというのに、六十歳から仕事も生きがいもなく、ただ無為に過ごすようでは、人間と生まれたかいがないではないか。六十からの四十年、六十年の後半生を充実させるためには、生涯現役のための計画を壮年時代から描き、実践していくことである。
定年で老け込むことはない
例えば、芸術家や芸能人、作家などの自由業、弁護士などの専門職、農業や商店を自ら営む人たちなら、壮年時代からやっている仕事を、老後も体の続く限り生涯現役で続けられるだろう。一方、壮年時代に企業や役所で働く人たちの場合はどうだろうか。
これらの人々にとっても、会社や役所、各種団体、各種組織のために働くということは、直ちに自分のためにもなるのである。懸命に会社の仕事をして、それを通じて自己を磨く。そうして絶えず向上しようと心掛けるべきだ、というのが私の考えである。
しかしながら、少数の人のほかは、学校を卒業して職にありつけば、それからはもうほとんど遊んで、のんきに暮らして年を取る。油断をしているうちに時は流れ、いつの間にか四十、五十、五十五歳ともなり、六十歳をすぎればほとんどが定年となる。
定年が六十歳とは、実にもったいないことである。もっとも、若い頃から勉強をずっと続け、自己研鑚を欠かさない人にとっては、生涯が現役、人生に定年などありようがない。
定年になった途端に、去勢された人間のようになってしまう人がいる。ある西洋医学者の長年にわたる人間の老化および罹病の研究によると、サラリーマンが定年退職後、急速に老け込んで病気がちとなるケースが多いのに比べて、芸術家など創造的な自由業に携わる人は、いつまでも若々しく、健康な人が多いということである。
私の知っている画伯や義太夫の師匠や役者など、芸術家や芸能人は年を取るほどに作品や芸に磨きが加わり、奥が深く、ピンピンとした精神の張りを感じる。彼らは常に新しい想像力をかき立てながら、創造的に生きているからであろう。つまり、精神年齢が若く、いつまでも充実しているのである。
会社勤めのサラリーマンの場合は、定年退職して徒手空拳のまま、再就職とか次なる生きがいを見つけることができないと、今まで働いてきた組織や地盤を失い、生活目標を見失って呆然自失、ただ孤独になるのである。会社の友人も訪ねてこなくなり、することもなく、いわゆる退職虚脱症に陥る。そういう人は、妻からは「ヌレ落ち葉」とか「恐怖のワシ族」の汚名を着せられ、身の置きどころがなくなって、精神的に不安定で、うつ病にかかりやすく急速に老化する。
お金をためたからとか、名誉を得たからとかで本当の健康者、幸福者にはなれないのである。一時の満足、安心は得られるだろうが、精神が緩んでしまっては多病必至。
人間は、健康で働く仕事を持ち、その仕事に打ち込めるならば幸福である。若い頃は、肉体的にも精神的にもエネルギーに満ちているから、どんな仕事にでも打ち込んで、世のため、人のため、家族のために大いに働いて、それが自分の幸福にもつながる。
だが、老後はそうはいかない。肉体的にも精神的にも、積極性がなくなる。あらゆる能力が衰えてくる。しかし、元気な限りは何かできるのである。稽古(けいこ)事、読書、釣り、囲碁将棋、何でもよい。学習することも立派な労働である。
その労働の中に、生きがい、幸福が見つかるのである。恍惚(こうこつ)の人にならないためには、生きがいを持つことである。誰もが、生きているうちは働くという思想を、もっとしっかり人間の価値、光栄として自覚せねばならない。
年金で生活するなど社会に頼るのも便利でよいかもしれないが、本質的には、自分が若い時に力の限り働いて老後の設計をすることが大切である。人間の生涯は、前半の六十年間に国家、社会のために働き、家を造り、子をなし、老後の備えをなす。後半の六十年間は、人生の四季でいえば秋と冬であるから、春と夏の間の努力と蓄積によって、日々を迎え、送る。これは人間のみに与えられている計画性であり、経済性である。
そして、人の世話にはならないという気持ちが、自己を死ぬまで働くという意欲に駆り立て、希望や光栄を感じさせるゆえんになる。特に、老人というものを意識することがおかしいのである。
人生の大きな折り返し点
私にいわせれば、定年というのは会社をやめ、職業を捨てるということであってはならない。人間に本来与えられた人生は百二十年である。定年といっても、その前と後で大きな差があるわけではなく、急激に変化が起きるわけのものでもない。定年を老化の始まる年などと勘違いしないように。
人間の天寿は百二十歳。ゼロ歳から百歳、百二十歳まで百年、百二十年間、一年ごとに春夏秋冬の年輪を積み、毎日にあっては朝昼夕夜の日輪を重ねている。その真ん中の六十歳が若年と老年の境界で、実りの秋の始まる年齢である。
六十年かかって仕込んだ蓄積を、後の六十年で、自己のために完全な自己を作り上げたり、社会、世界のために働く糧とせねばならない。まさに塾年時代、実年時代、まず百歳を目標にして働くことである。休むなら百歳からである。
アメリカには、六十歳で未亡人になった主婦が一念発起して大学に通い、著名な写真家になった例があるという。六十歳になった時から、新しいものを始められる闘争心と、気力と、体力を持てる人間は素晴らしい。
日本でも、例えば石川島播磨重工業と東芝の企業経営者として成功した土光敏夫翁は、その後も現役を引退せず、昭和四十九年、すでに八十歳を間近にして、経団連第四代会長に推された。あの時は石油ショック後の狂乱物価の中で企業批判が高まっていたため、彼の清廉な生活態度と荒法師と呼ばれる行動力が期待されたのである。ここでも、歴代経団連会長の中で最も行動した人という評価を受け、さらに臨調会長、行革審会長も務めた。
土光翁のように高齢で孤軍奮闘した人に対して、それは珍しい人、非凡な人、特別な人だというかもしれないが、そうではない。天の定めでは、六十歳以後は過去の人生体験が自然に働き、物をいって、いたずらに肉体を働かせなくても結構仕事はある。老人でなくてはできぬこと、わからぬ仕事はたくさんある。このあたりのことは、老練の達人はみな知っている。
特に、人間八十歳ともなれば、自己の体験、経験がすっきりと使いこなせる人は、年を取れば取るほど、立派になってゆく。その点、実業の世界などで本当に鍛えた人というのは、その道において素晴らしくなり、立派になってゆくものであるから、専門以外のことにも、その力を伸ばすことができるのである。
そこでまず、人間は誰もが六十歳に達したら、これを節とし境として、今までの前半生を振り返ってみる必要がある。過去がわかれば未来もわかる。過去は死、未来は生。生死一如とは、過去と現在と未来が一続きであって、どこにも切れ目のないことをいう。
天寿を全うすれば、六十歳の倍の百二十歳までも生きられるはずである。天寿百二十歳の人間にとっては、定年はやっと折り返し点という一区切り。天地の摂理で、以後の老年時代が面白くなる。六十歳の定年となったら、ここでしっかりと心定めをせねばならぬ。定年とは年の上での心定め、自覚すべき時なのである。これからが真の人生、誰もが六十歳からスタートする老境の時代こそ、平等自由、差別即絶対の輝かしい人生の舞台であることを知らなければならない。
自然にも人生にも、春があり、夏があり、秋があり、冬がある。それが当然、自然というものだ。
特に、日本はありがたいことに、四季の別のきわめて明らかな国である。冬は寒く、夏は暑い。春と秋とは同じようであって、同じではない。春の花は秋には咲かない。秋の虫は秋にしか鳴かない。
自然の四季に、それぞれ美しさ、楽しさがある。地球の軸が二十三度あまり傾いていることによって、地上に春夏秋冬という季節の区別ができ、植物はその時その時の花を咲かせ、季節ごとの鳥が歌う。春に、小鳥のさえずりが耳に入る。快く、楽しい。秋に、咲いている花を見て、「ああ美しい」と思う。
同じように、人生の四季にも、年齢や時期に応じた美しさ、楽しみがある。一年に四季あり、一日に四期あり。朝は春、早起きせねば春を失う。夏に稼ぎ、秋に収穫。冬も早く冬眠しないと「健幸」を損ずる。そのいずれの季にか、それぞれの特徴があり、真善美楽・健幸愛和の喜びがある。
これを発見して、喜び楽しむことが大切である。
人間は生きているということの中に、無限の喜び、楽しさがあるのであるが、現代人は人間心の意識的な楽しさを求めて、誤りを犯している。意識的なものは、一時的で強烈であり、危険を伴い身を滅ぼすものである。
本当の楽しさを身につければ、健康になるし、楽しさが人間を引きずってゆき、楽しさに引かれる人生を送ることができる。そして、楽しさの中から知恵が生まれ、運命が開けてくるのである。
人生の百年、百二十年は、常にどこでも、いつでも、誰でも皆、賢明、幸福であり、健康、「賢全」の人であるように創られており、生かされており、生きてゆく道がある。
まずは、人間の肉体構造を見るがよい。わりあい簡単にできているようで、子細に見れば機能、働きの何と巧妙なることか。柔軟で、一見弱く、切ったり突いたりすれば、すぐに死んでしまうような生命が、正しく用いれば何と百年も、百二十年もよく生き続ける。
目の玉一つでも、百年ほどの働きを続ける。針一本で心臓を突いても命を失うことは容易であるのに、百年間も働き続け、一瞬も休むことがない。細い糸のつながりのような神経が、生理作用的に肉体を動かし、生かし、感覚し、意識し、知恵、知識を発して、これほどの素晴らしい働きをする。どこをどうとってみても、驚くことばかりといってよい。
ところが、その間に、病気や災難などというものがあるべきではないのに、人間は食べすぎたり、つまらないことに気を使いすぎたり、欲を出したりして、病気もするし、早死にすることもある。
六十歳から八十歳までの間に死ぬ人が多いのは、貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴の三毒に代表される三漏、四暴流、四取、五蓋、五結など、心という曲(くせ)者の作り出した八万四千の煩悩に苦しめられるからである。人間だけが心という自己意識の描き出した妄想によって、自力で生きていると錯覚し、自分自身の寿命を縮めているのである。
こうした人間の運命は、天命というようなもの、すなわち天然自然から与えられている運命と、宿命というようなもの、すなわち親先祖から受け継いでいる運命、さらに自己が作り上げていくところの運命の三つに分けることができる。
開運に一番早く、合理的であるのは、天然自然から与えられている運命に、自己が意識して開いていくという運命をつないでいくことである。先祖伝来の運命で、よいものは大いに思い出してやればよく、悪い運命は忘れてしまえば、そんなものは消えてしまう。迷信的なものは気にしないでおけば、自己の運命にかかわってはこないものである。
生涯現役計画の立案を
人間の肉体に与えられた力は、天来の運をいくらでも伸ばしていくことのできるものであり、平等で素晴らしいものである。このことに運命的自覚を持つことが、天寿百年、百二十年を生き抜いていくために最もよい。
これが真理である。真理は厳粛なものである。人が守らなくても、天と人間という個々の関係では、厳守せねばならぬ。自ら守る者を天は必ず守ってくれる。
生まれきたったのも天の命、生かされているのも天の命。生きているというのは、その真理の中においてのみ許されている我らの自由、そこにさえ法則もあり、原理もあるはずである。
宇宙の真理に目覚めた人は、今からでも百二十歳の天寿を全うできる。よしんば百二十歳は望めないとしても、これから完全な真理生活に入れば、百歳までは宇宙の加護と保障によって生きられることが、約束されている。
「天寿」という言葉は、宇宙大自然による人間の生命の仕組みを、巧みに表現したものである。つまり、万物の生命はすべて天から与えられ、自然の力と法則によって管理されているのである。
その広大無辺な、宇宙大自然の結晶が人間である。最高度の能力者が人間である。そして、天なる宇宙は、一人ひとりの人間に、百年、百二十年という天寿を与えてくれている。
一人ひとりの人間が百歳、百二十歳までの天寿、長老の道を思い定めて、そうした計画表、見積表のもとに、これからの人生を組み立て直してみてほしい。その道を志すことこそ、最も大切なことである。
誰でも、ちょっとした小旅行でもしようという時には、いろいろとプランを立て、万事うまく運ぶように用意する。ビルを建設する時にも、まず詳細な設計図を描き、工事の途中で支障が起こらないように、すべての手配の順序を決定してから取りかかる。
ところが、これらの小旅行やビル建設以上に重要な人生旅行において、何の計画もなく、ましてや一片の人生地図もなく、人間設計書もないということでは、この先どうなるかわかったものではなく、危険この上もない。これを灯台下暗しというのである。
だから、「子供を三人育てると、貯金する余裕はない」などと世間ではいわれている。老後、物心両面にわたって豊かな悠々自適の生活を送るべく、人格、才能など、ほぼ十善具足して立派な長寿者になってよいはずなのに、おおかたその頃には、抜け殻のような人間になってしまうようでは、一人の人間として、少年、青年、壮年時代をどう暮らしてきたのだろうか。不用意というより、あまりにも無計画である。
人生という長い絵巻物に、生きた歴史を描き上げるには画材に乏しく、人生という延々たる旅路に就こうというのに旅行プランがなく、さらには人生ビルの建設に当たって、計画書も設計図もなく、ゆき当たりばったりでよいだろうか。
人生今や百年、いや百二十年だというのに、六十歳から仕事も生きがいもなく、ただ無為に過ごすようでは、人間と生まれたかいがないではないか。六十からの四十年、六十年の後半生を充実させるためには、生涯現役のための計画を壮年時代から描き、実践していくことである。
定年で老け込むことはない
例えば、芸術家や芸能人、作家などの自由業、弁護士などの専門職、農業や商店を自ら営む人たちなら、壮年時代からやっている仕事を、老後も体の続く限り生涯現役で続けられるだろう。一方、壮年時代に企業や役所で働く人たちの場合はどうだろうか。
これらの人々にとっても、会社や役所、各種団体、各種組織のために働くということは、直ちに自分のためにもなるのである。懸命に会社の仕事をして、それを通じて自己を磨く。そうして絶えず向上しようと心掛けるべきだ、というのが私の考えである。
しかしながら、少数の人のほかは、学校を卒業して職にありつけば、それからはもうほとんど遊んで、のんきに暮らして年を取る。油断をしているうちに時は流れ、いつの間にか四十、五十、五十五歳ともなり、六十歳をすぎればほとんどが定年となる。
定年が六十歳とは、実にもったいないことである。もっとも、若い頃から勉強をずっと続け、自己研鑚を欠かさない人にとっては、生涯が現役、人生に定年などありようがない。
定年になった途端に、去勢された人間のようになってしまう人がいる。ある西洋医学者の長年にわたる人間の老化および罹病の研究によると、サラリーマンが定年退職後、急速に老け込んで病気がちとなるケースが多いのに比べて、芸術家など創造的な自由業に携わる人は、いつまでも若々しく、健康な人が多いということである。
私の知っている画伯や義太夫の師匠や役者など、芸術家や芸能人は年を取るほどに作品や芸に磨きが加わり、奥が深く、ピンピンとした精神の張りを感じる。彼らは常に新しい想像力をかき立てながら、創造的に生きているからであろう。つまり、精神年齢が若く、いつまでも充実しているのである。
会社勤めのサラリーマンの場合は、定年退職して徒手空拳のまま、再就職とか次なる生きがいを見つけることができないと、今まで働いてきた組織や地盤を失い、生活目標を見失って呆然自失、ただ孤独になるのである。会社の友人も訪ねてこなくなり、することもなく、いわゆる退職虚脱症に陥る。そういう人は、妻からは「ヌレ落ち葉」とか「恐怖のワシ族」の汚名を着せられ、身の置きどころがなくなって、精神的に不安定で、うつ病にかかりやすく急速に老化する。
お金をためたからとか、名誉を得たからとかで本当の健康者、幸福者にはなれないのである。一時の満足、安心は得られるだろうが、精神が緩んでしまっては多病必至。
人間は、健康で働く仕事を持ち、その仕事に打ち込めるならば幸福である。若い頃は、肉体的にも精神的にもエネルギーに満ちているから、どんな仕事にでも打ち込んで、世のため、人のため、家族のために大いに働いて、それが自分の幸福にもつながる。
だが、老後はそうはいかない。肉体的にも精神的にも、積極性がなくなる。あらゆる能力が衰えてくる。しかし、元気な限りは何かできるのである。稽古(けいこ)事、読書、釣り、囲碁将棋、何でもよい。学習することも立派な労働である。
その労働の中に、生きがい、幸福が見つかるのである。恍惚(こうこつ)の人にならないためには、生きがいを持つことである。誰もが、生きているうちは働くという思想を、もっとしっかり人間の価値、光栄として自覚せねばならない。
年金で生活するなど社会に頼るのも便利でよいかもしれないが、本質的には、自分が若い時に力の限り働いて老後の設計をすることが大切である。人間の生涯は、前半の六十年間に国家、社会のために働き、家を造り、子をなし、老後の備えをなす。後半の六十年間は、人生の四季でいえば秋と冬であるから、春と夏の間の努力と蓄積によって、日々を迎え、送る。これは人間のみに与えられている計画性であり、経済性である。
そして、人の世話にはならないという気持ちが、自己を死ぬまで働くという意欲に駆り立て、希望や光栄を感じさせるゆえんになる。特に、老人というものを意識することがおかしいのである。
人生の大きな折り返し点
私にいわせれば、定年というのは会社をやめ、職業を捨てるということであってはならない。人間に本来与えられた人生は百二十年である。定年といっても、その前と後で大きな差があるわけではなく、急激に変化が起きるわけのものでもない。定年を老化の始まる年などと勘違いしないように。
人間の天寿は百二十歳。ゼロ歳から百歳、百二十歳まで百年、百二十年間、一年ごとに春夏秋冬の年輪を積み、毎日にあっては朝昼夕夜の日輪を重ねている。その真ん中の六十歳が若年と老年の境界で、実りの秋の始まる年齢である。
六十年かかって仕込んだ蓄積を、後の六十年で、自己のために完全な自己を作り上げたり、社会、世界のために働く糧とせねばならない。まさに塾年時代、実年時代、まず百歳を目標にして働くことである。休むなら百歳からである。
アメリカには、六十歳で未亡人になった主婦が一念発起して大学に通い、著名な写真家になった例があるという。六十歳になった時から、新しいものを始められる闘争心と、気力と、体力を持てる人間は素晴らしい。
日本でも、例えば石川島播磨重工業と東芝の企業経営者として成功した土光敏夫翁は、その後も現役を引退せず、昭和四十九年、すでに八十歳を間近にして、経団連第四代会長に推された。あの時は石油ショック後の狂乱物価の中で企業批判が高まっていたため、彼の清廉な生活態度と荒法師と呼ばれる行動力が期待されたのである。ここでも、歴代経団連会長の中で最も行動した人という評価を受け、さらに臨調会長、行革審会長も務めた。
土光翁のように高齢で孤軍奮闘した人に対して、それは珍しい人、非凡な人、特別な人だというかもしれないが、そうではない。天の定めでは、六十歳以後は過去の人生体験が自然に働き、物をいって、いたずらに肉体を働かせなくても結構仕事はある。老人でなくてはできぬこと、わからぬ仕事はたくさんある。このあたりのことは、老練の達人はみな知っている。
特に、人間八十歳ともなれば、自己の体験、経験がすっきりと使いこなせる人は、年を取れば取るほど、立派になってゆく。その点、実業の世界などで本当に鍛えた人というのは、その道において素晴らしくなり、立派になってゆくものであるから、専門以外のことにも、その力を伸ばすことができるのである。
そこでまず、人間は誰もが六十歳に達したら、これを節とし境として、今までの前半生を振り返ってみる必要がある。過去がわかれば未来もわかる。過去は死、未来は生。生死一如とは、過去と現在と未来が一続きであって、どこにも切れ目のないことをいう。
天寿を全うすれば、六十歳の倍の百二十歳までも生きられるはずである。天寿百二十歳の人間にとっては、定年はやっと折り返し点という一区切り。天地の摂理で、以後の老年時代が面白くなる。六十歳の定年となったら、ここでしっかりと心定めをせねばならぬ。定年とは年の上での心定め、自覚すべき時なのである。これからが真の人生、誰もが六十歳からスタートする老境の時代こそ、平等自由、差別即絶対の輝かしい人生の舞台であることを知らなければならない。
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