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■生涯現役の勧め2 [生涯現役を目指す]

[晴れ]人生に春夏秋冬あり
 日本人の平均寿命について見ると、明治三十年頃の生命表では、男四十二歳、女四十四歳だった。昭和十年頃では男四十七歳、女四十九歳と、まさに人生五十年という言葉がピッタリであった。戦争の影響で、昭和二十年には男二十三歳、女三十七歳と驚異的に下がっている。
 その後、昭和二十二年には男女とも五十歳、二十六年には六十歳、四十七年には七十歳の壁を次々と破り、五十六年には男七十三・七九歳、女が七十九・一三歳と実質世界第一位の長寿国になって今日に至っている。平成四年は男七十六・〇四歳、女八十二・〇七歳、平成二十年は男七十九・二九歳、女八十六・〇五歳。
 抗生物質など薬の開発や、医学技術の急速な進歩によって、結核などの伝染病や乳幼児の死亡原因が克服されてきたことが、順調に伸びた原因である。さらにガンや脳卒中、心臓病の三大死因が解決されていけば、遠からず女に続いて男も八十歳代になることは十分予想される。
 私は、人間の天寿百二十年を春夏秋冬の四季に分けて、それぞれの立場に応じた人生計画を唱えてきた。
 一年に四季があり、年刻みに四季が繰り返される。大自然界の運行と同様に、人生にも年代に応じて、それぞれの四季があるのである。それが循環しているうちに百歳、百二十歳を迎えるのである。
 人生百二十歳の原則に立てば、生まれてから三十歳までが人生の春、六十歳までが最盛期である活躍の夏、六十歳から九十歳までが実りの秋、その後九十歳から百二十歳までがその収穫をかみしめる人間完成期、みたまの冬ということになる。
 また、その百二十年は、六十歳までの積極的な「生き方」と、六十歳から百二十歳までの「生かされ方」という、上り下りの六十年ずつである。
 平均寿命から推測して百歳と見れば、人生の春夏秋冬は、二十五歳、五十歳、七十五歳、百歳と巡っていく。
 主旨からいえば三十年ずつでも、二十五年ずつでも同じこと。長命を志し天寿の全うを願う人には長いほどよかろう。
[曇り]それぞれの時期にふさわしく
 そこで、人生の四季のそれぞれの過ごし方を、簡単に紹介しておくことにしよう。
 まず、人生の春である第一期について、これを三十歳までとして見ると、生まれてから十五年くらいは、自己という人間性は確立されていない時期。親や社会から生かされ、育てられているだけである。
 人間は十五歳から二十五歳の間に成人し、自分一人で生きていける条件が、肉体的にも精神的にもできてくる。人間が肉体的に生理機能を完成するには、少なくとも二十五年くらいの準備期間が必要なのである。
 この人生の春は、他力を利用してのいわば大切な仕込みの期間。最初の二十五年、ないし三十年という年月が、その天寿百歳、百二十歳を全うするという目的に向かってすべて集中されているのである。体を鍛え、精神を磨き、学問、技芸を身につけて一人前の社会人となり、立派な親になるための修行、遍歴の時期であることを銘記したい。
 人間三十歳までに、エネルギーを体力にも学問にも、意識、知識、技術にも利用し、自重して時を待つ。「気」を作る。春の季節を摂生よく、適切に過ごした人は、夏に当たる成年期には、目を見張るばかりの活動ぶりを示す。その成果は、春の仕込みを怠った人のおそらく数倍にも達するであろう。
 職業に就き、結婚をしてから、自分の足で充実した第二の人生を歩き出す三十歳から六十歳ぐらいまでの時期、これが人生の夏。社会人として生きる盛夏の働き盛りである。
 この人生第二期は、人間としての進歩、成熟へと向かう変化の激しい時である。六十歳までに、自らの力で家庭を営み、子孫を育て、生きることに全力を尽くす。主となって向上、発展する時、大いに社会的に働く時代である。
 本当に「気」を入れて働けば、働くことがどれほど楽しいか、面白いかわからない。朝は夜明けとともに働き出す。そういう人生に病気はない。悩み、苦しみはない。経済的な不足だの、欠陥だのがあるはずがない。その道その道のベテラン、専門家になること請け合いである。
 職業によって、自分の働きを通して、自らの価値を社会、世界に大きく発揮し、対価として社会から報いられる恵みを受け、マイホームの糧とする。それが社会の仕組みである。
 そこには、要不要の原理、適不適の法則という宇宙大自然の大きなおきてがあり、摂理がある。
 従って、適当に必要なものが満たされてゆけば、いくつになったら自分の家ができるかなどと、いらぬ皮算用をすることなく、ただひたすらに社会のために働けばよい。そうすれば、必ずや自然の世界はほうっておくはずはない。自然に成長、発展してゆく自己の能力は、速度が遅いようでも、幾何級数的に積み上げられてゆくから、実り始めると、その得るところは大きいものである。
 五十歳頃には、子も育って社会人となろう。教育は第二で、躾けが第一。親が忠実なら、子も素直で真面目に育ち、一家を栄えさせる。
[雨]収穫の季節と富裕の季節
 第三期は人生の秋で、六十歳から九十歳までの実りの季節である。夏によく働いておけば、ほうっておいても自然に実り、収穫をなす時期である。
 同時に、精神的な充実をはかり、社会に対してお返しをする、円熟の時代でもある。六十歳になったら、生涯現役族として仕事を持つ人も、がむしゃらに働くばかりの生活はもうやめて、なるべく精神的な充実をはかるよう心掛けたい。
 つまり、六十歳は大きな人生の折り返し点。これを境として、なるべく意識的な社会生活を少なくして、肉体本位の生活に切り替え、自然に返っていく時。長寿を保つためには、生かされの時期に入っていることをよく理解して、自覚しなければならない。生きようとする自己意識を捨て、天地大自然の力に生かされているのだという、宇宙と人間の関係を尊重していくように生きれば、少なく働いて大きな成果をもたらす秋の実りのような人生が三十年続く。
 次に迎える季節、九十歳から百二十歳までが、第四期の冬である。実った収穫を良きに善きに、賢きに賢きにと使って、楽しいことばかりの真の生活が成就してゆく晩年の人生、これが冬である。
 前の三期を、正しく生き通した人には、冬の人生はただ楽しいもの、静寂人生である。九十歳をすぎたなら、後の三十年は悠々自適、宇宙天地大自然の摂理に従って、人格、人生を完成して富裕な時代を生きるのである。人生の秋の上に一歩を進めて、自然の中の人生、生かされ生きる原則に身を任せて、欲のない、てらいのない日々を送る。これこそ、まさしく人間として最高の生き方である。
 高齢になれば、体力が衰えるのは当然である。しかしながら、向上性を失わなければ、精神は年を取っても弱まるということはない。むしろ逆に、年とともに磨かれ、純化されるものなのである。
 この精神が、老人を人間として支えてくれる。そればかりではない。高齢者にならなければ得られないような、人間としての価値を与えてくれる。春夏秋にわたる長い間に得た豊富な体験を次の世代、さらにはそのまた次の世代のために活用させたいものである。
 以上の私が勧める天寿百二十年の人生は、春夏秋冬の道を正しく歩み、「気」が本当に肉体に発生していれば、欲などはかかなくても、必要、適当な意欲が湧いてくるという真理によるものである。
 一日にも朝昼夕夜という四期があり、四「気」がある。朝方と夕方とは「気」が違い、昼と夜とでは全く「気」が反対で、太陽性の昼の「気」は軽く、地球性の夜の「気」は重いから地を這(は)うように沈んでいるものである。陰と陽という「気」の違いによって、万事万物、すべてがみな異なる変化を起こし、それが善と働き、美と現れ、楽しさの連続となっている。
 個人はこの中で、春夏秋冬、三十年ごとの四季の別をよくわきまえて、上手に生き抜くことができるよう、それだけの知恵と能力を与えられている。人生の四季のそれぞれの立場に応じて、天から一切を与えられているわけである。
 人生というものは決して不可解なものではなく、ことごとく割り切れる、計画できる。つまり、天寿百年、天寿百二十年、「気」が本当に肉体に発生し、みなぎっていれば、何の無理もなく、一生涯を生き抜いていけるものである。

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