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■感覚力を生かして発想する1 [頭を鍛える]





[phone to]自ら柔軟思考を鍛える努力
 社会人の中には、新しいアイデアを考え出したり、今までにない商品企画を立案したりといった、創造的な仕事に携わっている人も多いはずである。
 こういうセクションにある人は、鋭い着眼力を持ってひらめく、柔らかい頭の持ち主でなければ、役目を果たすことはできない。融通のきかない、常識に捕らわれた固い頭の使い方しかできない人間では、務めを全うできるものではないだろう。
 創造性、独創性豊かで、柔軟な思考力を持つ必要があるビジネスマンこそ、日々、自らの頭を鍛えることを怠ってはならない。
 「論語」に、「学んで思わざれば、すなわち罔(くら)し。思うて学ばざれば、すなわち殆(あやう)し」という言葉がある。これは、他人に教えてもらうだけで自分で考えない人間も、逆に、自分の考えだけで、先人の知恵を学ぼうとしない人間も、ともに伸びないということである。
 つまり、学ぶことと考えることのバランスをとる必要があるということである。
 この点で、現在の学校教育における、知識をできるだけ詰め込むという知識偏重教育も、独創性を生む柔軟思考を妨げているといえよう。知識があっても、それを活用する能力がなければ、独創性は生まれてこない。物まねが単に物まねで終わってしまう危険性は、ここにある。
 他人の仕事などをきっかけにして、自分の中から独創性を引き出すためには、自ら思考を鍛える努力を怠ってはいけない。
 独創的なひらめきを得るための基本が、常に思考を鍛えること、毎日考えることとしたら、その核は問題意識を持つことといえよう。
 発想力に優れた人は、必ず問題意識を持っている。そして、この問題意識があればこそ、勘も働き、仕事に生かせるアイデアも湧いてくる。
 その問題意識を持つためには、ものを感じ取る能力、すなわち感受性を日頃から磨いておく必要がある。
 そこでまずは、人間一般、特に創造的な仕事に携わる人は、感受性を含めた感覚力というものが、あいまいであったり誤ったものであっては、話にならないことを知るべきである。
 真の感覚力が働けば、人はいくらでもアイデアを生み出し、仕事がこなせるばかりか、健康も、長寿も得られる。企業人なら大経営者、スポーツ選手なら超一流のスポーツマン、芸術家なら天才的アーチストになることも、夢物語ではない。
 なぜなら、真の感覚力とは、宇宙性の感覚であり、宇宙の大感覚に直結、直交して、無から有を生み出す「気」働きとなるからである。
 宇宙は無限の空である。星や惑星や衛星が存在するが、天はもともと空であった。その空なる宇宙に最初に現れたものは、感覚である。かすかな感覚から大感覚が生じ、それが一大エネルギーとなってビッグ・バンと称する大爆発が起こった。だから、宇宙の無限の空の中にないものはなく、すべての情報は潜在していた。
 それゆえ、人間にとって、天に通じる感覚力を養うことが何より大切である。何気ない自然の事象の中や、人の何気ない言葉に計り知れない真理が潜んでおり、真の感覚力で得た真理が人間を大きく育ててくれるのである。
[mail to]真なる感覚力の養成が大切である
 その私たち人間の肉体は、厚さ約二ミリの皮膚に覆われている。皮膚の役割は、肉体的生命を内と外に隔離すると同時に、内と外を交流させることにある。つまり、皮膚は自己と非自己を分けて、排除したり、受け入れたりする器官なのである。
 皮膚には、頭部に七つ、下半身に二つないし三つの穴がある。この穴も皮膚の一部として、外界との交流を行う大切な役割を果たしている。一般に五感といわれる皮膚感覚、視覚、聴覚、味覚、嗅(きゅう)覚は、皮膚が有する特殊な能力である。私は、この五感を外部の感覚を感じる器官という意味で、五官と表現することにしている。
 皮膚はもともと、脳と同じ外胚葉と呼ばれる部分から分化したもので、さまざまな能力を持ち合わせている。特に皮膚表面に開かれた穴の周辺は、外部と内部との交流をつかさどる感覚受容器官がびっしり集まっている。人間が感じることのできる外部からのすべての刺激は、この五官を通じて伝わるのである。
 私たちは、感覚というものは自己の内部から発生するものだ、と考えがちである。だが、感覚というのは、皮膚を越え、伝わってくる外部からの刺激であり、皮膚を通して感じる外の世界なのである。外界とは自己を映す鏡であり、言い換えれば自分自身ということになる。人間は内と外をつなぐ感覚器官によって、自己を認識するのである。
 感覚は磨けば磨くほど光るものである。それは、自分を鍛え、知ることにもつながる。現代に働く人は、もっと感覚を重視しなければならない。
 ところが、現代人は一般的に、こういう磨かれた感覚から生じる直観というものについて、理性に劣る精神作用だと思いがちである。直観というものが非論理的であったり、科学的でなかったりするためで、西洋的な考えが論理や科学的であることを優先させてきたゆえでもある。
 しかし、もともと東洋の思想は、知識よりも直観ということを大切に考えてきた。直観とは、いわゆるインスピレーションのことである。禅の修行僧は、問に対して即座に答える訓練をする。俗に問答といわれるこの行為は、知識よりも直観力を高める訓練である。 直観によって世界を理解することは、物事をイメージで捕らえ判断するということ。直観は、無意識の世界に近く、しかも主観的である。東洋の思想が直観を重視するのは、意識の世界には、真の判断を狂わせるさまざまな邪念があると考えたからである。
 ここで、古今東西の偉大な人々の発明、発見は、ただ単に知識や論理から生まれたのではないということを、今一度考えてみてほしい。発明、発見の前には、必ず「ひらめき」という現象がある。優れた直観力がなければ、偉大な発明も発見もないのである。ひたすら知識を吸収し、論理を磨くだけでは、新しい物は生まれてこない。
 現代では、人間の知識や記憶はコンピューターでも代用できるのに対して、磨かれた感覚から生じる直観は人間だけが持つ優れた能力なのである。人生は自分の直観を生かすか否かで、大きく変わってくる。人間の能力は、生かしてこそ価値があるものなのだ。
[fax to]半意識はひらめきを得るチャンス
 ここに、磨かれた感覚から生じる直観を生かしたアイデア発想法を、紹介することにしよう。企画力などを高める発想法にはオズボーンのチェックリスト法、ブレーンストーミング、シネクティクス法などさまざまな方法があるが、これは「気」を利用したものである。
 はじめに、誰も知らない未知を対象にして研究、発見をする科学者などを例に話を進めていく。彼らは、「気」が入っていなければ本当のことはわからない。ノーベル賞を受賞したような科学者や各分野の専門家は、「気」で発するとか、「気」で発見するとかいう意味において、余人に未知なことを知るのである。彼らはみな、それぞれの専門、専門で「気」を磨いている。「気」を利用し、「気」を使って、「気」で探査研究しているのである。
 そういう人たちは、一生懸命「気」を入れて熱中しているならば、朝の目覚めのひとときなどに、素晴らしい感覚から直観を起こしてひらめき、難問解決のヒントに気がついたりする。このような着想、ヒントを得て研究し、成就させる科学者は、鋭い感覚を持っているのである。だから、思い考えるというよりも、「気」を入れた科学的な研究が合理的に続いて、朝の目覚めの時、夜の眠りに入る直前、放心状態などにおいて、感覚を起こして気がつく時、いろいろひらめきを感ずる、ヒントを得るということがある。
 そのような時は、意識が放たれつつある状態であるから、自己意識から五官意識が解放されて、自由に働く。肉体の自然機能が、自然作用として宇宙に直結して、宇宙の大感覚を吸収している。つまり、宇宙に遍満する「気」を肉体が盛んに取り入れているのだ。宇宙の「気」が肉体内で力となって瞬間にイメージを結ばせる、これがひらめきである。
 このようなひらめき、インスピレーション、アイデアを得られるわずかな時間、いや瞬間は、人間が半意識という意識状態になっている時でもある。
 私のいう半意識という状態は、無意識と大変よく似た状態である。精神集中から無念無想に移った時、意識と無意識の交代が行われ、無意識が意識の中に入り交じると、半意識状態が生じる。すなわち、半意識とは、無意識と意識との架け橋になるものである。半分の意識というのではなく、うつらうつらと意識が放たれつつあるような状態をいうわけだ。
 このような状態は日常、私たちが朝目覚める時や、夜の眠りに入る直前などにも、同じ半意識が生じるので、どなたでも体験ずみのものである。が、体験があり、毎日のように経験しながら、専門の科学者や発明家と違って、その本当の価値というものを知っている人は少ない。
 もしも、精神の純粋性を保ち、無意識の中に超自我を体得できるならば、半意識状態の時に真空妙有の宇宙真理が、稲妻のように天と地を結んでいくらでもひらめく。思いも掛けないイメージを受けたり、難問解決のヒントに出合ったりもする。
 無意識のエネルギーが意識界へ流れ出る時、肉体感覚と宇宙感覚とが瞬間的にではあるが接触を繰り返す。これが、ひらめきであったり、素晴らしい宇宙真理であったりするのだ。
[携帯電話]夢の創造力を利用する方法
 この点で、睡眠中に夢を見ている状態も、一種の半意識状態といえる。無意識の内容がいろいろと意識の中へ躍り出して、幻影となって現れているのである。ある意味では、私たちが見る夢の中にも、貴重なヒントやアイデアが凝縮されているといえる。
 なぜなら、夢の内容には、その人が意識的、無意識的に実現したいと望んでいる願望が含まれる場合が多いからである。深層心理学では、無意識の願望は夢を誘発するばかりでなく、夢の内容を決定するという。
 そして、眠っている状態では意識の検閲力は弱まっているから、無意識は現実の制約や、さまざまな日常的配慮から解放されて、自由に活動することができる。このため、目覚めている時には思いもつかなかったようなアイデアや発想が、眠っている間に浮かぶことがあるもの。
 古来、夢の力を借りて難問を解決したり、個性的な仕事をした発明家や芸術家は数多く見られる。有名な例を挙げてみると、作家のスティーブンソンは「ジキル博士とハイド氏」などの作品の構想を夢から得たし、ミシンの発明家であるイライアス・ハイは、先端に穴の開いた槍(やり)を持った未開人に捕まった夢を見たことから、針の先端に穴を開ける着想を得て、開発に成功したのである。
 しかし、一般の人にとっては、よほど印象に残る夢でもない限り、すぐに内容を忘れたり、ヒントに気づかなかったりしてしまう。もちろん、いくらひらめいても、それを理解する知識や日常の努力というものがある程度なければ、意味不明な夢でしかない。
 スティーブンソンのように、夢の力、夢の創造力を利用するには、日頃から問題意識を抱いて、寝床に入っても解決したい問題について考え、心に念じながら眠りに就くといい。
 こうして眠ったら、目覚めた朝、すぐに夢の内容をメモする。たとえ自分の問題と無関係に見えることでも、突拍子もないことでも、思い出せる限り綿密に書き留めておく。そうしてメモを点検して、問題解決のヒントを探せばいいだろう。
 さて、寝ている時のほかにも、トイレの中、電車を待っている時、入浴中などボーッとしている一瞬に、直観的にひらめきを得ている人は数多いものである。
 名案は、真剣に考えている時ではなく、対象から意識が離れ、力が抜けた時に生まれるわけである。つまり、仕事に集中して取り組んでいる時よりも、ふっと気を抜いて自分の好きなレコードを聞いてぼんやりしていたり、風呂に入ってリラックスしている時などに、新しいアイデアが浮かぶことが多いのである。
 アルキメデスが浮力の法則を発見したのは、朝風呂につかっている時だった。ジェームズ・ワットが蒸気機関の構想を組み立てたのは、散歩中だった。ダーウィンが進化論の解答を突然思いついたのは、馬車に乗っている時であった。
 それらのインスピレーションを受けた意識状態が、自己意識を放下して、無意識となった瞬間である場合が多いことは、無意識が意識界に入り込む直前か、意識と無意識の入り交じった半意識の状態にのみ生ずる、不思議な現象だからである。
 半意識というのも、無意識の中へ含めてよいのは、意識はあってもそれは自己コントロールが不可能で、自然現象として受け止めるほかない意識ゆえである。
 いうまでもなく、その半意識の時に生じるひらめきは超感覚的知覚の一種である。
 思考は人為的なものであるが、気がつくことは自然作用である。肉体感覚を高め、五官の働きをよくすれば、宇宙感覚と直結して「気」をキャッチする能力が身につくばかりか、おのずから超感覚も養われ、発想豊かな企画の名人、当為即妙の人生の達人、天才といわれるほどの仕事もできるようになる。




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■感覚力を生かして発想する2 [頭を鍛える]





[soon]アイデアを生む「気」の原理
 私のいう「気」というものは、知情意の源泉であるけれども、その本質は宇宙始元の空の世界に属し、無限無上のエネルギーである。そのような目に見えない「気」エネルギーは、人間の肉体の空意識層に入り、自己の無意識層において人間の生命力に切り替えられて蓄積される一方、私たちが生きているところの実社会で体験し、毎日感受するものは、そのまま意識を構成し、あるものは潜在性意識に蓄積されて、生まれてから今日までの生活体験のすべてがイン・プットされているのである。
 この私たちの体内の空の領域、すなわち無意識層および潜在性意識層に蓄えられた、たくさんの知識や意識や体験は、体内の隅々にまで充満していても、それは空の世界だから少しの容積もなく、重量もないので、いつもは忘却のかなたにあることが多いのである。 それが思い掛けない時に、思い掛けないイメージとしてひらめくことがある。それは自己の意思や意識が放下され、半意識の状態にある時にしばしば生じることは、すでに述べてきた通りである。
 これは、空の世界に蓄積されているものが、空から色へ、色から空へと自由に次元を超えて、瞬時に交流(ひらめき)を生ずるからである。それは空世界の真理現象といえる。
 「気」のこのような本質を知れば、私たちは目に見える日常の目先のことに気を使いすぎて、気疲れする生活はほどほどにして、「気」を豊かな想像力として発揮して、創造的に日常の中で自由に生かすようにしたいものである。
 「気」をあまりに知性や意思や感情に結びつけ、自意識を目いっぱい働かせ、自力本位に生きるよりも、空世界のエネルギーを上手に発揮する生活、他力本願の宇宙真理生活を目指すほうが、楽で賢明で、創造的である。人間は、知識や意思や感情で何々すべきであるとか、何々がしたいと、「気」をそのようなものに従わせる社会生活を身につけているが、もっと大きな想像力に結びつけて、空の世界に遊ぶ人のほうが素晴らしい業績をなし、豊かな人生を送っていることに注目してもらいたい。
 そもそも人間には、空の世界から「気」となって到来するものがたくさんあり、物事となってくる前に、必ず「気」が働いている。この「気」というものは他力である。他を利する「気」、他利気ともいう。自分を利する「気」、自利気、自力というのも、実は「気」である。この他力と自力はつながっており、他力即自力となって働く。
 宇宙大自然や人間社会の他力を察し、把握し、うまく利用して自力とすることができれば、すべてが機会となる。アイデアや発明、発見の発想が、体内の空の世界からいくらでも発動するようになる。
 だが、他力に通ずる根本の原理、要領を知らずに、目的のみに向かい、結果を急いでも、他力は求められないものである。いろいろな企画会議などでも、「さあ、よいアイデアを出さなくては」などと改まると、意識ばかりが気負い立って、いいプランは決して出てこないものだ。
 タバコ一服、お茶一杯、まるで関係のないようなことを気楽にしゃべり合っているうちに、突拍子もないところに連想が次々に飛んで、虚空からヒョイヒョイと名企画が生まれてくるというのも、この他力の消息を示す好例だ。
 私は、何の修行もいらずに他力を得る方法を伝えたい。他力を求める原理、要領とは、自然作用にほかならない。自然作用を無視しては他力は得られないことを知らなければならない。自然の作用は頼りないように見えるけれども、決してそうではない。常に肉体を調整し、意識を秩序的に守っているのは、この自然作用である。
 自然の食物をとる。自然の姿勢をとる。自然の呼吸をする。自然の睡眠をとる。自然の「気」に触れる。自然の動植物と親しむ。自然の音楽を聞く。自然な考え方をする。自然の成り行きに身を任せる。自然を友とし自然を師とする。
 深く微妙なところまで自然作用が円滑に働くならば、現象界はもちろんのこと、見えない世界まで知ることができる。全身の細胞が活性化されて、下半身にある他力層の働きが充実し、上半身の自力層につなげてゆくからである。宇宙の「気」エネルギーという他力が、即自力となってゆくと、素晴らしい働きをしてくれるものである。
 自然作用によって、常に青空のように心を空にした人にとっては、宇宙エネルギーという他力で、目に見えるものことごとくがアイデアの世界となる。
 この青空とは、空寂世界のことであり、空寂という状態においては、肉体が宇宙の「気」エネルギーを盛んに吸収し、蓄積しているのである。物事に相対した時に、当意即妙に解決することのできる判断力が生じてくる。ここにこそ、真に役立つすべての名案、素晴らしいアイデアの源泉がある。
[on]電車やデパートは発想の宝石箱
 ここまで、直観を重視したアイデア発想法を説明してきた。
 日頃から真の感覚力を養って、無から有を生み出す「気」働きで発想すること。朝の目覚めの時などに、半意識状態の素晴らしい感覚からひらめきを得ること。アイデアという他力を求めるには、常に肉体を調整し、自然作用が働くように心掛けること。以上が要点であったが、アイデアや企画を生み出す日常的な方法や工夫は、ほかにもいくらでも考えられる。
 アイデアを生む心構えとしては、大胆不敵になることが必要であろう。アイデアや企画などというものは、仮説を作る作業であるから、奇想天外な仮説を発想する能力も求められる。融通のきかない人間は、とっぴなことを考えられないものである。
 アイデアマン、企画マンなどは常に、「この世の中にこんな物があったらいいなあ、なかったらいいなあ」といった、あり得ない仮説を立てて、そこから派生する現象を考える訓練を積むことである。やがて、あなたの脳の中で、非凡なアイデアや企画を生み出す能力が醸成されてくることだろう。
 次に、アイデアマン、企画マンには過去の経験や知識も、なるほど大切な情報であり、多ければ多いほどよいが、自由自在に使いこなせなければ、無用の長物、宝の持ち腐れであると知ること。
 つまり、ただ知っているだけでは応用がきかない。見慣れない事物や問題にぶつかった時に、すでに持っている知識や経験と比較、分析し、類比の発想から、新しいアイデアを得ることが大切なのである。
 例えば、ダンロップタイヤの創始者、ダンロップは、丈夫なタイヤをどう作ろうかと苦労している時、サッカーボールをヒントに、空気を入れることを思いついたという。
 このように、よく見知っているものの中にも、視点を変えてみると、発想や企画のヒントになるものは多い。
 アイデアに詰まったら、散歩したり、デパートを見て回ったりするとよいといわれる理由も、ここにある。何か、自分のテーマと結びつくものが見いだせるかもしれない。
 その点、各種の車内づり広告があったり、いろいろな年齢、職種の人たちが乗り合わせている電車の中は、発想や企画の宝庫といえるし、人間が考えるのに絶好の場所でもある。たとえ満員電車の中でも、意外に考えがどんどん広がっていくものである。
 電車の中というのは、いくら書類作成の締め切りなどが近づいているとはいえ、決して原稿が書けないのだから、時間に追われることはない。それは開放された無駄な時間であるから、逆に考えがぐんぐん広がっていくのだろう。今まで行き詰まっていた考えに突然明かりが差してきたり、意外なひらめきが浮かんでくる。こういう発想は、次の瞬間にふと忘れることが多いので、思いついたことはきちょうめんにメモしておけばよい。
 そのほかにも、仕事をする上で物事を考えるのに適した場所は、いろいろあるものである。
 頭脳を明敏にしたり、日常業務でない特殊な問題に注意を集中するために、短時間自分一人になって考えたいと思うのだったら、静かな喫茶店を利用するのもよい。先の電車に座席のすいている時間を見計らって乗り、環状線を二、三回回ってみるのもよい。
 天気のよい日だったら、会社の屋上も考える場所になるだろうし、あまり人が混んでいない公園のベンチ、美術館、博物館も、まとまった自分の時間を持ち、新鮮な気持ちで落ち着いて物を考えるのに適している。
[on]アイデアが湧き出る日常生活の工夫
 屋外ではなく自分の会社内で、アイデアを考え出したり、計画を立案したり、問題を解決したり、より創造的な仕事をするのには、機械的方法を用いてみることもいい。
 この機械的方法とは、まず机に向かって何かをしてみることによって、精神にスタートをかけるのである。それには、メモ帳と筆記具を用意して、精神集中の道具とするというテクニックが役立つはずだ。
 私たち人間が紙の上にある考えを書く時には、注意力は自動的に書くことに集中されることになる。脳というものは、一つの考えを考えながら、同時にそれと違ったことを書き出せるようにはなっていない。だから、手で紙の上に一つの考えを書いている時には、心の上にもそれを書いているのである。書き出してみると、ずっと長く、ずっと正確に、内容を記憶していることが何よりの証拠である。
 こうして、ひとたびすぐ書き出せる習慣を身につけてしまえば、新聞記者のように、ざわついた中でも、その他、気を散らすどんな環境の中でも考えることができるようになる。精神を集中して考えたいと思った時には、いたずら書きでも何でもよいから、何かを紙に書いてみることである。
 その上、物を書くことは、自分の考えを系統立てて整理するのにも役立つ。発表の席でも、自分の考えをただ口に出して述べていくのではなく、重要な点を書き出したり、図解しながら話していくと、自然に頭の中が整理されて、述べる考えも系統立ったものになってくるから不思議である。
 次に、アイデアを生むためには、異種体験を積むことも大切である。ビジネスマンが会社の仕事だけに忙殺され、飲みにゆくとしても上司や同僚が相手というのでは、刺激が少なすぎて、どうしても知らぬ間に狭い世界に閉じこもりがちになるので、発想の視界は狭くなるばかりである。
 多少無理をしても、異業種の人間と付き合うことも、豊かな発想を生む、一つの方法である。全く違った世界の人に接するのは、頭の活性化のためにもよい。最近は勉強会と称して、異業種同士での集まりが盛んだから、積極的に参加してみるのもよい手である。
 また、発想の井戸を増やすためには、趣味として、俳句や短歌を作るのもいいかもしれない。外国語をマスターするのもいいかもしれない。
 さらに、発想や創造性は直観的なもので、右脳の分野に属しているから、日常生活の中で右脳をトレーニングするように心掛けることもよいかもしれない。トレーニングといっても、決してむずかしいことではなく、たやすく右脳を刺激できる方法がある。
 例えば、左手や左足など左半身は、右脳の管轄である。右利きの人は、カバンを左手で持ったり、電車のつり皮を左手で握ったりするだけでもよい。絵を鑑賞したり、クラシック音楽を聴いたりするのも効果的である。
 もっと簡単なのは、うまい物を食べること。これは何も舌の問題だけではない。見た目、嗅覚、歯ごたえなど、右脳が総合的に処理して、うまいと感じさせてくれる。味のわからない人は、右脳の働きが鈍いということなのである。
[end]先見力と情報収集力を育てるには
 発想に相通ずる先見力と、発想のもとにもなる情報収集力というものについても、触れておこう。
 先を見る力を意味する先見力というものは、特に企業活動において、きわめて重要な意味を持つものである。時々、とっぴすぎて誰からも相手にされないようなケースもあるだろうが、それはいわば優れた先見力の宿命のようなものだ。
 さまざまな情報の中から、独自の嗅覚でヒントを捕らえ、独自のアングルで掘り下げ、先を読む。そうした力は、創造的な発想とともに、現代のビジネスマンに最も求められているものの一つではないだろうか。
 では、発想力や先見力を生み出すもとになる情報は、どのように収集すればいいのか。
 集めるべき情報は、我々の身の回りのどこにでもある。街を歩いていても、家でテレビを見たり、新聞や雑誌を読んだりしていても、仕事をしていてもである。
 ただ、これを自分の仕事にどう生かせるかが問題なのであるが、とりわけ情報で勝負するビジネスマンなら、まずは、仕事上必要な情報がどこにあるかを、嗅ぎ出さなければならない。
 そこで、人間の情報感知能力というものは、人間の五官(五感)、つまり視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚から発揮されるという、基本的な話から始めてみよう。
 心理学者のメトフェッセルは、今から五十年ほど前に、「人間の知識の六十五パーセントは、目から取り入れられる。二十五パーセントは耳から、残りの十パーセントは、触覚、味覚、嗅覚による」と指摘した。
 今日では、活字媒体と映像媒体の発達によって、視覚を通じた情報の受け入れ比重が、一段と大きくなっていると思われる。
 このような情報感知能力は、どのようにして養えばいいのだろうか。情報通といわれる人たちは誰でも、きわめて好奇心が強い。モーターショーが行われるといえば、何はさておき飛んでゆき、国際見本市があると聞けば、すかさず出掛けていく。そこには、現在と未来についての情報が、無数に転がっているからである。
 彼らはあらゆる出来事に関心を持ち、熱心に観察し、メモをとっている。何でも見てやろうの精神は、やじ馬根性にも通じる。新しいものを発見すると、すぐさま試してみようとするのである。
 要するに、さまざまな情報、わけても生きた情報を集めるには、マメであることが第一条件なのである。まず、強い好奇心を持つことが必要だ。「何でも見てやろう」という、やじ馬根性に駆られて、何かあればすぐ飛んでいくといった行動力がなければ、なかなか細かい情報は集めにくい。
 また、好奇心の強い人と話し合うこともプラスになる。気がついたら何時間も話し込んでしまったという経験をするのは、相手が好奇心の強い人の場合に多い。好奇心の強い人は多くの人に関心を持ち、同時に多くの人から関心を持たれているから、自然に大量の情報がストックされている。彼らはひとりでに、情報のギブ・アンド・テークを行っているわけで、お互いに加速度的に情報が累増するわけだ。
 およそ、情報は生身の人間が持っているものだ。特にインフォーマルな情報ほどそうであって、本当に人間好きな人でなければ情報は集めにくい。
 多くの情報が集まる人には、一定の性格パターンがあるようだ。人間の性格をドン・キホーテ型とハムレット型とに分けると、情報集めにはドン・キホーテ型の人が有利である。こういう人は平気で、格好の悪い、ぶざまな情報集めができるし、軽蔑(けいべつ)されることも恐れずに、議論を吹っ掛けることもできる。
 彼の率直な質問の仕方や議論の仕方は、気取った人のそれよりもはるかに人に好かれるものである。人に好かれれば、おのずと豊かな情報が集まってくる。
 こうした純情さと、労力をいとわないマメさこそが情報の源であって、さらに「火事だ」といえば、すぐに走り出すような江戸っ子の腰の軽さも重要だ。
 情報の源であるマメさは、日常生活の中でも大いに発揮してほしい。
 ビジネスマンの場合、奥さんのお供でスーパーにいったら、レジ近くに立ち、奥様方はどんな物を買っているか、いくらぐらい買ったかを見る。床屋にいって、そこの主に世間話を聞く。タクシーの運転手の愚痴をたまには聞いてみる。
 我々は、日々生きた経済の中で生活しているのである。そこから得られるホットで、多種多様な情報を鍛え抜いた頭で体系化すれば、日本経済に関する優れた洞察力を持つようになる。それに基づいて会社の仕事の展開を考えていけば、必ず非常に優れたアイデアが次々に生まれるに違いない。




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■心構えから脳を活性化する1 [頭を鍛える]





[晴れ]心のあり方が能力におよぼす影響
 実社会のビジネス界では、学校の教科書には決して書いてない全人格的な判断を必要とすることばかりで、心で考え、心で判断することが多い。頭を鍛えるというのも、人の感情をいつも深く考えながら、判断するという癖をつけることであり、学説やジャーナリズムの論調に惑わされないで、自由に考えることである。
 以上のように冒頭で述べた通り、私が述べる頭脳明晰法は、頭を心で鍛えていくということに主眼の一つを置くものである。
 本編では、青壮年層が心の面から頭脳を活性化したり、老年層が気構え、心構えから頭脳の明晰さを維持したりしていく方法を解説していく。
 実際、人間の心のあり方、心構え、気構えなどというものは、その人の頭脳の明晰度に大きな影響を与え、人生さえ左右するものである。
 例えば、世の中、同じことをしても、成功する人と失敗する人とがいる。たまたま運がよかったのか、それともたまたま運が悪かったのか。もしも身近に運のよい人と悪い人がいるなら、その人たちのいうことを比べてみるといい。心構えや考え方が、大きく違うはずである。片や気力が充実し、積極的で自信にあふれ、片や気枯れして、消極的で過去にこだわる人が多いということに気づくだろう。
 つまり、どういう心構えや考え方が頭を活性化させ、成功につながるのかを一言でいえば、積極的な心構え、前向きで広い思考ということになる。成功も失敗もすべてプラスにとる態度が大切なのである。反対に、自分に自信のない人は、せっかくのチャンスも逃してしまう。
 なぜ、積極的に構えると、いい結果が得られるのだろうか。それは、気力が充実して、能力が高められるからである。気力の充実は、生き生きとした精神と肉体があってこそ可能になる。積極的な心構え、前向きな考え方をすることで、心身に張りが生まれ、はつらつとして事に臨む気力や能力が生まれるのである。
 人間の内と外には、「気」という神秘なるエネルギーが存在する。人間が発散しているこの気体は、光背とかオーラとか呼ばれ、目で見ることができる人もいる。
 「気」は、人間の生命力の源であり、精神と肉体のバロメーターでもある。人間の能力をフルに生かすためには、この気力を充実させなくてはならない。人間のあらゆる可能性を開くのは、「気」の強い、弱いにかかわるといっても過言ではない。
 精神と肉体のバランスが悪ければ、「気」は働かない、「気」が入らない。人が飛躍する時、「気」が働かなければ、事は成就しないのである。自信がなく、半信半疑で行ったことが成功しないのは、「気」が入らないからである。
 積極的な心構え、前向きな思考とは、「気」を高め、生かすための気構えであり、考え方の一つなのだ。
 人間の気力というものは、宇宙の「気」から作られる。能力、知力、体力というものも、肉体が宇宙から「気」を受けて力とするのである。人間の体も、そこに「気」がこなければ、花を咲かすことも、実をつけることもできない。成長することも、発展することもできない。これが自然の約束なのである。
[曇り]気力から発揮される能力、知力、体力
 気力を作るには、深い眠りの中で深呼吸によって、あるいは体をほうり出して、生かされているという状態で、自然作用、自然機能で肉体が空の状態になると、この体に「気」が充実してくるのである。
 また、人が気力が出る場合は、必ず自分自身が喜びを感じた時である。不安や絶望、悩み事を抱えている人は、見るからにわかるものだ。生気がない、喜びがないから気力が出ないのである。自分で気力を出し、気合を入れるには、意識的に動作をキビキビと速くしてみるといい。体にすぐに興奮が起こり、精神も興奮してくる。体のエネルギーが心のエネルギーに変わり、気力が出るというものである。
 気力は体力、知力ともなり、その人の能力として発揮されるものだから、一番の働きの元である。
 だから、誰もが積極的な心構えで、前向きに考え、気力を充実させて事に臨めば、無限の能力は発揮できる。人生をよい方向へ向けることも可能になる。
 つまり、人間の人生は、自分の心の持ち方一つ、考え方一つ、気力の出し方一つでどのようにも変わるということである。人間には誰にも、能力があり、可能性があるのである。ただ、「自分にはとてもできない」と頭で思ってしまうから、自らその能力、可能性を殺してしまうわけだ。
 人生の一こま一こまの場面を考えてみても、仕事や勉強をする時、ダラダラとやった場合よりも、「よし、やるぞ」と積極的に考え、うまく気力を充実させた場合のほうが、能率がグンと上がるし、間違いが減ったり、要領もちゃんと覚えられるなど作業の質が違ってくることは、誰にでも体験があることだろう。
 格言にも、「一念天に通ず」、「志ある者は事ついになる」などという。前向きに志をしっかり持ち、心を集中して思いを込めて行えば、どのような事も最後には成し遂げることができるという意味である。
 まずやるべきことは、どんな障害に遭遇しても、いかにして突破するかを考えることであり、「私の手には余る」と判断する前に、腰を据えて事態を分析し、自分の能力を信じることが必要。
 この自分の能力を信じること、自分自身に対して自信を持つことも、人間なら誰でもできる。誰にでも、才能があるからだ。
 必ずしも、その才能が学問に向けられるとは限らないが、スポーツや芸術、経営能力や商才、人を楽しませる能力といったように、自分に適した方面に隠れた才能は確かにあるはずである。
 その才能というのは、否定的な考えのところには現れることはなく、常に自信に満ち、積極的に考える人、気力にあふれる人にのみ開花するといえる。
 今、いかに劣等生でも、あるいはコンプレックスを感じていたとしても、自分の好きな点を伸ばすことによって前途は開かれる。弱点、欠点には目をつぶり、自分の優れている点だけを見つめ、それを追求し続ければ、ハンデは障害にはならず、才能は開くのである。
[雨]小さな成功体験が才能を開かせる
 あの発明王のエジソンをはじめ、成功した人の多くは劣等感をバネにして、人生を大きく発展させている。逆境こそ、人を成長させる糧である。悪条件こそ、人を大きく前進させる推進力である。
 誰もが劣等感によって苦しむのはやめにして、積極的な心構えで、気力を充実させて事に当たれば、やがて成就しない願いはないのである。
 世の中に、最初から自信満々な人間などいない。偉人と評される人であろうと、一つの小さな成功をステップに、一歩一歩、一段一段とより大きな成功を手にし、それがまた大きな自信となっていくのである。その都度、より大きな自信を獲得して、さらに成功を重ねるのである。
 大いなる錯覚でもよいだろう。単なる思い込みでもよいだろう。まず自分自身に対して自信を持とう。「信じる者は救われる」ではないが、自分には能力も才能もあると自己暗示し、「必ず成し遂げる。きっと成功させる」と、楽観的に考えられる人間になることから始めよう。
 人間の心というものは面白いもので、「必ず成功する」という確信は持てなくても、「頑張れば何とか芽がありそうだ」などと少しでも思うことができるならば、いかに苦しい仕事でも、それなりに能力を発揮して達成してしまうものである。
 その意味でいえば、常に失敗と挫折ばかりが心の中で大きな比重を占めている人は、事に当たって成功イメージを持つことができず、「やればできる」と楽観的になれない。特に、今まで失敗を繰り返し、自信を失っている人は、何をするにも「今度も、うまくいかないのではないか」と、否定的に考えてしまう心理状態になっていることが多い。
 反対に、成功を重ねてきた人ならば、自分に自信を持ち、何をするにも積極的、行動的に対処していこうとする。こういう肯定的な捕らえ方をする人は、物事を否定的に捕らえ、消極的な姿勢になっている人よりも、いろいろな面で成功する確率が高い。
 はじめて手掛けることであっても、「やればできるだろう」と肯定的に考えることで、積極的に取り組むようになれるし、気力もずっと高められるのである。
 事に当たって、ビジネスマンや学生が自信を持ち、肯定的になるためには、最初、ささやかでいいから、とにかく実際に小さな成功を体験することだ。その成功を重ねていくと、だんだん当人の意欲、積極性に火がついてくるのである。
 人間は仕事や勉強を手掛ける時、すべり出しでつまずくと、嫌気が差してしまいがちだが、最初の段階である程度の成功を収めると、後は調子に乗ってどんどん進んでいく。
 ほんのささいなことでも成功したり、うれしい気持ちにさせられた体験は、その人間の行動を大きく変えるもの。よく見聞するところで、絵や作文などで青少年時代に教師からほめられたためにその気になり、一生懸命励んでいるうちに一流の画家や作家になったなどというのも、好例といっていいだろう。
 大人でも、一つの仕事をうまくこなして勢いがつくと、全く別の仕事もうまくこなせるようになる傾向が強い。分野は何でもかまわない。ともかく、うまくいくことが第一歩。 そのためには、自分の得手とすること、やりやすいことから手掛けるのもよい手である。パソコンが得意な人なら、OAを使う仕事から入る。ここで、ある程度の仕事をこなしたという実績が、次の仕事へ向かう意欲、自信を湧かせ、気力が充実しやすい状態を作ってくれる。
[雪]尊敬する人やライバルを作ろう
 尊敬できる人物、あこがれの人がいたら、その人の活躍している姿を見たり、思い出したりすることで、自分の能力を高めるようにするのもよいだろう。
 野球選手、プロレスラー、相撲取り、俳優など昔のスターというのは、一般のファンにとってはあこがれ、尊敬の対象という一面を持っていたものである。こうしたスターでなくとも、身近に尊敬できる先輩や上司を見つけられれば最善かもしれない。
 尊敬する人が働いている姿を見ることによって、「自分も、もっと頑張らなくては」と、意欲を新たにすることができる。
 そもそも、こうした尊敬される先輩や上司というものは、仕事ができる有能な人であることが多い。同時に、身近な存在なだけに、仕事ぶりをつぶさに観察することができる上、彼らのまねをすることで、手際のいい仕事の進め方まで、知らず知らずのうちに身につけられる。それがまた、自らの自信へとつながっていくのである。
 同じような意味で、自分の頭を心理面から鍛える方法として、積極的にライバルという刺激物を作るのもいい。
 スポーツでも芸事でも、楽しんでのんびり道楽としてやっている人は、時間を注ぎ込んでいる割には力が伸びない、といわれている。勝負にこだわる人が、結局のところ最も伸びるらしい。今度は負けまいとするから反省が生まれ、一度犯した誤りは二度と起こさないよう細心の注意を払う。
 ビジネスでも全く同じで、上司から注意された悔しさや、ライバルに論破された屈辱感から逃げない人や、プライドを捨てて自分を素直に反省する人が伸びるわけだ。
 人間はほうっておくと、とかく楽なほうへ楽なほうへと流れがちだ。その結果、カドがとれ、次第にボケてしまうことになる。だからこそ、悔しさが自然に発生する状態や勝負にこだわる状況に、自らの身を置く必要がある。
 その点、人間は誰でも、ライバルが出現すると嫌でも発破がかかり、闘志に火がつく。彼や彼女だけには負けたくないと思い、負けた時の自分のみじめな姿を想像すれば、自然と仕事や勉強に身が入るものである。
 好敵手は自然にできることもあるが、もしいなければ、自分で作り出すことである。会社の仲間の中に作ってもいいし、学生時代の友人で、今は別の会社に就職している相手を標的に絞ってもいい。あるいは、全く別の分野で活躍している自分と同年配の人間を、勝手にライバルにしてもいいのである。
 また、ライバルというと、同年配で実力伯仲の相手を対象にしがちであるが、必ずしもそうである必要はない。自分と同レベルの人間をライバルに選ぼうとすると、ついつい楽をしたい意識が勝ち、絶対に自分が勝てるやや安易な相手を想定しがち。
 自分の能力を高めるには、そういう相手はふさわしくない。勝って当たり前の相手だから、結局あまりやる気が出ないし、時に負けることがあったりすると、ひどいショックを受けかねないからだ。
 自分より、やや実力が上と思われる相手であれば、負けまいとして全力を尽くすから、仕事に身が入る。自分よりも上のレベル、なかなか勝てない相手だからこそ、何とかして勝とうという気持ちが強まるのである。
 「彼の勉強したことを全部勉強しなくてはいけない」と思えば、猛ハッスルするはず。そうすると当然、頭にドンドン知識が入ってくるので、頭は数段鍛えられるものだ。
 「無知の知」といわれる通り、ライバルに比べて自分が無知であることを知るのは、大事だ。そこから一歩進んで、知らないことを知るように努力したい。
 もし身近に競い合うほどのライバルがいなければ、将来、完全に抜き去るための一時的なライバルを想定してもいい。例えば、今の上司を自分が超える相手としてのライバルに選ぶのも一案である。
 ともかく、誰もが自分のお手本となる人を探し、じっくり研究し、まねてみるところから頭を鍛える作業を始めることだ。
 まねること、盗むことのまず第一歩は、自分の資質に比較的似ており、また目的を同じくしている人を選ぶことだろう。その人と同じレベルになるためには、それこそ何度も同じことを繰り返しやればいいわけだ。偉大なるライバルは、自分が五、六度繰り返してやっとできたものをたった一度でできたのかもしれないが、できるようになった結果としては同じことで、恥じることではない。人間の持ち前の才気は年とともに衰えていくから、かえって何度も繰り返して鍛えた頭のほうが行く行くは長持ちし、優れているということが多いものだ。
[雷]前向きの言葉一つで自分が変わる
 自分自身と競争して頭を鍛えようとする人には、座右の銘を持つことを勧めたい。
 世の中で、「継続は力なり」といった座右の銘を持っている人は多いものだが、自分の好きな言葉、自分の信じる言葉が、へこたれそうになった時、まるでムチのように心に気合を入れてくれ、心と言葉が結びついた時、思いも掛けない起爆剤になってくれることもある。
 その言葉も、ただ心で念じているのではなく、机の前に張ったり、紙に書いて持ち歩くことで、より心理的効果を高めてくれるものだ。
 人間は弱いもので、いったん状況に流され始めると、自分が大切にしている言葉もめったに思い出さなくなってしまう。忘れてしまいたいとすら思うようにもなる。そのような時、目につきやすいところに書いてあれば、当然、繰り返し確認させられることになる。 例えば、「必ず、あの試験に合格してみせる」と、ただ心の中で決意していただけでは自分を甘やかしてしまいやすいが、紙に書いたりして視覚化しておけば、紙を見るたびに意欲が喚起され直すし、他の人の目にもつくわけだから簡単には引っ込められない。
 自分の決意が鈍っても、その言葉が目に入れば、「こんなことではいけない」と、自分を励ましてくれるのが、自分の好きな言葉を張る心理的効果なのである。
 座右の銘を壁に張っておく際、この言葉は語尾がはっきりとした、断定口調にするのがいい。
 言葉を見た瞬間に有無をいわさず飛び込んでくる、強いもののほうが効果がある。強い断定口調は、自分に確信めいたものを与える。それが説得力につながっていくわけだ。
 太平洋戦争中にあったスローガンを思い出してみると、「鬼畜米英」、「贅沢(ぜいたく)は敵だ」と、対象を明確に位置づけ、断定している。この種の標語は二度と唱えたくないものではあるが、スローガンには選択の余地を与えない、力強いものが必要だという見本である。
 この意味で、よく受験生の部屋の壁に、「必勝」、「目指せ東大」などと書いた紙が張ってあるのは、意欲を鼓舞するための簡潔な言葉として、なかなか効果的な役割を果たしているはずである。断定のもう一つの効用は、言葉が短くなり、一見して目に飛び込んでくるものになりやすいということだ。
 たくさんの目標や標語を張ることは、かえって効果が散漫になってしまいがちだから、座右の銘をいくつか持っていてもいいが、特別の一つを選んで集中したほうが効果は高い。
 ことほどさように、人間は言葉によって、心の持ちようまで変わってくるものである。明るく、積極的、肯定的な言葉は、自分だけでなく、周囲の人々をも、明るく、生き生きとさせるものである。
 逆に、暗く、消極的、否定的な言葉は、自分を暗く、じめじめさせ、周りも暗く、不幸な気分にさせてしまう。
 話も、「……します」、「……です」、「……やります」で締め、「……と思います」、「……するつもりです」を避けるのが、賢明である。
 なぜなら、明るく、積極的な言葉は、常に自分を高め、現状を打破しようという意志を持たせることができるからだ。あきらめや自信のない言葉からは、成功は生まれない。
 言葉とは、精神までも支配してしまうものなのである。
 ビジネスマンで仕事の実力があっても、チャンス、ピンチの大切な場で、その実力を発揮できるか否かは、言葉からくる精神力に微妙に左右される。
 むずかしい仕事だと思っても、「やれそうです」という。決して、安請け合いをしろというのではないが、「やってみたい」と前向きな態度で臨むことが、自分の能力を伸ばす。不安を感じながらも、困難な仕事に挑戦すれば、それだけ仕事の面白みも増すというもの。
 運の悪いことが続いても、「そのうちついてくるさ」という。言葉からスネた陰りを除けば、表情も明るくなり、自信が生まれ、物事はよい方向へ発展するだろう。
 とにかく、「やれる」と思うこと、そして「やれるぞ」と他人に告げることは、思わぬ可能性を生み、自分のレベルを引き上げる方策となるのである。言葉で可能性をつぶすことはない。




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■心構えから脳を活性化する2 [頭を鍛える]





[トイレ]興味を引く目的が頭を鍛える
 さて、人間にとっては、六十歳をすぎても頭脳を明晰に維持するための心構えや、気構えも大切である。
 今、人生は八十年といわれる時代である。一般のサラリーマンであれば、定年後もう一度人生があるようなものである。老後も知性を保ちながら、いかに心身とも充実したものにするかということは、これからますます重要になる。
 人間とは、目的なしには生きられないものである。趣味もなく、定年まで仕事一筋できたような人は、往々にして老け込みやすい。定年後、ボケるのを待つばかりの生活では、人生はつまらないものになってしまう。
 幸いなことに、現代社会は人それぞれ、さまざまな楽しみ方ができる。自分が一生かかわることのできる目的を、一つでも持つことができれば、その人の人生は有意義で、張りのあるものになる。芸は身も、心も助けてくれるのである。
 人生の目的は、何よりも自分の好きなもの、興味のあるものでなければならない。興味が湧かないことに時間を費やすのは、時間の浪費であろう。逆に、他人からはつまらないことのようにいわれることでも、興味のあることになら徹底的に首を突っ込み、考え抜くべきだ。
 人間は誰もが、嫌いな仕事や勉強をしている時は、時間がたつばかりで、なかなか集中などできないものであるが、面白く、楽しいと思うことには、何の苦もなく集中できるものである。だから、興味を引く問題に関する情報は、大した努力もなくおのずと頭に入るだろう。
 それは、頭を鍛える上で大変効果的である。誰でも興味のあるものに引かれるという、ありがたい性癖を神から与えられているのだから、頭を鍛えるためにも大いにそれを利用するべきであろう。
 この点、余暇時間を利用して、定年までの期間コツコツと知識を深め、技術を磨くことができれば、その人の老後は最高のものになる。一見つまらないものでも、その道を極めれば専門家、達人になれるというものだ。例えば、現役のサラリーマン当時から英検や不動産鑑定士、税理士、中小企業診断士など何か特殊資格を取っておくことが、定年後の人生に役立つ場合が相当多いようだ。
 一方、人生の目的もなく、興味を引く趣味や仕事もなく、じっとしていては頭のほうもボケてくる。古い細胞だから、刺激を与えて、年を取らないようにしなければならない。 細胞の中では、脳細胞を一番大事にせねばならないのである。なぜならば、これを悪くしてしまうと、生命に関するほどの危なさもあって始末が悪いからだ。
 若い時の脳細胞の状態というものは、割合に新鮮で健康であるけれども、中年から老年となってくると、脳細胞のあり方というものは非常に重要なものになる。老人になればボケる、物忘れをする、頭脳が強く働かないというようなことも大いにあるから、頭脳の鍛錬が必要なのである。
 この脳細胞は意識的な影響を受けて、非常に変化をする。脳細胞は非常に精密、巧妙であるけれども、これがいろいろなことによって、能力を低下させることがあるのだ。
 例えば、睡眠不足の日は全くボケて役目を果たさないということもあったり、精神とか心とか意識とかいうものによって、頭脳が大変な変化をしたり影響を受けたりして、全く用をなさないようなことさえある。そうして、著しく変化すると思うと、元に戻るということもあって、実に変化が早い。この脳細胞を維持する自然の作用、これは肉体全体の自然の作用とも、少し違うものである。
[レストラン]楽しさという推進力を活用しよう
 では、どうすればよいか。それには、眠ることが一番である。そうすると五官的にスッキリ、ハッキリとして頭脳は新鮮になるから、物事がハッキリと処理できる。子供と老人は、よく寝ることが肝要。
 また、脳細胞を健全に保つには、気を使わないことである。つまらないことを気にしない、苦にしない、心配しない。のんきに楽しく生きて、余計なことに頭を使わない。いらざる思いや考えをしないで、自然の仕組みに任せること、常に頭脳を休ませておくことも肝心である。
 人間の頭の健康度は、集中力に比例する。頭の老化、すなわちボケは、集中力の低下によって現れる。つまらないことを気にして、イライラ、クヨクヨすることは、頭の正常な働きを妨げる。
 物忘れをしたり、やる気が起きなかったり、ちょっとしたことでもすぐ気になったりといった自覚がある場合は、注意したほうがよい。気になることは、ストレス状態になる前に取り除くこと、それが集中力低下、頭の老化防止のための前提条件なのである。
 こうして集中力があり、心にゆとりがあり、体に落ち着きがある老人は、喜怒哀楽を上手に表現し、セーブすることができる。感情は、人間の体や性格に微妙に影響を与えるものだ。プラスの感情とマイナスの感情をコントロールすることが、幸せにつながる。
 気分がいい、楽しい、やる気が出るというプラスの状態は、感情の問題であると同時に、ホルモン分泌がかかわっている。大脳基底核、大脳新皮質の前頭葉、側頭葉、大脳辺縁系に分布するドーパミンが、前向きな快感をもたらすのである。ドーパミンが分泌することで、意欲的な精神状態を作り、プラスの方向に作用するのである。
 人間は通常、ホルモンをコントロールすることはできない。だが、精神の力で感情をコントロールすることは可能である。ドーパミンがプラスのホルモンであれば、当然マイナスのホルモンも存在する。恐怖のホルモンといわれるアドレナリン、怒りのホルモンといわれるノルアドレナリンである。逃避や不満の感情が高まった時は、必ずこれらのホルモンが分泌されている。
 怒りをほほ笑みに変え、マイナスのホルモンを分泌させないことが、幸せな人生を過ごすための秘訣である。生きていることを喜び、楽しく感じ、そう努めることが、人生をより充実させるのである。
 こういう楽しさという推進力を、人間はもっと活用すべきなのである。人間が生きるに当たって、その大きな推進力となるものは、この楽しさである。
 遊びなどという面白いことのためには、ずいぶん元気も勇気も出るし、熱心になれるということは、遊びの中には楽しさという推進力があるからである。だから、仕事も、勉強も楽しくやれば、自然に運びがつくし、気も入るものである。
 楽しさを素直に楽しまない、楽しめないような人は、どうしても幸福とは縁が遠くなる。
 物事をなるべく楽しく見る、楽しく考える、そういう見方、考え方を身につけよう。毎日を、できるだけ明るい動作や態度で送るように気をつければ、それだけで、その人の生活はずっと楽しいものになる。
[喫茶店]高齢者が頭の老化を防ぐコツ
 そして、老後の自分の肉体を守るためには、やはり新陳代謝を活発にすることが必要になってくる。一日中こたつに座ってじっとしているのでは、長生きはできない。よく働き、よく体を動かし、よく歩く。あるいは体操をするとか、摂生を守るということによって、自分の健康は保てる。
 だが、足などを鍛えるのは心臓の鍛えにはなるが、それのみで頭の老化は防げない。原稿を書いたり、社会のために働いている人はボケずに、気楽にテレビの前で過ごしていたような人は案外ボケている。
 だから、ボケないためには、いろいろな本を読むとか、勉強するとか、書くとかする。先に触れたようにいろいろな趣味を持ってそれを楽しみ、絶えず頭を働かすということも大切である。
 短歌などは、頭を刺激し、安らぎも得られ、エンジョイできるということで、老後の趣味としてはいいだろう。
 一日規律のある生活をすること。早起き、体操、乾布摩擦、散歩、さらに体をこまめに動かすために庭の草木の世話も勧めたい。疲れた時は休む。熟睡するとともに、ストレスをなくすには、やはり十分休むということが必要である。
 それから、バランスのとれた食事、特に蛋白(たんぱく)質を十分とり、ミネラル、カルシウム、ビタミンというようなもの、新鮮な野菜をよくとることである。
 最近では、音楽を聞くのもよいといわれ始めている。五官を通じて大脳に刺激を与え、活性化を促す音楽健康法が近年広まっており、クラシック音楽が老人の神経の安定に役立つという音楽療法の臨床実験が注目を集めている。脳機能を活性化させて、ボケを防ぐ効果もあるそうだ。
 しかしながら、感情が鈍くなっていては、いい音楽を聞いても、美しい絵を見ても、感動など湧こうはずもない。こういう人は腹の立つこともない代わりに、頭を鍛えることもないから、ボケるのを待つのみだ。
 頭脳を明晰に保つためには、常に感動する若々しい気持ちや、他人を理解しようという素直な態度を持ち続けていかなければならないということである。そのためには、テレビや報道写真をよく見ることが効果的だろう。
[バー]新たなことに挑戦する気概を
 今まで述べてきた中で最もよいのは、若い頃だけでなく、老後でも生涯現役として、打ち込める仕事を持つことである。健康で、元気な限りは何かできるはずだ。
 老人になっても、楽しみながら毎日の仕事をしていると、人間も向上するし、自分の生命そのものにも張りが出て、常に若々しく新しい道を求めてゆくことができる。若者のように、新しい芽を吹かせることもできるのである。
 現役で会社を経営したり、勤めている人は、バリバリやればいい。新しく商売を始めるシルバー企業家を目指すのもいい。かつての豊かな経験や一芸を生かせる人は、技術コンサルタント、経営コンサルタント、趣味教室の講師などを務めてはどうだろうか。
 私がいかに勧めても、「年を取って、もう力も出ない、何に対しても興味が湧かない」という人は、とにかく何か変わったことをやってみることだ。
 子供たちというものは、新しい字を覚えたり、新しい遊びを考え出したり、日々新鮮な学習意欲に満ちているものである。人間は義務感のみを感じて何かをやるような場合には、それを楽しむことができない。しかし、積極的に熱意を持ってやった場合は、その疲労感は普通の場合の五分の一、十分の一にもなる。
 年を取るごとに、この熱意が減退してゆくとしたら寂しいことである。老人になっても、子供の頃の気持ちを忘れてはいけない。仕事はもちろん、余暇の時間に関しても、常に新しいことに挑戦する気概を持ちたい。
 新しいことへの挑戦が、生きる上に楽しく、さらなる意欲を生み出すために役立つはずである。それによって、生きようという心や気力を盛んならしめるだけでも、大したものではないか。
 今から、ゴルフやテニスや山登りなどのスポーツで、体を鍛え直すのもいいだろう。改めて万巻の読書に取り組むのもいい。語学を勉強して、年に一回は世界を見て歩くのも結構だ。墨絵、粘土細工、男の料理などの稽古事、釣り、囲碁将棋、古典や植物の研究、何でもよい。学習することも立派な労働である。カルチャーセンターや教養講座は、今や社会に定着した感があるから、ここで学習意欲を燃やすのもいいだろう。
 知識は、商品のように金で買うことはできない。だからこそ、学びの日々、自己啓発の日々の中に人間の価値、喜び、楽しさ、幸福というものが実現されてくるのである。物事を知るということは楽しい。勉強は面白いものである。
 今日覚えたことは、今日の楽しさとなる。明日もまた、何かを覚えよう。明後日もまた、新しい知識を得、能力を進めて楽しく生きよう。
 あるいは、自然に触れて、自然の芸術を大いに味わうこともよい。盆栽いじりや、美術品、骨董品を味わって暮らすのもよいであろう。ボランティア活動で、体に蓄積された体験、経験をもって、世の中にお返しをするのもよい。
 積極的に社会の中へ出て、寝たきり老人の話し相手のボランティア活動など、何かの社会活動に参加する意欲と行動が、自らの病気さえ吹き飛ばすものではないか。
 老化しないためには、こうした場をどんどん利用して、積極的に生きることである。つまり、何かに挑戦するとか、新しい人と接するとか、前向きに考えることが大切になるのである。しかも、自分のやっていることが、人のためになっているという実感があるほど若々しくなる。だから、持てる生命力を、人のためにフルに使えるようなものをつかむことが、高齢化社会を生き抜く秘訣ではないだろうか。
 また、老齢になっても社会生活に参加していれば、知的発達があり、進歩するもので、隠居などすると脳の退化が早い。老人は進んで社会生活に参加せよ。頭を働かせろ。




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