■「気」と日本人2 [「気」学]
日本語には多種多様な「気」が表れている
本家の中国から伝わった「気」が、どのような形で日本に残っているのか。現在の日本語の中に登場する「気」の字を用いた言葉を挙げながら、一緒に考えてみることにしよう。
「気力」、「気分」、「気付」、「気宇」、「気合」、「気色」、「気性」、「気味」、「気前」、「気度」、「気品」、「気風」、「気候」、「気骨」、「気根」、「気脈」、「気習」、「気転」、「気運」、「気炎」、「気象」、「気絶」、「気楽」、「気節」、「気鋭」、「気迫」、「気質」、「気韻」、「気位」、「気鬱」、「気概」、「気心」、「気丈」、「気随」、「気勢」、「気息」、「気体」、「気配」、「気長」、「気相(きっう)」、「気苦労」、「気重」、「気化」、「気構え」、「気軽」、「気管」、「気球」、「気胸」、「気配り」、「気先」、「気さく」、「気障り」、「気丈夫」、「気まま」、「気忙しい」、「気立て」、「気違い」、「気遣い」、「気疲れ」、「気詰まり」、「気強い」、「気取る」、「気に入り」、「気抜け」、「気の病」、「気働き」、「気早」、「気晴らし」、「気張る」、「気任せ」、「気紛れ」、「気迷い」など、「気」の字が頭にくる熟語をざっと並べただけでも、おびただしい数になる。
「空気」、「天気」、「暑気」、「寒気」、「意気」、「才気」、「士気」、「大気」、「火気」、「正気」、「生気」、「平気」、「血気」、「狂気」、「冷気」、「霊気」、「英気」、「鋭気」、「毒気」、「夜気」、「和気」、「活気」、「香気」、「口気」、「語気」、「辛気」、「神気」、「怒気」、「勇気」、「鬼気」、「豪気」、「酒気」、「運気」、「雲気」、「根気」、「元気」、「病気」、「熱気」、「景気」、「湿気」、「客気」、「逸(はや)り気」、「蒸気」、「上気」、「暖気」、「電気」、「精気」、「雰囲気」、「陽気」、「陰気」、「本気」、「浮気」、「邪気」、「殺気」、「人気(にんき)」、「人気(ひとけ)」、「短気」、「強気」、「勝ち気」、「弱気」、「惰気」、「やる気」、「火の気」、「塩気」、「節気」、「中気」など、「気」の字が下につく熟語となれば、もっと数が多い。
「気が合う」、「気に入る」、「気が入る」、「気にする」、「気が遠くなる」、「気を失う」、「気に掛かる」、「気兼ねする」、「気風(きっぷ)がよい」、「気味が悪い」、「気持ちが悪い」といった慣用句まで数え上げたら、際限がないほどである。
そして、「気」というものが宇宙天地大自然にくまなく充満し、宇宙的な広がりを持つことは、「気」という文字を用いた熟語を拾い出してみるだけでもわかる。
「大気」、「精気」、「空気」、「水蒸気」、「気体」などは天地に満ちあふれ、宇宙空間を満たしている。また、「天気」、「気象」、「気候」、「寒気」、「気圧」などを始め、四季折々の自然現象は、すべて「気」の働きから生じるものである。
あるいは、「一気呵成」、「気宇壮大」、「気品」、「気分」、「平気」、「勇気」、「気落ち」、「病気」、「元気」、「生気」__。
さらに、「気分がいい」、「気が晴れた」、「気のせい」、「気がもめる」、「気がきく」、「気負い立つ」、「気乗りがしない」のように、心と体の状態を自然につなぐ表現として、ちょっとした一日の会話の中に、「気」という言葉が限りなく使われている。
以上の言葉から、宇宙に遍満する「気」が、私たちの心、精神、体など、すべてを包んでいることがわかるであろう。「気」というものがいかに生活と密着しているか、生きるという生命の根源が「気」にあるということも、改めて知ることができる。
日常生活における感覚表現として用いられるばかりか、客観的であるべき科学においても、私たちは気働きや「気」作用、勘、ひらめきなどを重要視している。
日本の特徴は情緒に重点を置くこと
日本では、「気」は漠然とした事物の状態を表す時にも用いられる場合があり、また、心理的な色合いが濃くなる。
「気味が悪い」という時、その気味はこれといって明確でない、漠然とした心の状態を指す。雰囲気の「気」もそうだし、「恥ずかしげ」の「げ」も同様。「気配」などはまさに、漠然とした「気」を指す典型の言葉といえる。
そして、「気になる」、「気が重い」、「気を付ける」、「気が合う」、「気が詰まる」、「気を静める」、「気がめいる」、「気が散る」、「気がある」、「気を持たせる」、「気に病む」、「気まずい」、「気を悪くする」、「生きた気がしない」など、現代でも枚挙にいとまがないほど「気」が使われている日常語のほとんどが、心の持ち方や情緒、ないし一定の精神状態を指すところに、日本における「気」の特徴があるといえるだろう。
古代中国では万物を生むところの「気」が、現代日本では、心理や精神を説明する言葉として、大いに用いられているのである。この情緒に重点を置き換えた「気」の受容の仕方は、日本文化そのものであるといえるはずだ。
しかし、日本の「気」は「心」と同一視するわけにはいかない。「気は心」という言い回しがあるが、「気」と「心」がイコールであったら、その言葉は意味をなさない。
心というものは本来、内に向かって閉ざされているのに対して、「気」は人間の肉体から外へ向かって発せられている波長のようなもので、一種の目に見えない触手、触角の機能を果たしているのである。
例えば、後ろから見詰められていたり、ソッと後を付けられたりしていることを、微妙な気配によって気付いたりするのも、感覚としての「気」の働きである。
以心伝心も、一つの「気」の働きだ。以心伝心というのは仏教語であり、師から弟子に、言葉に出さないで仏法の根本を伝えることをいう。転じて、口に出さなくても、気持ちが通じることを指す。相手が発した「気」を、こちらの「気」が受け止めて、その意を汲(く)む。まさに「気」の交信といえよう。
また、何も平常は考えたり、気に止めていないが、機会がくれば何事にも気が付く。必要となると、さまざまなことを思い付いたり、アイデアを出したりする。このように次から次へと気が付いて、ないものまでも発見したり、着想したりするというような人は、この「気」というものが十分に働くからである。
こういう働きができるのは、宇宙が巨大な電磁体であり、太陽が目に見える熱核反応体であるとともに、目に見えない拡散する放射体であるように、人間の肉体もまた、目に見えない「気」の放射体だからこそである。
目に見えない肉体作用の話を加えれば、愛し合っている恋人同士は、寄り添っているだけで楽しいものである。反対に、憎しみ合っている相手だと、鳥肌が立ったり寒気がするだろう。他人の隣に数分間でも座っているだけで化学的に反応、変化をするのが、私たち人間の肉体というものだからである。
人間の肉体を「気」の放射体だといったが、電磁波の塊、「気」の結晶体と言い換えてもよく、「気」や電磁波は肉体から常に放射され、プラズマのように肉体を包み込んでいるものなのである。
本家の中国から伝わった「気」が、どのような形で日本に残っているのか。現在の日本語の中に登場する「気」の字を用いた言葉を挙げながら、一緒に考えてみることにしよう。
「気力」、「気分」、「気付」、「気宇」、「気合」、「気色」、「気性」、「気味」、「気前」、「気度」、「気品」、「気風」、「気候」、「気骨」、「気根」、「気脈」、「気習」、「気転」、「気運」、「気炎」、「気象」、「気絶」、「気楽」、「気節」、「気鋭」、「気迫」、「気質」、「気韻」、「気位」、「気鬱」、「気概」、「気心」、「気丈」、「気随」、「気勢」、「気息」、「気体」、「気配」、「気長」、「気相(きっう)」、「気苦労」、「気重」、「気化」、「気構え」、「気軽」、「気管」、「気球」、「気胸」、「気配り」、「気先」、「気さく」、「気障り」、「気丈夫」、「気まま」、「気忙しい」、「気立て」、「気違い」、「気遣い」、「気疲れ」、「気詰まり」、「気強い」、「気取る」、「気に入り」、「気抜け」、「気の病」、「気働き」、「気早」、「気晴らし」、「気張る」、「気任せ」、「気紛れ」、「気迷い」など、「気」の字が頭にくる熟語をざっと並べただけでも、おびただしい数になる。
「空気」、「天気」、「暑気」、「寒気」、「意気」、「才気」、「士気」、「大気」、「火気」、「正気」、「生気」、「平気」、「血気」、「狂気」、「冷気」、「霊気」、「英気」、「鋭気」、「毒気」、「夜気」、「和気」、「活気」、「香気」、「口気」、「語気」、「辛気」、「神気」、「怒気」、「勇気」、「鬼気」、「豪気」、「酒気」、「運気」、「雲気」、「根気」、「元気」、「病気」、「熱気」、「景気」、「湿気」、「客気」、「逸(はや)り気」、「蒸気」、「上気」、「暖気」、「電気」、「精気」、「雰囲気」、「陽気」、「陰気」、「本気」、「浮気」、「邪気」、「殺気」、「人気(にんき)」、「人気(ひとけ)」、「短気」、「強気」、「勝ち気」、「弱気」、「惰気」、「やる気」、「火の気」、「塩気」、「節気」、「中気」など、「気」の字が下につく熟語となれば、もっと数が多い。
「気が合う」、「気に入る」、「気が入る」、「気にする」、「気が遠くなる」、「気を失う」、「気に掛かる」、「気兼ねする」、「気風(きっぷ)がよい」、「気味が悪い」、「気持ちが悪い」といった慣用句まで数え上げたら、際限がないほどである。
そして、「気」というものが宇宙天地大自然にくまなく充満し、宇宙的な広がりを持つことは、「気」という文字を用いた熟語を拾い出してみるだけでもわかる。
「大気」、「精気」、「空気」、「水蒸気」、「気体」などは天地に満ちあふれ、宇宙空間を満たしている。また、「天気」、「気象」、「気候」、「寒気」、「気圧」などを始め、四季折々の自然現象は、すべて「気」の働きから生じるものである。
あるいは、「一気呵成」、「気宇壮大」、「気品」、「気分」、「平気」、「勇気」、「気落ち」、「病気」、「元気」、「生気」__。
さらに、「気分がいい」、「気が晴れた」、「気のせい」、「気がもめる」、「気がきく」、「気負い立つ」、「気乗りがしない」のように、心と体の状態を自然につなぐ表現として、ちょっとした一日の会話の中に、「気」という言葉が限りなく使われている。
以上の言葉から、宇宙に遍満する「気」が、私たちの心、精神、体など、すべてを包んでいることがわかるであろう。「気」というものがいかに生活と密着しているか、生きるという生命の根源が「気」にあるということも、改めて知ることができる。
日常生活における感覚表現として用いられるばかりか、客観的であるべき科学においても、私たちは気働きや「気」作用、勘、ひらめきなどを重要視している。
日本の特徴は情緒に重点を置くこと
日本では、「気」は漠然とした事物の状態を表す時にも用いられる場合があり、また、心理的な色合いが濃くなる。
「気味が悪い」という時、その気味はこれといって明確でない、漠然とした心の状態を指す。雰囲気の「気」もそうだし、「恥ずかしげ」の「げ」も同様。「気配」などはまさに、漠然とした「気」を指す典型の言葉といえる。
そして、「気になる」、「気が重い」、「気を付ける」、「気が合う」、「気が詰まる」、「気を静める」、「気がめいる」、「気が散る」、「気がある」、「気を持たせる」、「気に病む」、「気まずい」、「気を悪くする」、「生きた気がしない」など、現代でも枚挙にいとまがないほど「気」が使われている日常語のほとんどが、心の持ち方や情緒、ないし一定の精神状態を指すところに、日本における「気」の特徴があるといえるだろう。
古代中国では万物を生むところの「気」が、現代日本では、心理や精神を説明する言葉として、大いに用いられているのである。この情緒に重点を置き換えた「気」の受容の仕方は、日本文化そのものであるといえるはずだ。
しかし、日本の「気」は「心」と同一視するわけにはいかない。「気は心」という言い回しがあるが、「気」と「心」がイコールであったら、その言葉は意味をなさない。
心というものは本来、内に向かって閉ざされているのに対して、「気」は人間の肉体から外へ向かって発せられている波長のようなもので、一種の目に見えない触手、触角の機能を果たしているのである。
例えば、後ろから見詰められていたり、ソッと後を付けられたりしていることを、微妙な気配によって気付いたりするのも、感覚としての「気」の働きである。
以心伝心も、一つの「気」の働きだ。以心伝心というのは仏教語であり、師から弟子に、言葉に出さないで仏法の根本を伝えることをいう。転じて、口に出さなくても、気持ちが通じることを指す。相手が発した「気」を、こちらの「気」が受け止めて、その意を汲(く)む。まさに「気」の交信といえよう。
また、何も平常は考えたり、気に止めていないが、機会がくれば何事にも気が付く。必要となると、さまざまなことを思い付いたり、アイデアを出したりする。このように次から次へと気が付いて、ないものまでも発見したり、着想したりするというような人は、この「気」というものが十分に働くからである。
こういう働きができるのは、宇宙が巨大な電磁体であり、太陽が目に見える熱核反応体であるとともに、目に見えない拡散する放射体であるように、人間の肉体もまた、目に見えない「気」の放射体だからこそである。
目に見えない肉体作用の話を加えれば、愛し合っている恋人同士は、寄り添っているだけで楽しいものである。反対に、憎しみ合っている相手だと、鳥肌が立ったり寒気がするだろう。他人の隣に数分間でも座っているだけで化学的に反応、変化をするのが、私たち人間の肉体というものだからである。
人間の肉体を「気」の放射体だといったが、電磁波の塊、「気」の結晶体と言い換えてもよく、「気」や電磁波は肉体から常に放射され、プラズマのように肉体を包み込んでいるものなのである。
■思想としての「気」1 [「気」学]
「気」という漢字は長い歴史を有している
人間はそもそも、「気」ということを二千数百年も前から研究してきた。
特に本家の中国では、最も伝統的な思想として、「気」の思想が長い歴史を持っている。紀元前十数世紀の中国最古の王朝、殷(いん)、これに続く周時代の甲骨文などの発掘資料からは、「気」の原初的生命観を知ることができる。
すでに、人の気息の様を表す言葉が明らかとなっており、天気、地気に次いで人気の思想も、中国古代から考察されていたことがうかがわれているのである。
古代の中国人は、目には見えないがパワーを持って宇宙天地大自然に確かに存在する何かを「気」と命名して、さまざまな事物や現象に「気」を看取していった。
例えば、彼らは山中の鉱物や玉石を探す中で、偶然にも発見したと思われる磁界を、天の「気」の作用であると考えて、磁石として軍事や航海に応用した。それは地理学としての風水、望気の軍事利用にも通用する思考の方法であり、肉体の理解においてさらに高度な完成をみることになったのである。
それら多様な「気」が複雑に絡み合いながら、中国の独特な伝統思想、文化が形成されていったのである。
それゆえ、中国の古典には熟語化された「気」が無数に登場するが、まずは漢字の成り立ちと、「気」という字の所出に逆上って観望してみよう。
中国においては「はじめに文字ありき」の感があり、殷代ですでに小学と呼ばれた学校があり、八歳から文字を学んだという。
しかしながら、前三世紀の秦代まで、漢字の字体はきわめて多様であり、始皇帝によって建てられた中国最初の統一国である秦朝にとって、字体の統一は課題であった。秦朝では、字体の模範となる篆書(てんしょ)を作り、これに合わないものを駆逐した。
紀元を挟んでの約四百年、前・後の漢代は空前の隆盛期で、漢朝の領土は拡大し、文化は大いに発達した。文字の使用も多面的になり、秦代の篆書をさらに簡略化して、実用的なスタイルにした隷書が普及する。
この隷書をより簡略化した字体が楷書(かいしょ)であり、現在、日本でいう漢字だ。
こうした漢字の変遷を整理し、言語学的に体系化したものが、後漢時代の紀元一〇〇年に出された許慎の「説文解字」、略して「説文」であり、漢字研究の根本的な文献となっている。
この二千年ほど前の「説文」では、「氣」(「気」)は名詞ではなく動詞として登場し、「賓客あるいは祭壇に米穀を供する」ことと定義付けられている。
「説文」はまた、「气」については「雲気のことなり」と解説している。「気」とは、雲ないし雲となる気体のことであり、地上から天上へとゆらめきながら上昇していく陽炎(かげろう)のことであったようだ。
なお、すでに述べた通り、「気」という字は日本の教育漢字であり、現在の中国では「氣」ないし「气」を用いる。
論語こそ「気」の字が初登場した書物
漢代以前の主たる生産が農業であったことは、当然である。大自然に働き掛けて生産をする農耕社会にあっては、雲や風、雨などの自然現象は最も気掛かりなこと。
その季節にふさわしい、適切な風であれば、春耕の前後の大地に恵みの雨をもたらすであろう。雲が盛んに動く時、やがて天上から大粒の雨が降ってくる。
逆に、秋の収穫期の大地に、時ならぬ突風や暴風が吹き荒れれば、一年の苦労による農作物の成果が水の泡になってしまう危険性をもたらすであろう。
農耕の民の生活は、雲、すなわち「気」によって、大きく左右、決定されたといっても過言ではなかろう。古代人にとっての雲気は、自然の現象であるばかりでなく、生殺与奪の大権を持つ神格であったはず。
この天空の雲や風は、人間の呼吸にも似ているではないか。真に生ある人間にとって、命のある証(あかし)は、やはり呼吸であり、体温である。
そして、この人間の生存に必要なのは、米に代表される五殻である。先に見た「説文」では、「氣」とは「賓客あるいは祭壇に米穀を供する」こととしているが、贈られたり、供えられた米は結局、人間の腹に納まるもの。
米、すなわち食料がなければ、人間の生はない。生ある人にのみ呼吸があり、体温があるのである。
人間の最たる本能である食の恵みをもたらすのが「雲気」たる「气」、その食の帰結としての呼吸という生理的な営為をも包摂していたのが、「氣」という字だったのではあるまいか。
私たち現代人にとっても、自分に感じる「気」を身近なところから挙げるとすれば、まず呼吸であろう。
しかしながら、寝ている時でも休むことのない呼吸は、とかく忘れられがちである。そのわけは、呼吸が脳幹に支配された反射運動だからである。反面、意識的に大きく息をしたり、腹式の呼吸をしたりすることもできる。
実は、儒学の祖・孔子の言行録である「論語」は、中国の古典の中で最初に「気」という文字を登場させた文献であり、呼吸を意味する「気」について述べているのだ。「論語」以前にも、「書経」、「詩経」、「易経」などという古典があるが、「気」という文字は姿を見せていない。
「論語」の中に出ている「気」のうち、「気を屏(ひそ)めて息をせざる者に似る」の「気」は、明らかに呼吸のことである。
魯(ろ)の国の人であった孔子は、自説を広げるために諸国を三十年も歴遊し、国王にまみえる機会も少なくなかった。生殺与奪の全権を持つ国王を前に、治国の道、仁義の説の正しさを広めようとする時には、やはり緊張せざるを得なかったのだと想像される。
中国医学では、肉体のエネルギーの源は血気であるといい、遺伝的な先天の「気」、すなわち元気と、食生活や呼吸から得られる後天の「気」、すなわち水殻の「気」によって、血気が作られるという。
日本語でいう元気は、呼吸の「気」ほど即物的ではないが、自分も他人も感じ取ることができる。それは血気が表情や活動に反映したものであり、かなり肉体的な意味を持つものである。
孔子が若者のセックスを戒めたことは有名であり、その理由が「少(わか)き時は血気いまだ定まらず」なのである。
性悪論で知られる「荀子(じゅんし)」の中の「気を治め生を養う」、道家の代表作「荘子」の中の「気を漠に合わせる」、前漢の思想書「淮南子」の中の「血気とは人の華なり」などは、いずれも肉体のエネルギーや、その現れとしての生気はつらつとした生命現象を指すものである。
各種の「気」を観望できる古代中国思想
人間の精神作用としての「気」に最初に触れ、「志は気の帥(すい)である」と最初に主張したのは、前四世紀に生きた孟子である。孟子の言行録「孟子」では、「志は気の帥、気は体の充なり」という。
人間は志を先に立てて統率し、「気」を乱すことをしなければ、その「気」が体に充満するというほどの意味であり、意志と「気」の関係を論じ、気力や勇気という精神作用の一面をはっきりと示したのであった。
「我は善く浩然(こうぜん)の気を養う」ともいっている。浩然とは、水が大規模に流れている様である。中国医学では、志は心の作用であるとするが、浩然の「気」という表現で精神作用と「気」の関係を捕らえた「孟子」には、十数回に及んで「気」が登場している。
このように個人が自覚したり、他人がそれを感じたりする「気」のほかに、大衆の中に漂う雰囲気、数多くの民衆の中に満ちている気分などを表す民気というものがある。
それを最初に記録したのは、前二三九年頃、秦の宰相・呂不韋(りょふい)の編集と伝えられる「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)」。そこには同時代の儒家、道家など諸子百家の思想が反映されており、思想史上の不可欠の文献となっている。
「民気を益すことと民気を奪うこと」などは、一種の民衆的な心理状態を表現したもので、極めて政治的、社会的な「気」の認識であるといえる。
漢代までの古典で、最も多く「気」について述べているのは、前一三九年刊の「淮南子」二一編であり、百八十回に及ぶ。
著者は前漢の学者であり、皇族であった劉安で、無為恬淡(てんたん)の老荘の説を中心に、儒家などの説も交えた中国古代の思想書である。
とりわけ、「気」による万物生成論と養生法が述べられていることは、よく知られている。はじめに虚空があり、虚空に宇宙が生まれ、宇宙に陰陽の「気」が生じて、天地の万物が生成された、と天文訓には記されている。
このほか、たくさんの「気」の字を含む熟語が本の中に見える。
「天地の気」、「天気」、「地気」、「陰陽の気」、「陰気」、「陽気」、「春気」、「秋気」、「蒸気」、「神気」、「正気」、「生気」、「煩気」、「偏気」、「人気」、「民気」、「食気」、「含気」、「吐気」、「合気」、「同気」、「養気」、「専気」、「望気」、「損気」、「失気」などなど。
その内容は、宇宙の「気」のほかに、大自然の中の「気」、医学の「気」、人間が感じる「気」など多方面にわたっており、漢代における「気」の流行ぶりを物語るものでもある。
人間はそもそも、「気」ということを二千数百年も前から研究してきた。
特に本家の中国では、最も伝統的な思想として、「気」の思想が長い歴史を持っている。紀元前十数世紀の中国最古の王朝、殷(いん)、これに続く周時代の甲骨文などの発掘資料からは、「気」の原初的生命観を知ることができる。
すでに、人の気息の様を表す言葉が明らかとなっており、天気、地気に次いで人気の思想も、中国古代から考察されていたことがうかがわれているのである。
古代の中国人は、目には見えないがパワーを持って宇宙天地大自然に確かに存在する何かを「気」と命名して、さまざまな事物や現象に「気」を看取していった。
例えば、彼らは山中の鉱物や玉石を探す中で、偶然にも発見したと思われる磁界を、天の「気」の作用であると考えて、磁石として軍事や航海に応用した。それは地理学としての風水、望気の軍事利用にも通用する思考の方法であり、肉体の理解においてさらに高度な完成をみることになったのである。
それら多様な「気」が複雑に絡み合いながら、中国の独特な伝統思想、文化が形成されていったのである。
それゆえ、中国の古典には熟語化された「気」が無数に登場するが、まずは漢字の成り立ちと、「気」という字の所出に逆上って観望してみよう。
中国においては「はじめに文字ありき」の感があり、殷代ですでに小学と呼ばれた学校があり、八歳から文字を学んだという。
しかしながら、前三世紀の秦代まで、漢字の字体はきわめて多様であり、始皇帝によって建てられた中国最初の統一国である秦朝にとって、字体の統一は課題であった。秦朝では、字体の模範となる篆書(てんしょ)を作り、これに合わないものを駆逐した。
紀元を挟んでの約四百年、前・後の漢代は空前の隆盛期で、漢朝の領土は拡大し、文化は大いに発達した。文字の使用も多面的になり、秦代の篆書をさらに簡略化して、実用的なスタイルにした隷書が普及する。
この隷書をより簡略化した字体が楷書(かいしょ)であり、現在、日本でいう漢字だ。
こうした漢字の変遷を整理し、言語学的に体系化したものが、後漢時代の紀元一〇〇年に出された許慎の「説文解字」、略して「説文」であり、漢字研究の根本的な文献となっている。
この二千年ほど前の「説文」では、「氣」(「気」)は名詞ではなく動詞として登場し、「賓客あるいは祭壇に米穀を供する」ことと定義付けられている。
「説文」はまた、「气」については「雲気のことなり」と解説している。「気」とは、雲ないし雲となる気体のことであり、地上から天上へとゆらめきながら上昇していく陽炎(かげろう)のことであったようだ。
なお、すでに述べた通り、「気」という字は日本の教育漢字であり、現在の中国では「氣」ないし「气」を用いる。
論語こそ「気」の字が初登場した書物
漢代以前の主たる生産が農業であったことは、当然である。大自然に働き掛けて生産をする農耕社会にあっては、雲や風、雨などの自然現象は最も気掛かりなこと。
その季節にふさわしい、適切な風であれば、春耕の前後の大地に恵みの雨をもたらすであろう。雲が盛んに動く時、やがて天上から大粒の雨が降ってくる。
逆に、秋の収穫期の大地に、時ならぬ突風や暴風が吹き荒れれば、一年の苦労による農作物の成果が水の泡になってしまう危険性をもたらすであろう。
農耕の民の生活は、雲、すなわち「気」によって、大きく左右、決定されたといっても過言ではなかろう。古代人にとっての雲気は、自然の現象であるばかりでなく、生殺与奪の大権を持つ神格であったはず。
この天空の雲や風は、人間の呼吸にも似ているではないか。真に生ある人間にとって、命のある証(あかし)は、やはり呼吸であり、体温である。
そして、この人間の生存に必要なのは、米に代表される五殻である。先に見た「説文」では、「氣」とは「賓客あるいは祭壇に米穀を供する」こととしているが、贈られたり、供えられた米は結局、人間の腹に納まるもの。
米、すなわち食料がなければ、人間の生はない。生ある人にのみ呼吸があり、体温があるのである。
人間の最たる本能である食の恵みをもたらすのが「雲気」たる「气」、その食の帰結としての呼吸という生理的な営為をも包摂していたのが、「氣」という字だったのではあるまいか。
私たち現代人にとっても、自分に感じる「気」を身近なところから挙げるとすれば、まず呼吸であろう。
しかしながら、寝ている時でも休むことのない呼吸は、とかく忘れられがちである。そのわけは、呼吸が脳幹に支配された反射運動だからである。反面、意識的に大きく息をしたり、腹式の呼吸をしたりすることもできる。
実は、儒学の祖・孔子の言行録である「論語」は、中国の古典の中で最初に「気」という文字を登場させた文献であり、呼吸を意味する「気」について述べているのだ。「論語」以前にも、「書経」、「詩経」、「易経」などという古典があるが、「気」という文字は姿を見せていない。
「論語」の中に出ている「気」のうち、「気を屏(ひそ)めて息をせざる者に似る」の「気」は、明らかに呼吸のことである。
魯(ろ)の国の人であった孔子は、自説を広げるために諸国を三十年も歴遊し、国王にまみえる機会も少なくなかった。生殺与奪の全権を持つ国王を前に、治国の道、仁義の説の正しさを広めようとする時には、やはり緊張せざるを得なかったのだと想像される。
中国医学では、肉体のエネルギーの源は血気であるといい、遺伝的な先天の「気」、すなわち元気と、食生活や呼吸から得られる後天の「気」、すなわち水殻の「気」によって、血気が作られるという。
日本語でいう元気は、呼吸の「気」ほど即物的ではないが、自分も他人も感じ取ることができる。それは血気が表情や活動に反映したものであり、かなり肉体的な意味を持つものである。
孔子が若者のセックスを戒めたことは有名であり、その理由が「少(わか)き時は血気いまだ定まらず」なのである。
性悪論で知られる「荀子(じゅんし)」の中の「気を治め生を養う」、道家の代表作「荘子」の中の「気を漠に合わせる」、前漢の思想書「淮南子」の中の「血気とは人の華なり」などは、いずれも肉体のエネルギーや、その現れとしての生気はつらつとした生命現象を指すものである。
各種の「気」を観望できる古代中国思想
人間の精神作用としての「気」に最初に触れ、「志は気の帥(すい)である」と最初に主張したのは、前四世紀に生きた孟子である。孟子の言行録「孟子」では、「志は気の帥、気は体の充なり」という。
人間は志を先に立てて統率し、「気」を乱すことをしなければ、その「気」が体に充満するというほどの意味であり、意志と「気」の関係を論じ、気力や勇気という精神作用の一面をはっきりと示したのであった。
「我は善く浩然(こうぜん)の気を養う」ともいっている。浩然とは、水が大規模に流れている様である。中国医学では、志は心の作用であるとするが、浩然の「気」という表現で精神作用と「気」の関係を捕らえた「孟子」には、十数回に及んで「気」が登場している。
このように個人が自覚したり、他人がそれを感じたりする「気」のほかに、大衆の中に漂う雰囲気、数多くの民衆の中に満ちている気分などを表す民気というものがある。
それを最初に記録したのは、前二三九年頃、秦の宰相・呂不韋(りょふい)の編集と伝えられる「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)」。そこには同時代の儒家、道家など諸子百家の思想が反映されており、思想史上の不可欠の文献となっている。
「民気を益すことと民気を奪うこと」などは、一種の民衆的な心理状態を表現したもので、極めて政治的、社会的な「気」の認識であるといえる。
漢代までの古典で、最も多く「気」について述べているのは、前一三九年刊の「淮南子」二一編であり、百八十回に及ぶ。
著者は前漢の学者であり、皇族であった劉安で、無為恬淡(てんたん)の老荘の説を中心に、儒家などの説も交えた中国古代の思想書である。
とりわけ、「気」による万物生成論と養生法が述べられていることは、よく知られている。はじめに虚空があり、虚空に宇宙が生まれ、宇宙に陰陽の「気」が生じて、天地の万物が生成された、と天文訓には記されている。
このほか、たくさんの「気」の字を含む熟語が本の中に見える。
「天地の気」、「天気」、「地気」、「陰陽の気」、「陰気」、「陽気」、「春気」、「秋気」、「蒸気」、「神気」、「正気」、「生気」、「煩気」、「偏気」、「人気」、「民気」、「食気」、「含気」、「吐気」、「合気」、「同気」、「養気」、「専気」、「望気」、「損気」、「失気」などなど。
その内容は、宇宙の「気」のほかに、大自然の中の「気」、医学の「気」、人間が感じる「気」など多方面にわたっており、漢代における「気」の流行ぶりを物語るものでもある。
■思想としての「気」2 [「気」学]
昼夜、四季の変化の中に「気」を求める
「気」を自然の中に求め、それを最初に表現したのは「荀子」であった。
荀子は戦国時代の前三世紀の儒家で、孟子の性善説に反対し、人間の性はもともと悪であり、儒教の礼によって悪を善に変え得ると主張した性悪説で知られていよう。
「水火は気ありて生なし、草木は生ありて知なし、禽獣(きんじゅう)は知ありて義なし、人は気あり、知あり、義もまたあり。故に天下の貴となす」の一節で、自然の中の水と火についての「気」に触れているのである。
先にも紹介した「孟子」では、孟子と弟子が性善説について論じたくだりで、平旦(へいたん=夜明け)の「気」、夜気が登場する。
太陽と地球の位置関係で作られる昼と夜、明と暗の繰り返しは、人間にとって最も基本のバイオリズムである。一夜の休息の中から、次の日のための活動エネルギーが蓄えられ、一日の活動を終えた後には、一夜の充電のための時間がある。充電によって準備されたものを、孟子は平旦の「気」と呼んだのである。
そして、夜の休息により、清明で純善な「気」が満ちている早朝にこそ、浩然の「気」を養うべきであるという、養気を主張したのであった。
昼夜を繰り返す一日に比べ、季節の変化はもっと理解しやすいバイオリズムであるかもしれない。
「荘子」は、戦国時代の道家、荘周の著作で、道家の祖である老子の思想を哲学的に発展させ、巧みなエピソードを用いて、その無為自然の道(タオ)を説いたものである。
この「気」の思想をはじめて体系付けたとされる古典の中には、「四時は気を殊にする」とある。四時とは四季のことであり、四季は「気」の種類が違っているために、移り変わっていくという認識がなされている。
同時に、「気」の種類が四回変わり、一巡りすることを歳(年)としているのである。
大自然の中の「気」については、「荘子」で「雲気を絶ち、青天を負う」、「呂氏春秋」で「地気が上騰し……草木が繁動する」とあり、雲気、地気は自然そのものを表現している。
この大自然を少しばかり拡大し、宇宙にも目をやるとすれば、「気」の範囲は天地ということになる。これを「天地の一気に遊ぶ」、「天気が不和ならば、地気は鬱結(うっけつ)す」などと論じたのは、やはり「荘子」が最初であった。
また、前四世紀の「列子」は老子の説く道を、多くのエピソードによって解説した書物であるが、「天は積もれる気のみ」、「虹(にじ)や雲、霧、風雨、四時などは、積気が天に成りしもの」と述べており、「気」はすでに天地の万物の根源であり、天地を構成する存在として描かれている。
以上見てきたように、中国における「気」の認識は、自分の呼吸や精神の状態から始まり、自然の規則をも包摂するものになっていったわけである。
陰陽理論と五行説の展開について
次に、古代中国人の「気」が、具体から抽象へ、その認識が感性的から悟性的になるプロセスを検討してみよう。
自然の中の「気」をよく観察し、その動きや作用を抽象化する過程で、陰陽の「気」という概念が出てきたのだが、まず陰陽理論の成り立ちについて述べる。
陰陽とは、日と影、明と暗、温と冷、熱と寒、北と南などの一対の概念であり、この陰陽については「易経」と、それに続く注釈書の中で語り尽くされている。
その中に「一陰一陽する、これを道という」とあるように、確実に巡ってくる四季を観察する中から、自然の変化を支配する法則として考え出されたのが、陰陽であった。
その陰陽と「気」とを関連付け、論理思考を展開させたのは、老荘の系譜である。
道教の開祖・老子が書いた「老子」は前三世紀頃の書物とされるが、その中で「気」は宇宙万物を構成する陰陽として一回、人間の生命力として二回使われている。
「老子」に見られる「気」の宇宙論では、天地万物に通じる一大生命力は、その始まりは恍惚(こうこつ)とし、茫漠(ぼうばく)としたものであるが、道の生成作用により混沌(こんとん)とした一気を生じ、この一気から陰陽という二気が生じ、二気は三気を生じ、三気は万物を生ず。
万事万物、人間の生死も、四季の運行も、陰気を負い、陽気を抱いた自然の変化である。以上のようにしているのだ。
人間の生命力としての「気」については、「気を専らにして柔を致して、能(よ)く嬰児(えいじ)たらんか」とある。「気」を専らにするとは、体内の精気を外に漏らさないことであり、道教でいう養気である。そうすれば心身はこの上なく柔軟になり、ちょうど赤子のように初々しくなるという。
「沖気(ちゅうき)、以(も)って和するをなす」ともある。沖気とは、内に陰気と陽気を持った沖和した「気」のことであり、それによって調和を保つことである。
「心、気を使うを強という」ともある。心、すなわち知と欲によって、生命を形成している精気を使役する結果、陰陽の調和は無理を来し、乱れてしまうのだという。
老子の思想を哲学的に発展させた「荘子」では、巡りくる四季の変化を、「気」の中の「気」たる陰陽、陰気と陽気の消長であるとはっきり述べている。
また、「荘子」には、「天地は形の大なる者、陰陽は気の大なる者」とある。陰陽の「気」、すなわち万物を構成する陰気と陽気の大きさ加減は、ちょうど天地が大きいことと同様であるとする。
「荘子」が論じる「気」は多彩で、示唆に富むものであるが、「気が変じて形あり、形が変じて生あり、今また死にゆくは、これ相ともに春夏秋冬をなし、四時に行われるなり」ともあり、ここに道家の「気」的宇宙生成論がほぼ完成していることがわかる。
人間の生と死を「気」の一字によって端的に表現し、「人の生は気の聚(あつ)まるなり。聚まれば則(すなわ)ち生、散れば則ち死……故に曰(いわ)く、天下の一気に通じるのみ」ともいう。
道家の主張する思想を貫いている「気」一元論が、この句で明らかになる。つまり、宇宙天地の至る所にある「気」は、集合すれば人の生となり、離散すれば人の死となる。
だとすれば、生死ということに心を苦しめる必要はなく、自由の境地に遊ぶことこそが、無為自然の道の体得者の態度であるというものだ。
さて、陰陽とともに、春秋時代の中国人の思考を決定したのは、五行であった。物事を木・火・土・金・水の五種類に分析し、それに一定の性質を持たせると同時に、相生と相克という関係を想定したのである。
春秋時代の思想書「墨子」に、「五行は常に勝つなし」とあるように、それは政治権力をも含む万象の変化を承認し、見方によっては、そうした変化を予測する原理である。
この五行の「気」について触れているのは、先の「淮南子」である。「五行は気を異にして、みな適調す」、「水・火・金・木・土・殻は、物を異にし、みな任ず」という。
後者では五行に殻が加えられているが、五行は物を異にし、形を異にし、用途を異にするものの、それぞれに適するところがあり、ふさわしいところがあるとする。しかも、五行の「気」は、ハーモニーを奏でるのだ。
この自然の中にある五種類の事物の性状を抽象化し、それらが「気」の変化したものだとする五行説を全面的に展開したのは、「呂氏春秋」であった。完成された五行では、四季に長夏を加え、四方に中央を加えて、五つの要素とした。
そして、五行思想はその後、人間の行為やモラルの基準にも当てはめられ、温・良・恭・倹・譲といった五徳や、仁・義・礼・智・信といった五常となる。
仏教や道教の概念も吸収した「気」の哲学
前二世紀の前漢の時代に、儒教は国教化され、体制の思想となった。それと引き換えに、訓詁(くんこ)学が主流となり、古典に学び、注釈を施すことが盛んに行われて、柔軟な生命力を失っていった。
儒教が思想としての生命力を再び獲得したのは、十世紀の後半から始まる宋代、「気」の哲学の時代になってからのことである。
宋朝は、北宋と南宋を合わせれば三百年以上にわたる統一王朝で、学問や芸術のレベルは非常に高いものがあった。
新たに興った士大夫と呼ばれる地主の階級は官僚であり、インテリでもあったが、彼らの立場を表明する哲学として、儒学はそれまでの煩雑な訓詁学に終止符を打ち、「理」と「気」によって宇宙を解説し、人間の性質をも説明することにより、新たな生命を得たのである。これが宋学である。
北宋の周敦頤(しゅうとんい)の「太極図説」は、宋学の出発点となった作品である。宇宙の生成を示すとされるが、一見すると何の変哲もないような「太極図」を解説したものが「太極図説」。
その内容は、宇宙の本体を太極と呼び、太極には陰陽の二つの「気」があり、二つの「気」から木・火・土・金・水の五つの「気」を生じ、五つの「気」の配合によって宇宙の万物が生成されるというものである。
周敦頤らの学説を引き継ぎ、広く儒学を集大成して、宋学を確立した人物は、十二世紀の南宋の時代に生きた朱子。ゆえに、宋代の儒学を朱子学とも呼ぶのである。
朱子学によれば、「理」は宇宙の最高の原理であり、万物の根本であって、太極と言い換えることもできる。こうした根本的な存在を意味する「理」は、宋以前の儒学で用いられることは少なく、一般には仏教からの導入であるともいう。
儒学が歴史的な発展を遂げていく中で、仏教や道教からの刺激も受け、概念や用語を借用してきた事実もまた見逃せない。
朱子学によると、「気」は「理」から生じたもので、空気と同じように人間の目で見ることのできない気体であり、対照的な性格を持つ陰と陽の二つの「気」がある。
「理」と「気」とは相合わさって事象を形成するが、「理」は一定の性として万物に内在し、「気」はさまざまに変化して万物に形を与えることになる。
陰陽の「気」はさらに、木・火・土・金・水の五行を生じる。陰と陽とは対照的であり、抽象的な性格であるが、五行には具体的な質が備わっており、現実の形を持つ物により近い概念である。
「理」はまた人間にあっては徳性であるから、これを十分に発揮するように努めることを、修養と呼ぶ。
このように朱子学の個々の概念はいずれも、すでに語られていたものであり、それを「理」と「気」の二元的な立場から総合、集大成したものであった。
陰と陽という対照的な概念を相対的に捕らえ直し、陰は陽に、陽は陰に、それぞれ転化することを指摘し、しばしば陰中の陽、陽中の陰という表現をするのも朱子の特徴である。
この「気」の哲学は、その後さらに徹底したものとなり、明代に「理は気から生じる」、明末から清初に「気の外に独立した理はない」と続き、清朝では「気化流行、生々して息(や)まず」という表現が使われた。
「気」を自然の中に求め、それを最初に表現したのは「荀子」であった。
荀子は戦国時代の前三世紀の儒家で、孟子の性善説に反対し、人間の性はもともと悪であり、儒教の礼によって悪を善に変え得ると主張した性悪説で知られていよう。
「水火は気ありて生なし、草木は生ありて知なし、禽獣(きんじゅう)は知ありて義なし、人は気あり、知あり、義もまたあり。故に天下の貴となす」の一節で、自然の中の水と火についての「気」に触れているのである。
先にも紹介した「孟子」では、孟子と弟子が性善説について論じたくだりで、平旦(へいたん=夜明け)の「気」、夜気が登場する。
太陽と地球の位置関係で作られる昼と夜、明と暗の繰り返しは、人間にとって最も基本のバイオリズムである。一夜の休息の中から、次の日のための活動エネルギーが蓄えられ、一日の活動を終えた後には、一夜の充電のための時間がある。充電によって準備されたものを、孟子は平旦の「気」と呼んだのである。
そして、夜の休息により、清明で純善な「気」が満ちている早朝にこそ、浩然の「気」を養うべきであるという、養気を主張したのであった。
昼夜を繰り返す一日に比べ、季節の変化はもっと理解しやすいバイオリズムであるかもしれない。
「荘子」は、戦国時代の道家、荘周の著作で、道家の祖である老子の思想を哲学的に発展させ、巧みなエピソードを用いて、その無為自然の道(タオ)を説いたものである。
この「気」の思想をはじめて体系付けたとされる古典の中には、「四時は気を殊にする」とある。四時とは四季のことであり、四季は「気」の種類が違っているために、移り変わっていくという認識がなされている。
同時に、「気」の種類が四回変わり、一巡りすることを歳(年)としているのである。
大自然の中の「気」については、「荘子」で「雲気を絶ち、青天を負う」、「呂氏春秋」で「地気が上騰し……草木が繁動する」とあり、雲気、地気は自然そのものを表現している。
この大自然を少しばかり拡大し、宇宙にも目をやるとすれば、「気」の範囲は天地ということになる。これを「天地の一気に遊ぶ」、「天気が不和ならば、地気は鬱結(うっけつ)す」などと論じたのは、やはり「荘子」が最初であった。
また、前四世紀の「列子」は老子の説く道を、多くのエピソードによって解説した書物であるが、「天は積もれる気のみ」、「虹(にじ)や雲、霧、風雨、四時などは、積気が天に成りしもの」と述べており、「気」はすでに天地の万物の根源であり、天地を構成する存在として描かれている。
以上見てきたように、中国における「気」の認識は、自分の呼吸や精神の状態から始まり、自然の規則をも包摂するものになっていったわけである。
陰陽理論と五行説の展開について
次に、古代中国人の「気」が、具体から抽象へ、その認識が感性的から悟性的になるプロセスを検討してみよう。
自然の中の「気」をよく観察し、その動きや作用を抽象化する過程で、陰陽の「気」という概念が出てきたのだが、まず陰陽理論の成り立ちについて述べる。
陰陽とは、日と影、明と暗、温と冷、熱と寒、北と南などの一対の概念であり、この陰陽については「易経」と、それに続く注釈書の中で語り尽くされている。
その中に「一陰一陽する、これを道という」とあるように、確実に巡ってくる四季を観察する中から、自然の変化を支配する法則として考え出されたのが、陰陽であった。
その陰陽と「気」とを関連付け、論理思考を展開させたのは、老荘の系譜である。
道教の開祖・老子が書いた「老子」は前三世紀頃の書物とされるが、その中で「気」は宇宙万物を構成する陰陽として一回、人間の生命力として二回使われている。
「老子」に見られる「気」の宇宙論では、天地万物に通じる一大生命力は、その始まりは恍惚(こうこつ)とし、茫漠(ぼうばく)としたものであるが、道の生成作用により混沌(こんとん)とした一気を生じ、この一気から陰陽という二気が生じ、二気は三気を生じ、三気は万物を生ず。
万事万物、人間の生死も、四季の運行も、陰気を負い、陽気を抱いた自然の変化である。以上のようにしているのだ。
人間の生命力としての「気」については、「気を専らにして柔を致して、能(よ)く嬰児(えいじ)たらんか」とある。「気」を専らにするとは、体内の精気を外に漏らさないことであり、道教でいう養気である。そうすれば心身はこの上なく柔軟になり、ちょうど赤子のように初々しくなるという。
「沖気(ちゅうき)、以(も)って和するをなす」ともある。沖気とは、内に陰気と陽気を持った沖和した「気」のことであり、それによって調和を保つことである。
「心、気を使うを強という」ともある。心、すなわち知と欲によって、生命を形成している精気を使役する結果、陰陽の調和は無理を来し、乱れてしまうのだという。
老子の思想を哲学的に発展させた「荘子」では、巡りくる四季の変化を、「気」の中の「気」たる陰陽、陰気と陽気の消長であるとはっきり述べている。
また、「荘子」には、「天地は形の大なる者、陰陽は気の大なる者」とある。陰陽の「気」、すなわち万物を構成する陰気と陽気の大きさ加減は、ちょうど天地が大きいことと同様であるとする。
「荘子」が論じる「気」は多彩で、示唆に富むものであるが、「気が変じて形あり、形が変じて生あり、今また死にゆくは、これ相ともに春夏秋冬をなし、四時に行われるなり」ともあり、ここに道家の「気」的宇宙生成論がほぼ完成していることがわかる。
人間の生と死を「気」の一字によって端的に表現し、「人の生は気の聚(あつ)まるなり。聚まれば則(すなわ)ち生、散れば則ち死……故に曰(いわ)く、天下の一気に通じるのみ」ともいう。
道家の主張する思想を貫いている「気」一元論が、この句で明らかになる。つまり、宇宙天地の至る所にある「気」は、集合すれば人の生となり、離散すれば人の死となる。
だとすれば、生死ということに心を苦しめる必要はなく、自由の境地に遊ぶことこそが、無為自然の道の体得者の態度であるというものだ。
さて、陰陽とともに、春秋時代の中国人の思考を決定したのは、五行であった。物事を木・火・土・金・水の五種類に分析し、それに一定の性質を持たせると同時に、相生と相克という関係を想定したのである。
春秋時代の思想書「墨子」に、「五行は常に勝つなし」とあるように、それは政治権力をも含む万象の変化を承認し、見方によっては、そうした変化を予測する原理である。
この五行の「気」について触れているのは、先の「淮南子」である。「五行は気を異にして、みな適調す」、「水・火・金・木・土・殻は、物を異にし、みな任ず」という。
後者では五行に殻が加えられているが、五行は物を異にし、形を異にし、用途を異にするものの、それぞれに適するところがあり、ふさわしいところがあるとする。しかも、五行の「気」は、ハーモニーを奏でるのだ。
この自然の中にある五種類の事物の性状を抽象化し、それらが「気」の変化したものだとする五行説を全面的に展開したのは、「呂氏春秋」であった。完成された五行では、四季に長夏を加え、四方に中央を加えて、五つの要素とした。
そして、五行思想はその後、人間の行為やモラルの基準にも当てはめられ、温・良・恭・倹・譲といった五徳や、仁・義・礼・智・信といった五常となる。
仏教や道教の概念も吸収した「気」の哲学
前二世紀の前漢の時代に、儒教は国教化され、体制の思想となった。それと引き換えに、訓詁(くんこ)学が主流となり、古典に学び、注釈を施すことが盛んに行われて、柔軟な生命力を失っていった。
儒教が思想としての生命力を再び獲得したのは、十世紀の後半から始まる宋代、「気」の哲学の時代になってからのことである。
宋朝は、北宋と南宋を合わせれば三百年以上にわたる統一王朝で、学問や芸術のレベルは非常に高いものがあった。
新たに興った士大夫と呼ばれる地主の階級は官僚であり、インテリでもあったが、彼らの立場を表明する哲学として、儒学はそれまでの煩雑な訓詁学に終止符を打ち、「理」と「気」によって宇宙を解説し、人間の性質をも説明することにより、新たな生命を得たのである。これが宋学である。
北宋の周敦頤(しゅうとんい)の「太極図説」は、宋学の出発点となった作品である。宇宙の生成を示すとされるが、一見すると何の変哲もないような「太極図」を解説したものが「太極図説」。
その内容は、宇宙の本体を太極と呼び、太極には陰陽の二つの「気」があり、二つの「気」から木・火・土・金・水の五つの「気」を生じ、五つの「気」の配合によって宇宙の万物が生成されるというものである。
周敦頤らの学説を引き継ぎ、広く儒学を集大成して、宋学を確立した人物は、十二世紀の南宋の時代に生きた朱子。ゆえに、宋代の儒学を朱子学とも呼ぶのである。
朱子学によれば、「理」は宇宙の最高の原理であり、万物の根本であって、太極と言い換えることもできる。こうした根本的な存在を意味する「理」は、宋以前の儒学で用いられることは少なく、一般には仏教からの導入であるともいう。
儒学が歴史的な発展を遂げていく中で、仏教や道教からの刺激も受け、概念や用語を借用してきた事実もまた見逃せない。
朱子学によると、「気」は「理」から生じたもので、空気と同じように人間の目で見ることのできない気体であり、対照的な性格を持つ陰と陽の二つの「気」がある。
「理」と「気」とは相合わさって事象を形成するが、「理」は一定の性として万物に内在し、「気」はさまざまに変化して万物に形を与えることになる。
陰陽の「気」はさらに、木・火・土・金・水の五行を生じる。陰と陽とは対照的であり、抽象的な性格であるが、五行には具体的な質が備わっており、現実の形を持つ物により近い概念である。
「理」はまた人間にあっては徳性であるから、これを十分に発揮するように努めることを、修養と呼ぶ。
このように朱子学の個々の概念はいずれも、すでに語られていたものであり、それを「理」と「気」の二元的な立場から総合、集大成したものであった。
陰と陽という対照的な概念を相対的に捕らえ直し、陰は陽に、陽は陰に、それぞれ転化することを指摘し、しばしば陰中の陽、陽中の陰という表現をするのも朱子の特徴である。
この「気」の哲学は、その後さらに徹底したものとなり、明代に「理は気から生じる」、明末から清初に「気の外に独立した理はない」と続き、清朝では「気化流行、生々して息(や)まず」という表現が使われた。
■小宇宙である人間にとっての「気」1 [「気」学]
●宇宙の「気」を受けて生命を養える
ここまで、多岐にわたる「気」の思想や「気」の哲学の説明を尽くしてきたが、ストレスに満ちた現代社会に生きる人間にとっては、「気」を宇宙天地大自然の中に求め、自らの「気」を練り、自らの「気」を癒すことが肝要である。
私たち人間は、宇宙によって創られ、生かされ、生きている存在にほかならない。その人間の命の本体は何かといえば、はるかな百五十億年前に逆上る宇宙創造の根源であり、今も宇宙天地大自然いっぱいに満ちみちている「気」そのものである。
行き着くところ、その「気」を全身に充実するか、充実しないかで、人間の人生の成否が決まるといっても過言ではない。自らの生命を生かしている宇宙天地大自然の「気」ということに気付いて、「気」を土台として生きるということも、正しい人生のあり方の一つということになるだろう。
人間の体には生命力というものがあるから、それを「気」に変え、「気」の働きで自己を見、他人を見ることである。「気」というものは、人間の内容を見通すことも、知ることもできるのである。
多くの人は、この生命力を「気」に変え得ることを知らないし、十分にできないが、どうにか生きていけるので、人間の真の力を作ろうとも、発揮しようともしない。
例えば、「気枯れする」という言葉がある。その意味するところは、元気もなく、勇気もなく、ただ生きているのか死んでいるのか、まるで判別できないような灰色人生、灰色人間のことを指しているように思われる。
読者の方々の中にも、いつか知らない間に、生ぬるい無感激、無意欲、無気力な人間に、自然になってしまった方がいるのではなかろうか。
宇宙生命の正気を十分に摂取して、毒気の「気」を吐き出し、生々した明るい自分を創造し、気枯れした自分をよみがえらせたいもの。
そこで、人間誰もが物事を生かしていくための真の力を作るには、宇宙天地大自然の「気」を肉体に受けて力とし、その力をもう一度「気」に変えて働かなければならない。
あたかも、石油がガソリンになり、ガソリンが力になって「気」に変わり、エンジンを動かすというように、力が爆発して「気」に変わる時に、その「気」が生きて働くのである。「気」と力の関係は、エネルギーの変化である。
この点で、自らの体に「気」が充実している人、気が働く人、気がきく、気が付くというような人は、運命をよくする機会に恵まれている。
頭がよいとか、利口だとかいうことも大切だが、そういう条件よりも、運命をよくする「気」が体にあるかないかということが、幸運の条件なのである。
「気」は、宇宙いっぱいに満ちている。みなぎりわたっている。宇宙大自然は「気」の世界、人間の命というものも「気」であり、肉体は「気」の固まりである。
この私たちの肉体は、絶えず宇宙の「気」を受けて、生命を養い、運命を作ってゆく。宇宙の他力の「気」を力にして発揮、発動する肉体の働きが、あらゆる幸運の転機を捕らえて、よき運命を刻々と作り出し、積み上げてゆくのである。
幸運も、よき運命も、小宇宙にも小天地にも例えられる自分の肉体にある。この体が万事のもと、幸運のもと。幸福のすべてが、自分自身の体、自己という生命体の中にあるのだ。
肉体の「気」を養って、油断なく肉体で働く。この体から「気」を発して、よき縁を選ぶのである。
●宇宙の「気」と交流する機能は肉体が持つ
人間の肉体能力は、すべからく、「気」という宇宙パワーを肉体が受けて、働きとなるものである。それは「気」を吸収して力とし、その力を「気」に変えて肉体能力としているのにほかならない。
宇宙の「気」という人間が生きる根源の力、働くためのエネルギーを全身に吸い入れる力は、頭ではなくて肉体の力、細胞の力なのである。
一般の人間は、肉体を頭脳に劣るものと考えて、どんなことでも頭の思考力、判断力で、どうにでもなると思い、肉体に圧力をかけて、その働きを無視し、弱めている。肉体の軽視、これが人間にとっては一切の災いのもとである。
私たちは第一に、空気の呼吸で宇宙の「気」を受けている。天気、気候、気温、気圧からも「気」を受けている。植物や、食物からも生気を受けている。大地からも、海からも「気」を吸収している。太陽からも、天体の全体からも、生命に必要な力である「気」を体の全体、全身に、毛穴を通じても受けている。
そうして人間の肉体は、「気」が充実した、気力が出た、あるいは元気になった、気分がよくなったということになるのである。
宇宙の「気」が充実されて、日常の仕事の上にも、創作や発明、発見の面にも気力を注ぐことができて、はじめて立派なものが作られたり、生まれ出ることになる。同時に、自分の気力を、他の人々に対して言葉や表情、動作からも移し与えることもできる。
宇宙の「気」を体に充実し、充実した気力を十分に活用できるようにすることが肝要。
この点で、人間の全身に約六十兆個ある細胞の一つひとつが、十分に宇宙の「気」を受けて生き生きとしていないと、宇宙からの「気」を受けたり、必要に応じて出したりすることは、完全にはできない。
細胞の健全な生命力が欠ければ、気力も欠けて、宇宙の「気」を受けることも、自分から「気」を出すことも、全く気抜けの状態で弱々しいものになる。
一方、細胞の一つひとつにまで宇宙の「気」が正しく交流すると、肉体がただ健康になるというばかりではなく、思考力や判断力も、自然の力、「気」の力で機能的に開発される。反対に、宇宙の「気」の交流が足りないと、生命力が弱くて病気になり、断たれると気絶となるのである。
宇宙天地大自然の「気」と交流し、「気」を完全、十分に吸収するか否かで、人生の成果は大きく左右される。
人間の肉体生命と精神の真の神秘力を発揮するには、何はともあれ肉体を知り、肉体を信じ、肉体一色となることから始めなくてはならない。
人間の肉体に天地大自然が潜み、宇宙全体が働き掛けていることは、現代科学でも立証している。私たちの肉体生命を生々躍動させているものは、「気」なのである。
●遺伝的な生命エネルギーが先天の「気」
人間の肉体を生々躍動させている「気」について、中国医学の理論にのっとり、先天の「気」と、後天の「気」の二つに分けて考察してみよう。
先天の「気」のほうは、元気とも呼ばれる。日本人ならば、「お元気ですか」と挨拶(あいさつ)をし、手紙では「お元気のことと思います」と書き始めるだろう。この日本人にとって最も一般的な言葉である元気は、歴史をたどれば、中国の古代医学の術語であったのである。
元気は原気とも呼ばれ、子供が父と母から受け継いだ原初の生命エネルギーを意味している。私たち人間の世代交代は男女両性の交わりによって繰り返されてきたわけだが、元気は肉体の誕生、成長、活動の源ともなるエネルギーと考えられている。
新しい世代である子供の立場からすれば、原初の生命エネルギーは「天より受けた」と見なされ、先天的にすでに定められているという意味で、先天の「気」と呼ばれるのである。
遺伝的な生命エネルギーである先天の「気」は、母胎の中で充実、発展して胎児の誕生となり、その後も、成長と発育の基礎となる。
中国の古代医学では、先天の「気」が五臓の一つである腎(じん)に蓄えられることを、「腎は先天の本である」と表現する。
腎臓については、西洋医学が血液中から尿をろ過し、膀胱(ぼうこう)に送り出す泌尿器官として考えているのに対して、中国では腎に非常に多くの働きを期待している。例えば、「気」を蓄えることから始まり、脳を満たしているとされる髄を生じること、各器官にエネルギーを提供することなどだ。
それらを総合して「腎は先天を主(つかさ)どる」とも表現する。
ただし、この腎に蓄えられた先天の「気」は、遺伝的であるがため、加齢とともに減少することはあっても、増加することはないと見なされている。
だから、腎のエネルギーを大切に、節約して使うということが、人間個人の健康にとっても、子孫の繁栄のためにも、大きな意味を持つことになる。
同時に、人間や動植物が加齢とともに次第に老化し、衰えていくのは、先天の「気」の衰えにほかならないと、中国古代医学では考えられている。
ここまで、多岐にわたる「気」の思想や「気」の哲学の説明を尽くしてきたが、ストレスに満ちた現代社会に生きる人間にとっては、「気」を宇宙天地大自然の中に求め、自らの「気」を練り、自らの「気」を癒すことが肝要である。
私たち人間は、宇宙によって創られ、生かされ、生きている存在にほかならない。その人間の命の本体は何かといえば、はるかな百五十億年前に逆上る宇宙創造の根源であり、今も宇宙天地大自然いっぱいに満ちみちている「気」そのものである。
行き着くところ、その「気」を全身に充実するか、充実しないかで、人間の人生の成否が決まるといっても過言ではない。自らの生命を生かしている宇宙天地大自然の「気」ということに気付いて、「気」を土台として生きるということも、正しい人生のあり方の一つということになるだろう。
人間の体には生命力というものがあるから、それを「気」に変え、「気」の働きで自己を見、他人を見ることである。「気」というものは、人間の内容を見通すことも、知ることもできるのである。
多くの人は、この生命力を「気」に変え得ることを知らないし、十分にできないが、どうにか生きていけるので、人間の真の力を作ろうとも、発揮しようともしない。
例えば、「気枯れする」という言葉がある。その意味するところは、元気もなく、勇気もなく、ただ生きているのか死んでいるのか、まるで判別できないような灰色人生、灰色人間のことを指しているように思われる。
読者の方々の中にも、いつか知らない間に、生ぬるい無感激、無意欲、無気力な人間に、自然になってしまった方がいるのではなかろうか。
宇宙生命の正気を十分に摂取して、毒気の「気」を吐き出し、生々した明るい自分を創造し、気枯れした自分をよみがえらせたいもの。
そこで、人間誰もが物事を生かしていくための真の力を作るには、宇宙天地大自然の「気」を肉体に受けて力とし、その力をもう一度「気」に変えて働かなければならない。
あたかも、石油がガソリンになり、ガソリンが力になって「気」に変わり、エンジンを動かすというように、力が爆発して「気」に変わる時に、その「気」が生きて働くのである。「気」と力の関係は、エネルギーの変化である。
この点で、自らの体に「気」が充実している人、気が働く人、気がきく、気が付くというような人は、運命をよくする機会に恵まれている。
頭がよいとか、利口だとかいうことも大切だが、そういう条件よりも、運命をよくする「気」が体にあるかないかということが、幸運の条件なのである。
「気」は、宇宙いっぱいに満ちている。みなぎりわたっている。宇宙大自然は「気」の世界、人間の命というものも「気」であり、肉体は「気」の固まりである。
この私たちの肉体は、絶えず宇宙の「気」を受けて、生命を養い、運命を作ってゆく。宇宙の他力の「気」を力にして発揮、発動する肉体の働きが、あらゆる幸運の転機を捕らえて、よき運命を刻々と作り出し、積み上げてゆくのである。
幸運も、よき運命も、小宇宙にも小天地にも例えられる自分の肉体にある。この体が万事のもと、幸運のもと。幸福のすべてが、自分自身の体、自己という生命体の中にあるのだ。
肉体の「気」を養って、油断なく肉体で働く。この体から「気」を発して、よき縁を選ぶのである。
●宇宙の「気」と交流する機能は肉体が持つ
人間の肉体能力は、すべからく、「気」という宇宙パワーを肉体が受けて、働きとなるものである。それは「気」を吸収して力とし、その力を「気」に変えて肉体能力としているのにほかならない。
宇宙の「気」という人間が生きる根源の力、働くためのエネルギーを全身に吸い入れる力は、頭ではなくて肉体の力、細胞の力なのである。
一般の人間は、肉体を頭脳に劣るものと考えて、どんなことでも頭の思考力、判断力で、どうにでもなると思い、肉体に圧力をかけて、その働きを無視し、弱めている。肉体の軽視、これが人間にとっては一切の災いのもとである。
私たちは第一に、空気の呼吸で宇宙の「気」を受けている。天気、気候、気温、気圧からも「気」を受けている。植物や、食物からも生気を受けている。大地からも、海からも「気」を吸収している。太陽からも、天体の全体からも、生命に必要な力である「気」を体の全体、全身に、毛穴を通じても受けている。
そうして人間の肉体は、「気」が充実した、気力が出た、あるいは元気になった、気分がよくなったということになるのである。
宇宙の「気」が充実されて、日常の仕事の上にも、創作や発明、発見の面にも気力を注ぐことができて、はじめて立派なものが作られたり、生まれ出ることになる。同時に、自分の気力を、他の人々に対して言葉や表情、動作からも移し与えることもできる。
宇宙の「気」を体に充実し、充実した気力を十分に活用できるようにすることが肝要。
この点で、人間の全身に約六十兆個ある細胞の一つひとつが、十分に宇宙の「気」を受けて生き生きとしていないと、宇宙からの「気」を受けたり、必要に応じて出したりすることは、完全にはできない。
細胞の健全な生命力が欠ければ、気力も欠けて、宇宙の「気」を受けることも、自分から「気」を出すことも、全く気抜けの状態で弱々しいものになる。
一方、細胞の一つひとつにまで宇宙の「気」が正しく交流すると、肉体がただ健康になるというばかりではなく、思考力や判断力も、自然の力、「気」の力で機能的に開発される。反対に、宇宙の「気」の交流が足りないと、生命力が弱くて病気になり、断たれると気絶となるのである。
宇宙天地大自然の「気」と交流し、「気」を完全、十分に吸収するか否かで、人生の成果は大きく左右される。
人間の肉体生命と精神の真の神秘力を発揮するには、何はともあれ肉体を知り、肉体を信じ、肉体一色となることから始めなくてはならない。
人間の肉体に天地大自然が潜み、宇宙全体が働き掛けていることは、現代科学でも立証している。私たちの肉体生命を生々躍動させているものは、「気」なのである。
●遺伝的な生命エネルギーが先天の「気」
人間の肉体を生々躍動させている「気」について、中国医学の理論にのっとり、先天の「気」と、後天の「気」の二つに分けて考察してみよう。
先天の「気」のほうは、元気とも呼ばれる。日本人ならば、「お元気ですか」と挨拶(あいさつ)をし、手紙では「お元気のことと思います」と書き始めるだろう。この日本人にとって最も一般的な言葉である元気は、歴史をたどれば、中国の古代医学の術語であったのである。
元気は原気とも呼ばれ、子供が父と母から受け継いだ原初の生命エネルギーを意味している。私たち人間の世代交代は男女両性の交わりによって繰り返されてきたわけだが、元気は肉体の誕生、成長、活動の源ともなるエネルギーと考えられている。
新しい世代である子供の立場からすれば、原初の生命エネルギーは「天より受けた」と見なされ、先天的にすでに定められているという意味で、先天の「気」と呼ばれるのである。
遺伝的な生命エネルギーである先天の「気」は、母胎の中で充実、発展して胎児の誕生となり、その後も、成長と発育の基礎となる。
中国の古代医学では、先天の「気」が五臓の一つである腎(じん)に蓄えられることを、「腎は先天の本である」と表現する。
腎臓については、西洋医学が血液中から尿をろ過し、膀胱(ぼうこう)に送り出す泌尿器官として考えているのに対して、中国では腎に非常に多くの働きを期待している。例えば、「気」を蓄えることから始まり、脳を満たしているとされる髄を生じること、各器官にエネルギーを提供することなどだ。
それらを総合して「腎は先天を主(つかさ)どる」とも表現する。
ただし、この腎に蓄えられた先天の「気」は、遺伝的であるがため、加齢とともに減少することはあっても、増加することはないと見なされている。
だから、腎のエネルギーを大切に、節約して使うということが、人間個人の健康にとっても、子孫の繁栄のためにも、大きな意味を持つことになる。
同時に、人間や動植物が加齢とともに次第に老化し、衰えていくのは、先天の「気」の衰えにほかならないと、中国古代医学では考えられている。