■生涯現役の勧め1 [生涯現役を目指す]
生涯現役を目指す人生計画
長寿時代の今、定年後の第二の人生に燃えた人として、江戸時代後期の測量家の伊能忠敬を見直してもらいたい。下総・佐倉にて営んでいた酒造業を四十九歳で引退して、江戸で西洋の暦学を学び、短命だった当時としてはかなりの高齢といえた五十五歳から、七十一歳までの間に全国を測量し、外国にも誇れる我が国初の正確な日本全図を作った人物である。
この生涯現役の見本のような後半生こそ、生きがいを求める人生八十年時代の現代人に、再評価され得るのである。
伊能忠敬のように、高齢者になっても人生の生きがいや、意義ある仕事を持つことは、誰にでもできる。生涯現役の気構えを持って、余人にできないことをしている人は、平成時代の日本にもたくさんいるのである。
私たち人間が自由に、意欲を持って開発、発明、発見をしてゆくならば、年を取っても、その能力はどれほど増大するものかわからない。一人ひとりが、天才になる可能性がある。天才というのは、天の才能を伸ばすことであって、人間の才能を教え込み、植えつけることではない。
受験地獄とやらに苦しめられながら、懸命に勉強をしても、大学に入ってしまうと、途端に遊んでしまう。会社に入ってしまえば、もう努力をしない。会社員が会社員で生活できたなら、その余暇を有効に活用することを考えればよい。
一週間のうちの二日間、異なる分野の研究に打ち込むのもよかろう。毎日の数時間、人生の生きがいともなる趣味に没頭するのもよかろう。三十余年、会社に勤めている間に立派な専門家となることもでき、自己の人生が後半になってから、本当の道に入ることにもなる。
あるいは、高等教育を受けていなくとも、肉体がたくましく、意欲が優れた人であるならば、死ぬ時まで、必要に応じて勉強をするから、それがみな身につく。
芸術家でも、自営業、技術者、大工、左官、庭師でも、何でもよい。それぞれの志向によって各分野に進む人間は、生涯現役で定年などに煩わされることなく、自分の特徴を発揮できるのである。
「六十(むそじ)の露消えがたに及びて……」とは、「方丈記」の作者の感慨であるが、「消えがたに及びて」はいかにも寂しい。あの鎌倉時代の頃は、人生五十年だった。六十歳にでもなったら、鴨長明も長命を全うして、ぼつぼつ消えかける心の準備に、寂しくなるのももっともだろう。長明の行年は、六十二歳だった。
平安時代の昔には、「四十の賀」などといって、四十になると長寿を祝ったそうである。「五十九の非」という言葉もある。六十歳になったら、過去五十九年の非を悟るべきだ、それを知らない人に進歩はない、という意味だそうだ。
人生いくつになっても反省、反省だ。ともかく、かつての日本では四十歳が「初老」と異称され、五十歳あたりが人生の節目と思われていたのである。
今は違う。十五歳未満を「若年」、十五歳から六十四歳を「現役世代」、六十五歳以上を「高齢者」と見なすのが一般的になっている今は、人生百年なり。百二十年なり。第二の人生計画、すなわち五十歳から百歳、百二十歳までの生涯現役の人生計画をまっしぐらに進んでもらいたいもの。
日本人の平均年齢でいっても、縄文時代は三十一歳だったといわれ、織田信長は「人生わずか五十年」と慨嘆したのだが、今は長寿日本は人生八十年時代。八十歳まで生きて、平均的な長寿の事業達成ということになるわけである。
生涯現役、終身現役時代の到来
人生八十歳時代を生きるということは、何を意味するか。これからの日本は、老人大国になっていくということだろう。国立社会保障・人口問題研究所の発表では、二〇五五年には総人口が九千万人を割り込み、六十五歳以上が四割を占めると推計している。人口に占める高齢化率は、二〇〇六年の倍になるとしているわけである。つまり、将来、人口構造が逆ピラミッド型になるという、紛れもない高齢化社会が到来するわけで、年齢構造の歴史的大変革が起こる。
その老人大国の高齢化社会に対処するための第一のテーマは、人口構造の変化がもたらす意味である。とりわけその中でも、長い第二の人生のために、高年齢者層が生きがいを何に求めるかが、改めて問い直されるに違いない。
いうまでもないが、生きがいの問題は結局、個人個人の対応に帰着するだろう。そして、それを支えるために、まず健康であることが必要になる。単なる長寿だけでは仕方がないが、元気で活動力を維持しながらの長寿は、社会的に考えても大変に意味があると思う。
第二のテーマは、年金などの社会保障制度の問題である。P・F・ドラッカーが、かつて「見えざる革命」という本で指摘したように、「増大する一方の高年退職者に支払う年金の原資をどうするか」という、既存の社会体制の中では捕らえ切れぬような大きな課題を、政府も民間企業も避けて通ることは許されないだろう。
第一のテーマに出てくる老人自身の問題は、まず自らの心構え。若い人たちにあまり面倒をかけないような強く、若い老人ということではないだろうか。
さらには、これまでの人生設計を考え直さねばならないこと。そこから出てくる言葉は、四十初惑ということだ。四十不惑でなくて、四十にしてはじめて迷うということである。
四十にして惑わずといったのは、人生五十歳時代、平均寿命五十歳時代の目標であった。だから、四十になったらそうバカなこともしてはおれない、惑わずというのが、大きな目標だったと思う。
人生八十歳時代になってみると、二十代、三十代の経験は、失敗も成功も含めて、要するに人生経験にすぎない。四十歳になってはじめて、これから次の人生、後半生をどう生きるかを考える。そこで四十初惑、四十にしてはじめて惑うということである。惑うというのは、この場合、模索する、考えるということになると思う。
続いて、五十にして立志、自分は何をして後半生を送るか決める。そして、六十精励。事に当たって励む。七十成就、八十にして熄(や)む、つまり引退するというのが、これからの人生設計ではあるまいか。
人間が二十歳から活動して、五十まで三十年間働くとする。それから五十から八十までの後の三十年間、さらに活動するとする。前後を比べると、同じ三十年でも大変な差だと思う。
というのは、五十以後の三十年間の活動は、それ以前の長い間の知識や経験の蓄積がある。また、世間の信用もついてくる。肉体的な活動力は衰えても、精神的な活動力からいえば、革命的、突進的な問題以外は、はるかに五十以後の活動力のほうが影響力が大きい。
人間の天寿は百二十歳である
いや、人生は八十年どころか、百年、百二十年である。
日本人の平均寿命は二〇〇五年で男性七十八・五三歳、女性八十五・四九歳に伸びてはいるが、今の常識では百歳でも、まれなる長寿である。従って、寿命百二十歳はいわゆる常識の名のもとに不可能だと思われがちだが、生かされ生きる他力生活、真理生活の原則によれば、決してそうではない。
今日の日本にも、百歳以上の長命を保つ人々が少なからずいる。自然に生きれば、百二十歳ぐらいまでの長寿も難事ではないと科学が保証している。
フランスの自然科学者ビユフォンや、オランダの生理学者フルーレンの説によれば、脊椎動物の寿命は成長に必要な年数の六倍ぐらいだといわれる。人間の成長期を二十年と見なすならば、百二十歳まで生きられるはずである。
運命の帝王といわれる四柱推命でも、大運というのがあり、大きく見て春夏秋冬を巡る百二十年になっている。天理教では、百十五年生きられるといっている。道教では百六十年、その半分の八十年を半寿という。
実際にも、昔から長命な人間は各国、各地にいるものである。
ウイスキーのオールド・パーのレッテル肖像画で有名なトーマス・パーは、百五十二歳で死んだというが、その死因が老衰ではなく、ごちそうの食べすぎによる腸捻転だというのだから恐れ入る。
ハンガリーのヤノス・ローウェン夫妻は、それぞれ夫百七十二歳、妻百六十四歳まで生き、同じ日に百十六歳を筆頭とする息子たちにみとられて大往生を遂げたという。 また、この地球の各地には、長命に適した地域が存在している。旧ソ連のコーカサス地方など、山を挟んだ両側にたくさんの百歳以上の人々がおり、百歳を超す老人の割合は人口十万人につき十人だという。
このほか、南米エクアドルのビルカバンバ、カシミール地方、パキスタンのフンザ地方なども長寿者天国で、百歳以上がいっぱいいる。
日本では、徳之島が長寿地帯として脚光を浴びてきた。一九八六年に百二十歳で亡くなられた泉重千代さんに次ぐ百歳以上の高齢者が、昭和六十三年段階で十人近くおられ、八十歳以上を含めると大変な人数になる。
このように古今東西に長寿者がいることでわかる通り、人間は本来百二十歳くらいまでが生き得る範囲なのである。日常生活の内容が健康と幸福で満たされておれば、百年から百二十年は約束された人生であり、夢や空想ではないのである。
そうすると、八十にして熄まずである。八十八歳の米寿、次いで鳩寿。九十歳のことを昔は卒寿といったものだが、卒業式という言葉があるように、卒寿は終わるという意味を含むから、字がいい鳩(きゅう)と九と音が通っているので、この頃は各地で鳩寿のお祝いと呼んでいるのである。
そして、百二十歳を平均寿命とすると、白寿熄む。九十九歳にして現役を引退するというのが、これからの人生設計じゃないかとも思われる。誰もが生涯現役の気構えを持って、これからの人生設計を白寿の九十九歳、ないし百歳を目標にして考えたらどうだろうか。
昔、人生わずか五十年といっていたのが、日本でも社会情勢の変化や医学の進歩の結果、平均寿命が三十年も延びたのだから隔世の感がある。
だが、昔の人でも長寿な人は、いくらもいたのである。ただ幼児や壮年者の死亡率が高く、老年者の生活環境の厳しさから、平均寿命はどうしても低いものにならざるを得なかった。平均寿命は、生活環境に左右されるのである。
長寿時代の今、定年後の第二の人生に燃えた人として、江戸時代後期の測量家の伊能忠敬を見直してもらいたい。下総・佐倉にて営んでいた酒造業を四十九歳で引退して、江戸で西洋の暦学を学び、短命だった当時としてはかなりの高齢といえた五十五歳から、七十一歳までの間に全国を測量し、外国にも誇れる我が国初の正確な日本全図を作った人物である。
この生涯現役の見本のような後半生こそ、生きがいを求める人生八十年時代の現代人に、再評価され得るのである。
伊能忠敬のように、高齢者になっても人生の生きがいや、意義ある仕事を持つことは、誰にでもできる。生涯現役の気構えを持って、余人にできないことをしている人は、平成時代の日本にもたくさんいるのである。
私たち人間が自由に、意欲を持って開発、発明、発見をしてゆくならば、年を取っても、その能力はどれほど増大するものかわからない。一人ひとりが、天才になる可能性がある。天才というのは、天の才能を伸ばすことであって、人間の才能を教え込み、植えつけることではない。
受験地獄とやらに苦しめられながら、懸命に勉強をしても、大学に入ってしまうと、途端に遊んでしまう。会社に入ってしまえば、もう努力をしない。会社員が会社員で生活できたなら、その余暇を有効に活用することを考えればよい。
一週間のうちの二日間、異なる分野の研究に打ち込むのもよかろう。毎日の数時間、人生の生きがいともなる趣味に没頭するのもよかろう。三十余年、会社に勤めている間に立派な専門家となることもでき、自己の人生が後半になってから、本当の道に入ることにもなる。
あるいは、高等教育を受けていなくとも、肉体がたくましく、意欲が優れた人であるならば、死ぬ時まで、必要に応じて勉強をするから、それがみな身につく。
芸術家でも、自営業、技術者、大工、左官、庭師でも、何でもよい。それぞれの志向によって各分野に進む人間は、生涯現役で定年などに煩わされることなく、自分の特徴を発揮できるのである。
「六十(むそじ)の露消えがたに及びて……」とは、「方丈記」の作者の感慨であるが、「消えがたに及びて」はいかにも寂しい。あの鎌倉時代の頃は、人生五十年だった。六十歳にでもなったら、鴨長明も長命を全うして、ぼつぼつ消えかける心の準備に、寂しくなるのももっともだろう。長明の行年は、六十二歳だった。
平安時代の昔には、「四十の賀」などといって、四十になると長寿を祝ったそうである。「五十九の非」という言葉もある。六十歳になったら、過去五十九年の非を悟るべきだ、それを知らない人に進歩はない、という意味だそうだ。
人生いくつになっても反省、反省だ。ともかく、かつての日本では四十歳が「初老」と異称され、五十歳あたりが人生の節目と思われていたのである。
今は違う。十五歳未満を「若年」、十五歳から六十四歳を「現役世代」、六十五歳以上を「高齢者」と見なすのが一般的になっている今は、人生百年なり。百二十年なり。第二の人生計画、すなわち五十歳から百歳、百二十歳までの生涯現役の人生計画をまっしぐらに進んでもらいたいもの。
日本人の平均年齢でいっても、縄文時代は三十一歳だったといわれ、織田信長は「人生わずか五十年」と慨嘆したのだが、今は長寿日本は人生八十年時代。八十歳まで生きて、平均的な長寿の事業達成ということになるわけである。
生涯現役、終身現役時代の到来
人生八十歳時代を生きるということは、何を意味するか。これからの日本は、老人大国になっていくということだろう。国立社会保障・人口問題研究所の発表では、二〇五五年には総人口が九千万人を割り込み、六十五歳以上が四割を占めると推計している。人口に占める高齢化率は、二〇〇六年の倍になるとしているわけである。つまり、将来、人口構造が逆ピラミッド型になるという、紛れもない高齢化社会が到来するわけで、年齢構造の歴史的大変革が起こる。
その老人大国の高齢化社会に対処するための第一のテーマは、人口構造の変化がもたらす意味である。とりわけその中でも、長い第二の人生のために、高年齢者層が生きがいを何に求めるかが、改めて問い直されるに違いない。
いうまでもないが、生きがいの問題は結局、個人個人の対応に帰着するだろう。そして、それを支えるために、まず健康であることが必要になる。単なる長寿だけでは仕方がないが、元気で活動力を維持しながらの長寿は、社会的に考えても大変に意味があると思う。
第二のテーマは、年金などの社会保障制度の問題である。P・F・ドラッカーが、かつて「見えざる革命」という本で指摘したように、「増大する一方の高年退職者に支払う年金の原資をどうするか」という、既存の社会体制の中では捕らえ切れぬような大きな課題を、政府も民間企業も避けて通ることは許されないだろう。
第一のテーマに出てくる老人自身の問題は、まず自らの心構え。若い人たちにあまり面倒をかけないような強く、若い老人ということではないだろうか。
さらには、これまでの人生設計を考え直さねばならないこと。そこから出てくる言葉は、四十初惑ということだ。四十不惑でなくて、四十にしてはじめて迷うということである。
四十にして惑わずといったのは、人生五十歳時代、平均寿命五十歳時代の目標であった。だから、四十になったらそうバカなこともしてはおれない、惑わずというのが、大きな目標だったと思う。
人生八十歳時代になってみると、二十代、三十代の経験は、失敗も成功も含めて、要するに人生経験にすぎない。四十歳になってはじめて、これから次の人生、後半生をどう生きるかを考える。そこで四十初惑、四十にしてはじめて惑うということである。惑うというのは、この場合、模索する、考えるということになると思う。
続いて、五十にして立志、自分は何をして後半生を送るか決める。そして、六十精励。事に当たって励む。七十成就、八十にして熄(や)む、つまり引退するというのが、これからの人生設計ではあるまいか。
人間が二十歳から活動して、五十まで三十年間働くとする。それから五十から八十までの後の三十年間、さらに活動するとする。前後を比べると、同じ三十年でも大変な差だと思う。
というのは、五十以後の三十年間の活動は、それ以前の長い間の知識や経験の蓄積がある。また、世間の信用もついてくる。肉体的な活動力は衰えても、精神的な活動力からいえば、革命的、突進的な問題以外は、はるかに五十以後の活動力のほうが影響力が大きい。
人間の天寿は百二十歳である
いや、人生は八十年どころか、百年、百二十年である。
日本人の平均寿命は二〇〇五年で男性七十八・五三歳、女性八十五・四九歳に伸びてはいるが、今の常識では百歳でも、まれなる長寿である。従って、寿命百二十歳はいわゆる常識の名のもとに不可能だと思われがちだが、生かされ生きる他力生活、真理生活の原則によれば、決してそうではない。
今日の日本にも、百歳以上の長命を保つ人々が少なからずいる。自然に生きれば、百二十歳ぐらいまでの長寿も難事ではないと科学が保証している。
フランスの自然科学者ビユフォンや、オランダの生理学者フルーレンの説によれば、脊椎動物の寿命は成長に必要な年数の六倍ぐらいだといわれる。人間の成長期を二十年と見なすならば、百二十歳まで生きられるはずである。
運命の帝王といわれる四柱推命でも、大運というのがあり、大きく見て春夏秋冬を巡る百二十年になっている。天理教では、百十五年生きられるといっている。道教では百六十年、その半分の八十年を半寿という。
実際にも、昔から長命な人間は各国、各地にいるものである。
ウイスキーのオールド・パーのレッテル肖像画で有名なトーマス・パーは、百五十二歳で死んだというが、その死因が老衰ではなく、ごちそうの食べすぎによる腸捻転だというのだから恐れ入る。
ハンガリーのヤノス・ローウェン夫妻は、それぞれ夫百七十二歳、妻百六十四歳まで生き、同じ日に百十六歳を筆頭とする息子たちにみとられて大往生を遂げたという。 また、この地球の各地には、長命に適した地域が存在している。旧ソ連のコーカサス地方など、山を挟んだ両側にたくさんの百歳以上の人々がおり、百歳を超す老人の割合は人口十万人につき十人だという。
このほか、南米エクアドルのビルカバンバ、カシミール地方、パキスタンのフンザ地方なども長寿者天国で、百歳以上がいっぱいいる。
日本では、徳之島が長寿地帯として脚光を浴びてきた。一九八六年に百二十歳で亡くなられた泉重千代さんに次ぐ百歳以上の高齢者が、昭和六十三年段階で十人近くおられ、八十歳以上を含めると大変な人数になる。
このように古今東西に長寿者がいることでわかる通り、人間は本来百二十歳くらいまでが生き得る範囲なのである。日常生活の内容が健康と幸福で満たされておれば、百年から百二十年は約束された人生であり、夢や空想ではないのである。
そうすると、八十にして熄まずである。八十八歳の米寿、次いで鳩寿。九十歳のことを昔は卒寿といったものだが、卒業式という言葉があるように、卒寿は終わるという意味を含むから、字がいい鳩(きゅう)と九と音が通っているので、この頃は各地で鳩寿のお祝いと呼んでいるのである。
そして、百二十歳を平均寿命とすると、白寿熄む。九十九歳にして現役を引退するというのが、これからの人生設計じゃないかとも思われる。誰もが生涯現役の気構えを持って、これからの人生設計を白寿の九十九歳、ないし百歳を目標にして考えたらどうだろうか。
昔、人生わずか五十年といっていたのが、日本でも社会情勢の変化や医学の進歩の結果、平均寿命が三十年も延びたのだから隔世の感がある。
だが、昔の人でも長寿な人は、いくらもいたのである。ただ幼児や壮年者の死亡率が高く、老年者の生活環境の厳しさから、平均寿命はどうしても低いものにならざるを得なかった。平均寿命は、生活環境に左右されるのである。
■生涯現役の勧め2 [生涯現役を目指す]
人生に春夏秋冬あり
日本人の平均寿命について見ると、明治三十年頃の生命表では、男四十二歳、女四十四歳だった。昭和十年頃では男四十七歳、女四十九歳と、まさに人生五十年という言葉がピッタリであった。戦争の影響で、昭和二十年には男二十三歳、女三十七歳と驚異的に下がっている。
その後、昭和二十二年には男女とも五十歳、二十六年には六十歳、四十七年には七十歳の壁を次々と破り、五十六年には男七十三・七九歳、女が七十九・一三歳と実質世界第一位の長寿国になって今日に至っている。平成四年は男七十六・〇四歳、女八十二・〇七歳、平成二十年は男七十九・二九歳、女八十六・〇五歳。
抗生物質など薬の開発や、医学技術の急速な進歩によって、結核などの伝染病や乳幼児の死亡原因が克服されてきたことが、順調に伸びた原因である。さらにガンや脳卒中、心臓病の三大死因が解決されていけば、遠からず女に続いて男も八十歳代になることは十分予想される。
私は、人間の天寿百二十年を春夏秋冬の四季に分けて、それぞれの立場に応じた人生計画を唱えてきた。
一年に四季があり、年刻みに四季が繰り返される。大自然界の運行と同様に、人生にも年代に応じて、それぞれの四季があるのである。それが循環しているうちに百歳、百二十歳を迎えるのである。
人生百二十歳の原則に立てば、生まれてから三十歳までが人生の春、六十歳までが最盛期である活躍の夏、六十歳から九十歳までが実りの秋、その後九十歳から百二十歳までがその収穫をかみしめる人間完成期、みたまの冬ということになる。
また、その百二十年は、六十歳までの積極的な「生き方」と、六十歳から百二十歳までの「生かされ方」という、上り下りの六十年ずつである。
平均寿命から推測して百歳と見れば、人生の春夏秋冬は、二十五歳、五十歳、七十五歳、百歳と巡っていく。
主旨からいえば三十年ずつでも、二十五年ずつでも同じこと。長命を志し天寿の全うを願う人には長いほどよかろう。
それぞれの時期にふさわしく
そこで、人生の四季のそれぞれの過ごし方を、簡単に紹介しておくことにしよう。
まず、人生の春である第一期について、これを三十歳までとして見ると、生まれてから十五年くらいは、自己という人間性は確立されていない時期。親や社会から生かされ、育てられているだけである。
人間は十五歳から二十五歳の間に成人し、自分一人で生きていける条件が、肉体的にも精神的にもできてくる。人間が肉体的に生理機能を完成するには、少なくとも二十五年くらいの準備期間が必要なのである。
この人生の春は、他力を利用してのいわば大切な仕込みの期間。最初の二十五年、ないし三十年という年月が、その天寿百歳、百二十歳を全うするという目的に向かってすべて集中されているのである。体を鍛え、精神を磨き、学問、技芸を身につけて一人前の社会人となり、立派な親になるための修行、遍歴の時期であることを銘記したい。
人間三十歳までに、エネルギーを体力にも学問にも、意識、知識、技術にも利用し、自重して時を待つ。「気」を作る。春の季節を摂生よく、適切に過ごした人は、夏に当たる成年期には、目を見張るばかりの活動ぶりを示す。その成果は、春の仕込みを怠った人のおそらく数倍にも達するであろう。
職業に就き、結婚をしてから、自分の足で充実した第二の人生を歩き出す三十歳から六十歳ぐらいまでの時期、これが人生の夏。社会人として生きる盛夏の働き盛りである。
この人生第二期は、人間としての進歩、成熟へと向かう変化の激しい時である。六十歳までに、自らの力で家庭を営み、子孫を育て、生きることに全力を尽くす。主となって向上、発展する時、大いに社会的に働く時代である。
本当に「気」を入れて働けば、働くことがどれほど楽しいか、面白いかわからない。朝は夜明けとともに働き出す。そういう人生に病気はない。悩み、苦しみはない。経済的な不足だの、欠陥だのがあるはずがない。その道その道のベテラン、専門家になること請け合いである。
職業によって、自分の働きを通して、自らの価値を社会、世界に大きく発揮し、対価として社会から報いられる恵みを受け、マイホームの糧とする。それが社会の仕組みである。
そこには、要不要の原理、適不適の法則という宇宙大自然の大きなおきてがあり、摂理がある。
従って、適当に必要なものが満たされてゆけば、いくつになったら自分の家ができるかなどと、いらぬ皮算用をすることなく、ただひたすらに社会のために働けばよい。そうすれば、必ずや自然の世界はほうっておくはずはない。自然に成長、発展してゆく自己の能力は、速度が遅いようでも、幾何級数的に積み上げられてゆくから、実り始めると、その得るところは大きいものである。
五十歳頃には、子も育って社会人となろう。教育は第二で、躾けが第一。親が忠実なら、子も素直で真面目に育ち、一家を栄えさせる。
収穫の季節と富裕の季節
第三期は人生の秋で、六十歳から九十歳までの実りの季節である。夏によく働いておけば、ほうっておいても自然に実り、収穫をなす時期である。
同時に、精神的な充実をはかり、社会に対してお返しをする、円熟の時代でもある。六十歳になったら、生涯現役族として仕事を持つ人も、がむしゃらに働くばかりの生活はもうやめて、なるべく精神的な充実をはかるよう心掛けたい。
つまり、六十歳は大きな人生の折り返し点。これを境として、なるべく意識的な社会生活を少なくして、肉体本位の生活に切り替え、自然に返っていく時。長寿を保つためには、生かされの時期に入っていることをよく理解して、自覚しなければならない。生きようとする自己意識を捨て、天地大自然の力に生かされているのだという、宇宙と人間の関係を尊重していくように生きれば、少なく働いて大きな成果をもたらす秋の実りのような人生が三十年続く。
次に迎える季節、九十歳から百二十歳までが、第四期の冬である。実った収穫を良きに善きに、賢きに賢きにと使って、楽しいことばかりの真の生活が成就してゆく晩年の人生、これが冬である。
前の三期を、正しく生き通した人には、冬の人生はただ楽しいもの、静寂人生である。九十歳をすぎたなら、後の三十年は悠々自適、宇宙天地大自然の摂理に従って、人格、人生を完成して富裕な時代を生きるのである。人生の秋の上に一歩を進めて、自然の中の人生、生かされ生きる原則に身を任せて、欲のない、てらいのない日々を送る。これこそ、まさしく人間として最高の生き方である。
高齢になれば、体力が衰えるのは当然である。しかしながら、向上性を失わなければ、精神は年を取っても弱まるということはない。むしろ逆に、年とともに磨かれ、純化されるものなのである。
この精神が、老人を人間として支えてくれる。そればかりではない。高齢者にならなければ得られないような、人間としての価値を与えてくれる。春夏秋にわたる長い間に得た豊富な体験を次の世代、さらにはそのまた次の世代のために活用させたいものである。
以上の私が勧める天寿百二十年の人生は、春夏秋冬の道を正しく歩み、「気」が本当に肉体に発生していれば、欲などはかかなくても、必要、適当な意欲が湧いてくるという真理によるものである。
一日にも朝昼夕夜という四期があり、四「気」がある。朝方と夕方とは「気」が違い、昼と夜とでは全く「気」が反対で、太陽性の昼の「気」は軽く、地球性の夜の「気」は重いから地を這(は)うように沈んでいるものである。陰と陽という「気」の違いによって、万事万物、すべてがみな異なる変化を起こし、それが善と働き、美と現れ、楽しさの連続となっている。
個人はこの中で、春夏秋冬、三十年ごとの四季の別をよくわきまえて、上手に生き抜くことができるよう、それだけの知恵と能力を与えられている。人生の四季のそれぞれの立場に応じて、天から一切を与えられているわけである。
人生というものは決して不可解なものではなく、ことごとく割り切れる、計画できる。つまり、天寿百年、天寿百二十年、「気」が本当に肉体に発生し、みなぎっていれば、何の無理もなく、一生涯を生き抜いていけるものである。
日本人の平均寿命について見ると、明治三十年頃の生命表では、男四十二歳、女四十四歳だった。昭和十年頃では男四十七歳、女四十九歳と、まさに人生五十年という言葉がピッタリであった。戦争の影響で、昭和二十年には男二十三歳、女三十七歳と驚異的に下がっている。
その後、昭和二十二年には男女とも五十歳、二十六年には六十歳、四十七年には七十歳の壁を次々と破り、五十六年には男七十三・七九歳、女が七十九・一三歳と実質世界第一位の長寿国になって今日に至っている。平成四年は男七十六・〇四歳、女八十二・〇七歳、平成二十年は男七十九・二九歳、女八十六・〇五歳。
抗生物質など薬の開発や、医学技術の急速な進歩によって、結核などの伝染病や乳幼児の死亡原因が克服されてきたことが、順調に伸びた原因である。さらにガンや脳卒中、心臓病の三大死因が解決されていけば、遠からず女に続いて男も八十歳代になることは十分予想される。
私は、人間の天寿百二十年を春夏秋冬の四季に分けて、それぞれの立場に応じた人生計画を唱えてきた。
一年に四季があり、年刻みに四季が繰り返される。大自然界の運行と同様に、人生にも年代に応じて、それぞれの四季があるのである。それが循環しているうちに百歳、百二十歳を迎えるのである。
人生百二十歳の原則に立てば、生まれてから三十歳までが人生の春、六十歳までが最盛期である活躍の夏、六十歳から九十歳までが実りの秋、その後九十歳から百二十歳までがその収穫をかみしめる人間完成期、みたまの冬ということになる。
また、その百二十年は、六十歳までの積極的な「生き方」と、六十歳から百二十歳までの「生かされ方」という、上り下りの六十年ずつである。
平均寿命から推測して百歳と見れば、人生の春夏秋冬は、二十五歳、五十歳、七十五歳、百歳と巡っていく。
主旨からいえば三十年ずつでも、二十五年ずつでも同じこと。長命を志し天寿の全うを願う人には長いほどよかろう。
それぞれの時期にふさわしく
そこで、人生の四季のそれぞれの過ごし方を、簡単に紹介しておくことにしよう。
まず、人生の春である第一期について、これを三十歳までとして見ると、生まれてから十五年くらいは、自己という人間性は確立されていない時期。親や社会から生かされ、育てられているだけである。
人間は十五歳から二十五歳の間に成人し、自分一人で生きていける条件が、肉体的にも精神的にもできてくる。人間が肉体的に生理機能を完成するには、少なくとも二十五年くらいの準備期間が必要なのである。
この人生の春は、他力を利用してのいわば大切な仕込みの期間。最初の二十五年、ないし三十年という年月が、その天寿百歳、百二十歳を全うするという目的に向かってすべて集中されているのである。体を鍛え、精神を磨き、学問、技芸を身につけて一人前の社会人となり、立派な親になるための修行、遍歴の時期であることを銘記したい。
人間三十歳までに、エネルギーを体力にも学問にも、意識、知識、技術にも利用し、自重して時を待つ。「気」を作る。春の季節を摂生よく、適切に過ごした人は、夏に当たる成年期には、目を見張るばかりの活動ぶりを示す。その成果は、春の仕込みを怠った人のおそらく数倍にも達するであろう。
職業に就き、結婚をしてから、自分の足で充実した第二の人生を歩き出す三十歳から六十歳ぐらいまでの時期、これが人生の夏。社会人として生きる盛夏の働き盛りである。
この人生第二期は、人間としての進歩、成熟へと向かう変化の激しい時である。六十歳までに、自らの力で家庭を営み、子孫を育て、生きることに全力を尽くす。主となって向上、発展する時、大いに社会的に働く時代である。
本当に「気」を入れて働けば、働くことがどれほど楽しいか、面白いかわからない。朝は夜明けとともに働き出す。そういう人生に病気はない。悩み、苦しみはない。経済的な不足だの、欠陥だのがあるはずがない。その道その道のベテラン、専門家になること請け合いである。
職業によって、自分の働きを通して、自らの価値を社会、世界に大きく発揮し、対価として社会から報いられる恵みを受け、マイホームの糧とする。それが社会の仕組みである。
そこには、要不要の原理、適不適の法則という宇宙大自然の大きなおきてがあり、摂理がある。
従って、適当に必要なものが満たされてゆけば、いくつになったら自分の家ができるかなどと、いらぬ皮算用をすることなく、ただひたすらに社会のために働けばよい。そうすれば、必ずや自然の世界はほうっておくはずはない。自然に成長、発展してゆく自己の能力は、速度が遅いようでも、幾何級数的に積み上げられてゆくから、実り始めると、その得るところは大きいものである。
五十歳頃には、子も育って社会人となろう。教育は第二で、躾けが第一。親が忠実なら、子も素直で真面目に育ち、一家を栄えさせる。
収穫の季節と富裕の季節
第三期は人生の秋で、六十歳から九十歳までの実りの季節である。夏によく働いておけば、ほうっておいても自然に実り、収穫をなす時期である。
同時に、精神的な充実をはかり、社会に対してお返しをする、円熟の時代でもある。六十歳になったら、生涯現役族として仕事を持つ人も、がむしゃらに働くばかりの生活はもうやめて、なるべく精神的な充実をはかるよう心掛けたい。
つまり、六十歳は大きな人生の折り返し点。これを境として、なるべく意識的な社会生活を少なくして、肉体本位の生活に切り替え、自然に返っていく時。長寿を保つためには、生かされの時期に入っていることをよく理解して、自覚しなければならない。生きようとする自己意識を捨て、天地大自然の力に生かされているのだという、宇宙と人間の関係を尊重していくように生きれば、少なく働いて大きな成果をもたらす秋の実りのような人生が三十年続く。
次に迎える季節、九十歳から百二十歳までが、第四期の冬である。実った収穫を良きに善きに、賢きに賢きにと使って、楽しいことばかりの真の生活が成就してゆく晩年の人生、これが冬である。
前の三期を、正しく生き通した人には、冬の人生はただ楽しいもの、静寂人生である。九十歳をすぎたなら、後の三十年は悠々自適、宇宙天地大自然の摂理に従って、人格、人生を完成して富裕な時代を生きるのである。人生の秋の上に一歩を進めて、自然の中の人生、生かされ生きる原則に身を任せて、欲のない、てらいのない日々を送る。これこそ、まさしく人間として最高の生き方である。
高齢になれば、体力が衰えるのは当然である。しかしながら、向上性を失わなければ、精神は年を取っても弱まるということはない。むしろ逆に、年とともに磨かれ、純化されるものなのである。
この精神が、老人を人間として支えてくれる。そればかりではない。高齢者にならなければ得られないような、人間としての価値を与えてくれる。春夏秋にわたる長い間に得た豊富な体験を次の世代、さらにはそのまた次の世代のために活用させたいものである。
以上の私が勧める天寿百二十年の人生は、春夏秋冬の道を正しく歩み、「気」が本当に肉体に発生していれば、欲などはかかなくても、必要、適当な意欲が湧いてくるという真理によるものである。
一日にも朝昼夕夜という四期があり、四「気」がある。朝方と夕方とは「気」が違い、昼と夜とでは全く「気」が反対で、太陽性の昼の「気」は軽く、地球性の夜の「気」は重いから地を這(は)うように沈んでいるものである。陰と陽という「気」の違いによって、万事万物、すべてがみな異なる変化を起こし、それが善と働き、美と現れ、楽しさの連続となっている。
個人はこの中で、春夏秋冬、三十年ごとの四季の別をよくわきまえて、上手に生き抜くことができるよう、それだけの知恵と能力を与えられている。人生の四季のそれぞれの立場に応じて、天から一切を与えられているわけである。
人生というものは決して不可解なものではなく、ことごとく割り切れる、計画できる。つまり、天寿百年、天寿百二十年、「気」が本当に肉体に発生し、みなぎっていれば、何の無理もなく、一生涯を生き抜いていけるものである。
■生涯現役の勧め3 [生涯現役を目指す]
真の人生百二十年の原理
自然にも人生にも、春があり、夏があり、秋があり、冬がある。それが当然、自然というものだ。
特に、日本はありがたいことに、四季の別のきわめて明らかな国である。冬は寒く、夏は暑い。春と秋とは同じようであって、同じではない。春の花は秋には咲かない。秋の虫は秋にしか鳴かない。
自然の四季に、それぞれ美しさ、楽しさがある。地球の軸が二十三度あまり傾いていることによって、地上に春夏秋冬という季節の区別ができ、植物はその時その時の花を咲かせ、季節ごとの鳥が歌う。春に、小鳥のさえずりが耳に入る。快く、楽しい。秋に、咲いている花を見て、「ああ美しい」と思う。
同じように、人生の四季にも、年齢や時期に応じた美しさ、楽しみがある。一年に四季あり、一日に四期あり。朝は春、早起きせねば春を失う。夏に稼ぎ、秋に収穫。冬も早く冬眠しないと「健幸」を損ずる。そのいずれの季にか、それぞれの特徴があり、真善美楽・健幸愛和の喜びがある。
これを発見して、喜び楽しむことが大切である。
人間は生きているということの中に、無限の喜び、楽しさがあるのであるが、現代人は人間心の意識的な楽しさを求めて、誤りを犯している。意識的なものは、一時的で強烈であり、危険を伴い身を滅ぼすものである。
本当の楽しさを身につければ、健康になるし、楽しさが人間を引きずってゆき、楽しさに引かれる人生を送ることができる。そして、楽しさの中から知恵が生まれ、運命が開けてくるのである。
人生の百年、百二十年は、常にどこでも、いつでも、誰でも皆、賢明、幸福であり、健康、「賢全」の人であるように創られており、生かされており、生きてゆく道がある。
まずは、人間の肉体構造を見るがよい。わりあい簡単にできているようで、子細に見れば機能、働きの何と巧妙なることか。柔軟で、一見弱く、切ったり突いたりすれば、すぐに死んでしまうような生命が、正しく用いれば何と百年も、百二十年もよく生き続ける。
目の玉一つでも、百年ほどの働きを続ける。針一本で心臓を突いても命を失うことは容易であるのに、百年間も働き続け、一瞬も休むことがない。細い糸のつながりのような神経が、生理作用的に肉体を動かし、生かし、感覚し、意識し、知恵、知識を発して、これほどの素晴らしい働きをする。どこをどうとってみても、驚くことばかりといってよい。
ところが、その間に、病気や災難などというものがあるべきではないのに、人間は食べすぎたり、つまらないことに気を使いすぎたり、欲を出したりして、病気もするし、早死にすることもある。
六十歳から八十歳までの間に死ぬ人が多いのは、貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴の三毒に代表される三漏、四暴流、四取、五蓋、五結など、心という曲(くせ)者の作り出した八万四千の煩悩に苦しめられるからである。人間だけが心という自己意識の描き出した妄想によって、自力で生きていると錯覚し、自分自身の寿命を縮めているのである。
こうした人間の運命は、天命というようなもの、すなわち天然自然から与えられている運命と、宿命というようなもの、すなわち親先祖から受け継いでいる運命、さらに自己が作り上げていくところの運命の三つに分けることができる。
開運に一番早く、合理的であるのは、天然自然から与えられている運命に、自己が意識して開いていくという運命をつないでいくことである。先祖伝来の運命で、よいものは大いに思い出してやればよく、悪い運命は忘れてしまえば、そんなものは消えてしまう。迷信的なものは気にしないでおけば、自己の運命にかかわってはこないものである。
生涯現役計画の立案を
人間の肉体に与えられた力は、天来の運をいくらでも伸ばしていくことのできるものであり、平等で素晴らしいものである。このことに運命的自覚を持つことが、天寿百年、百二十年を生き抜いていくために最もよい。
これが真理である。真理は厳粛なものである。人が守らなくても、天と人間という個々の関係では、厳守せねばならぬ。自ら守る者を天は必ず守ってくれる。
生まれきたったのも天の命、生かされているのも天の命。生きているというのは、その真理の中においてのみ許されている我らの自由、そこにさえ法則もあり、原理もあるはずである。
宇宙の真理に目覚めた人は、今からでも百二十歳の天寿を全うできる。よしんば百二十歳は望めないとしても、これから完全な真理生活に入れば、百歳までは宇宙の加護と保障によって生きられることが、約束されている。
「天寿」という言葉は、宇宙大自然による人間の生命の仕組みを、巧みに表現したものである。つまり、万物の生命はすべて天から与えられ、自然の力と法則によって管理されているのである。
その広大無辺な、宇宙大自然の結晶が人間である。最高度の能力者が人間である。そして、天なる宇宙は、一人ひとりの人間に、百年、百二十年という天寿を与えてくれている。
一人ひとりの人間が百歳、百二十歳までの天寿、長老の道を思い定めて、そうした計画表、見積表のもとに、これからの人生を組み立て直してみてほしい。その道を志すことこそ、最も大切なことである。
誰でも、ちょっとした小旅行でもしようという時には、いろいろとプランを立て、万事うまく運ぶように用意する。ビルを建設する時にも、まず詳細な設計図を描き、工事の途中で支障が起こらないように、すべての手配の順序を決定してから取りかかる。
ところが、これらの小旅行やビル建設以上に重要な人生旅行において、何の計画もなく、ましてや一片の人生地図もなく、人間設計書もないということでは、この先どうなるかわかったものではなく、危険この上もない。これを灯台下暗しというのである。
だから、「子供を三人育てると、貯金する余裕はない」などと世間ではいわれている。老後、物心両面にわたって豊かな悠々自適の生活を送るべく、人格、才能など、ほぼ十善具足して立派な長寿者になってよいはずなのに、おおかたその頃には、抜け殻のような人間になってしまうようでは、一人の人間として、少年、青年、壮年時代をどう暮らしてきたのだろうか。不用意というより、あまりにも無計画である。
人生という長い絵巻物に、生きた歴史を描き上げるには画材に乏しく、人生という延々たる旅路に就こうというのに旅行プランがなく、さらには人生ビルの建設に当たって、計画書も設計図もなく、ゆき当たりばったりでよいだろうか。
人生今や百年、いや百二十年だというのに、六十歳から仕事も生きがいもなく、ただ無為に過ごすようでは、人間と生まれたかいがないではないか。六十からの四十年、六十年の後半生を充実させるためには、生涯現役のための計画を壮年時代から描き、実践していくことである。
定年で老け込むことはない
例えば、芸術家や芸能人、作家などの自由業、弁護士などの専門職、農業や商店を自ら営む人たちなら、壮年時代からやっている仕事を、老後も体の続く限り生涯現役で続けられるだろう。一方、壮年時代に企業や役所で働く人たちの場合はどうだろうか。
これらの人々にとっても、会社や役所、各種団体、各種組織のために働くということは、直ちに自分のためにもなるのである。懸命に会社の仕事をして、それを通じて自己を磨く。そうして絶えず向上しようと心掛けるべきだ、というのが私の考えである。
しかしながら、少数の人のほかは、学校を卒業して職にありつけば、それからはもうほとんど遊んで、のんきに暮らして年を取る。油断をしているうちに時は流れ、いつの間にか四十、五十、五十五歳ともなり、六十歳をすぎればほとんどが定年となる。
定年が六十歳とは、実にもったいないことである。もっとも、若い頃から勉強をずっと続け、自己研鑚を欠かさない人にとっては、生涯が現役、人生に定年などありようがない。
定年になった途端に、去勢された人間のようになってしまう人がいる。ある西洋医学者の長年にわたる人間の老化および罹病の研究によると、サラリーマンが定年退職後、急速に老け込んで病気がちとなるケースが多いのに比べて、芸術家など創造的な自由業に携わる人は、いつまでも若々しく、健康な人が多いということである。
私の知っている画伯や義太夫の師匠や役者など、芸術家や芸能人は年を取るほどに作品や芸に磨きが加わり、奥が深く、ピンピンとした精神の張りを感じる。彼らは常に新しい想像力をかき立てながら、創造的に生きているからであろう。つまり、精神年齢が若く、いつまでも充実しているのである。
会社勤めのサラリーマンの場合は、定年退職して徒手空拳のまま、再就職とか次なる生きがいを見つけることができないと、今まで働いてきた組織や地盤を失い、生活目標を見失って呆然自失、ただ孤独になるのである。会社の友人も訪ねてこなくなり、することもなく、いわゆる退職虚脱症に陥る。そういう人は、妻からは「ヌレ落ち葉」とか「恐怖のワシ族」の汚名を着せられ、身の置きどころがなくなって、精神的に不安定で、うつ病にかかりやすく急速に老化する。
お金をためたからとか、名誉を得たからとかで本当の健康者、幸福者にはなれないのである。一時の満足、安心は得られるだろうが、精神が緩んでしまっては多病必至。
人間は、健康で働く仕事を持ち、その仕事に打ち込めるならば幸福である。若い頃は、肉体的にも精神的にもエネルギーに満ちているから、どんな仕事にでも打ち込んで、世のため、人のため、家族のために大いに働いて、それが自分の幸福にもつながる。
だが、老後はそうはいかない。肉体的にも精神的にも、積極性がなくなる。あらゆる能力が衰えてくる。しかし、元気な限りは何かできるのである。稽古(けいこ)事、読書、釣り、囲碁将棋、何でもよい。学習することも立派な労働である。
その労働の中に、生きがい、幸福が見つかるのである。恍惚(こうこつ)の人にならないためには、生きがいを持つことである。誰もが、生きているうちは働くという思想を、もっとしっかり人間の価値、光栄として自覚せねばならない。
年金で生活するなど社会に頼るのも便利でよいかもしれないが、本質的には、自分が若い時に力の限り働いて老後の設計をすることが大切である。人間の生涯は、前半の六十年間に国家、社会のために働き、家を造り、子をなし、老後の備えをなす。後半の六十年間は、人生の四季でいえば秋と冬であるから、春と夏の間の努力と蓄積によって、日々を迎え、送る。これは人間のみに与えられている計画性であり、経済性である。
そして、人の世話にはならないという気持ちが、自己を死ぬまで働くという意欲に駆り立て、希望や光栄を感じさせるゆえんになる。特に、老人というものを意識することがおかしいのである。
人生の大きな折り返し点
私にいわせれば、定年というのは会社をやめ、職業を捨てるということであってはならない。人間に本来与えられた人生は百二十年である。定年といっても、その前と後で大きな差があるわけではなく、急激に変化が起きるわけのものでもない。定年を老化の始まる年などと勘違いしないように。
人間の天寿は百二十歳。ゼロ歳から百歳、百二十歳まで百年、百二十年間、一年ごとに春夏秋冬の年輪を積み、毎日にあっては朝昼夕夜の日輪を重ねている。その真ん中の六十歳が若年と老年の境界で、実りの秋の始まる年齢である。
六十年かかって仕込んだ蓄積を、後の六十年で、自己のために完全な自己を作り上げたり、社会、世界のために働く糧とせねばならない。まさに塾年時代、実年時代、まず百歳を目標にして働くことである。休むなら百歳からである。
アメリカには、六十歳で未亡人になった主婦が一念発起して大学に通い、著名な写真家になった例があるという。六十歳になった時から、新しいものを始められる闘争心と、気力と、体力を持てる人間は素晴らしい。
日本でも、例えば石川島播磨重工業と東芝の企業経営者として成功した土光敏夫翁は、その後も現役を引退せず、昭和四十九年、すでに八十歳を間近にして、経団連第四代会長に推された。あの時は石油ショック後の狂乱物価の中で企業批判が高まっていたため、彼の清廉な生活態度と荒法師と呼ばれる行動力が期待されたのである。ここでも、歴代経団連会長の中で最も行動した人という評価を受け、さらに臨調会長、行革審会長も務めた。
土光翁のように高齢で孤軍奮闘した人に対して、それは珍しい人、非凡な人、特別な人だというかもしれないが、そうではない。天の定めでは、六十歳以後は過去の人生体験が自然に働き、物をいって、いたずらに肉体を働かせなくても結構仕事はある。老人でなくてはできぬこと、わからぬ仕事はたくさんある。このあたりのことは、老練の達人はみな知っている。
特に、人間八十歳ともなれば、自己の体験、経験がすっきりと使いこなせる人は、年を取れば取るほど、立派になってゆく。その点、実業の世界などで本当に鍛えた人というのは、その道において素晴らしくなり、立派になってゆくものであるから、専門以外のことにも、その力を伸ばすことができるのである。
そこでまず、人間は誰もが六十歳に達したら、これを節とし境として、今までの前半生を振り返ってみる必要がある。過去がわかれば未来もわかる。過去は死、未来は生。生死一如とは、過去と現在と未来が一続きであって、どこにも切れ目のないことをいう。
天寿を全うすれば、六十歳の倍の百二十歳までも生きられるはずである。天寿百二十歳の人間にとっては、定年はやっと折り返し点という一区切り。天地の摂理で、以後の老年時代が面白くなる。六十歳の定年となったら、ここでしっかりと心定めをせねばならぬ。定年とは年の上での心定め、自覚すべき時なのである。これからが真の人生、誰もが六十歳からスタートする老境の時代こそ、平等自由、差別即絶対の輝かしい人生の舞台であることを知らなければならない。
自然にも人生にも、春があり、夏があり、秋があり、冬がある。それが当然、自然というものだ。
特に、日本はありがたいことに、四季の別のきわめて明らかな国である。冬は寒く、夏は暑い。春と秋とは同じようであって、同じではない。春の花は秋には咲かない。秋の虫は秋にしか鳴かない。
自然の四季に、それぞれ美しさ、楽しさがある。地球の軸が二十三度あまり傾いていることによって、地上に春夏秋冬という季節の区別ができ、植物はその時その時の花を咲かせ、季節ごとの鳥が歌う。春に、小鳥のさえずりが耳に入る。快く、楽しい。秋に、咲いている花を見て、「ああ美しい」と思う。
同じように、人生の四季にも、年齢や時期に応じた美しさ、楽しみがある。一年に四季あり、一日に四期あり。朝は春、早起きせねば春を失う。夏に稼ぎ、秋に収穫。冬も早く冬眠しないと「健幸」を損ずる。そのいずれの季にか、それぞれの特徴があり、真善美楽・健幸愛和の喜びがある。
これを発見して、喜び楽しむことが大切である。
人間は生きているということの中に、無限の喜び、楽しさがあるのであるが、現代人は人間心の意識的な楽しさを求めて、誤りを犯している。意識的なものは、一時的で強烈であり、危険を伴い身を滅ぼすものである。
本当の楽しさを身につければ、健康になるし、楽しさが人間を引きずってゆき、楽しさに引かれる人生を送ることができる。そして、楽しさの中から知恵が生まれ、運命が開けてくるのである。
人生の百年、百二十年は、常にどこでも、いつでも、誰でも皆、賢明、幸福であり、健康、「賢全」の人であるように創られており、生かされており、生きてゆく道がある。
まずは、人間の肉体構造を見るがよい。わりあい簡単にできているようで、子細に見れば機能、働きの何と巧妙なることか。柔軟で、一見弱く、切ったり突いたりすれば、すぐに死んでしまうような生命が、正しく用いれば何と百年も、百二十年もよく生き続ける。
目の玉一つでも、百年ほどの働きを続ける。針一本で心臓を突いても命を失うことは容易であるのに、百年間も働き続け、一瞬も休むことがない。細い糸のつながりのような神経が、生理作用的に肉体を動かし、生かし、感覚し、意識し、知恵、知識を発して、これほどの素晴らしい働きをする。どこをどうとってみても、驚くことばかりといってよい。
ところが、その間に、病気や災難などというものがあるべきではないのに、人間は食べすぎたり、つまらないことに気を使いすぎたり、欲を出したりして、病気もするし、早死にすることもある。
六十歳から八十歳までの間に死ぬ人が多いのは、貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴の三毒に代表される三漏、四暴流、四取、五蓋、五結など、心という曲(くせ)者の作り出した八万四千の煩悩に苦しめられるからである。人間だけが心という自己意識の描き出した妄想によって、自力で生きていると錯覚し、自分自身の寿命を縮めているのである。
こうした人間の運命は、天命というようなもの、すなわち天然自然から与えられている運命と、宿命というようなもの、すなわち親先祖から受け継いでいる運命、さらに自己が作り上げていくところの運命の三つに分けることができる。
開運に一番早く、合理的であるのは、天然自然から与えられている運命に、自己が意識して開いていくという運命をつないでいくことである。先祖伝来の運命で、よいものは大いに思い出してやればよく、悪い運命は忘れてしまえば、そんなものは消えてしまう。迷信的なものは気にしないでおけば、自己の運命にかかわってはこないものである。
生涯現役計画の立案を
人間の肉体に与えられた力は、天来の運をいくらでも伸ばしていくことのできるものであり、平等で素晴らしいものである。このことに運命的自覚を持つことが、天寿百年、百二十年を生き抜いていくために最もよい。
これが真理である。真理は厳粛なものである。人が守らなくても、天と人間という個々の関係では、厳守せねばならぬ。自ら守る者を天は必ず守ってくれる。
生まれきたったのも天の命、生かされているのも天の命。生きているというのは、その真理の中においてのみ許されている我らの自由、そこにさえ法則もあり、原理もあるはずである。
宇宙の真理に目覚めた人は、今からでも百二十歳の天寿を全うできる。よしんば百二十歳は望めないとしても、これから完全な真理生活に入れば、百歳までは宇宙の加護と保障によって生きられることが、約束されている。
「天寿」という言葉は、宇宙大自然による人間の生命の仕組みを、巧みに表現したものである。つまり、万物の生命はすべて天から与えられ、自然の力と法則によって管理されているのである。
その広大無辺な、宇宙大自然の結晶が人間である。最高度の能力者が人間である。そして、天なる宇宙は、一人ひとりの人間に、百年、百二十年という天寿を与えてくれている。
一人ひとりの人間が百歳、百二十歳までの天寿、長老の道を思い定めて、そうした計画表、見積表のもとに、これからの人生を組み立て直してみてほしい。その道を志すことこそ、最も大切なことである。
誰でも、ちょっとした小旅行でもしようという時には、いろいろとプランを立て、万事うまく運ぶように用意する。ビルを建設する時にも、まず詳細な設計図を描き、工事の途中で支障が起こらないように、すべての手配の順序を決定してから取りかかる。
ところが、これらの小旅行やビル建設以上に重要な人生旅行において、何の計画もなく、ましてや一片の人生地図もなく、人間設計書もないということでは、この先どうなるかわかったものではなく、危険この上もない。これを灯台下暗しというのである。
だから、「子供を三人育てると、貯金する余裕はない」などと世間ではいわれている。老後、物心両面にわたって豊かな悠々自適の生活を送るべく、人格、才能など、ほぼ十善具足して立派な長寿者になってよいはずなのに、おおかたその頃には、抜け殻のような人間になってしまうようでは、一人の人間として、少年、青年、壮年時代をどう暮らしてきたのだろうか。不用意というより、あまりにも無計画である。
人生という長い絵巻物に、生きた歴史を描き上げるには画材に乏しく、人生という延々たる旅路に就こうというのに旅行プランがなく、さらには人生ビルの建設に当たって、計画書も設計図もなく、ゆき当たりばったりでよいだろうか。
人生今や百年、いや百二十年だというのに、六十歳から仕事も生きがいもなく、ただ無為に過ごすようでは、人間と生まれたかいがないではないか。六十からの四十年、六十年の後半生を充実させるためには、生涯現役のための計画を壮年時代から描き、実践していくことである。
定年で老け込むことはない
例えば、芸術家や芸能人、作家などの自由業、弁護士などの専門職、農業や商店を自ら営む人たちなら、壮年時代からやっている仕事を、老後も体の続く限り生涯現役で続けられるだろう。一方、壮年時代に企業や役所で働く人たちの場合はどうだろうか。
これらの人々にとっても、会社や役所、各種団体、各種組織のために働くということは、直ちに自分のためにもなるのである。懸命に会社の仕事をして、それを通じて自己を磨く。そうして絶えず向上しようと心掛けるべきだ、というのが私の考えである。
しかしながら、少数の人のほかは、学校を卒業して職にありつけば、それからはもうほとんど遊んで、のんきに暮らして年を取る。油断をしているうちに時は流れ、いつの間にか四十、五十、五十五歳ともなり、六十歳をすぎればほとんどが定年となる。
定年が六十歳とは、実にもったいないことである。もっとも、若い頃から勉強をずっと続け、自己研鑚を欠かさない人にとっては、生涯が現役、人生に定年などありようがない。
定年になった途端に、去勢された人間のようになってしまう人がいる。ある西洋医学者の長年にわたる人間の老化および罹病の研究によると、サラリーマンが定年退職後、急速に老け込んで病気がちとなるケースが多いのに比べて、芸術家など創造的な自由業に携わる人は、いつまでも若々しく、健康な人が多いということである。
私の知っている画伯や義太夫の師匠や役者など、芸術家や芸能人は年を取るほどに作品や芸に磨きが加わり、奥が深く、ピンピンとした精神の張りを感じる。彼らは常に新しい想像力をかき立てながら、創造的に生きているからであろう。つまり、精神年齢が若く、いつまでも充実しているのである。
会社勤めのサラリーマンの場合は、定年退職して徒手空拳のまま、再就職とか次なる生きがいを見つけることができないと、今まで働いてきた組織や地盤を失い、生活目標を見失って呆然自失、ただ孤独になるのである。会社の友人も訪ねてこなくなり、することもなく、いわゆる退職虚脱症に陥る。そういう人は、妻からは「ヌレ落ち葉」とか「恐怖のワシ族」の汚名を着せられ、身の置きどころがなくなって、精神的に不安定で、うつ病にかかりやすく急速に老化する。
お金をためたからとか、名誉を得たからとかで本当の健康者、幸福者にはなれないのである。一時の満足、安心は得られるだろうが、精神が緩んでしまっては多病必至。
人間は、健康で働く仕事を持ち、その仕事に打ち込めるならば幸福である。若い頃は、肉体的にも精神的にもエネルギーに満ちているから、どんな仕事にでも打ち込んで、世のため、人のため、家族のために大いに働いて、それが自分の幸福にもつながる。
だが、老後はそうはいかない。肉体的にも精神的にも、積極性がなくなる。あらゆる能力が衰えてくる。しかし、元気な限りは何かできるのである。稽古(けいこ)事、読書、釣り、囲碁将棋、何でもよい。学習することも立派な労働である。
その労働の中に、生きがい、幸福が見つかるのである。恍惚(こうこつ)の人にならないためには、生きがいを持つことである。誰もが、生きているうちは働くという思想を、もっとしっかり人間の価値、光栄として自覚せねばならない。
年金で生活するなど社会に頼るのも便利でよいかもしれないが、本質的には、自分が若い時に力の限り働いて老後の設計をすることが大切である。人間の生涯は、前半の六十年間に国家、社会のために働き、家を造り、子をなし、老後の備えをなす。後半の六十年間は、人生の四季でいえば秋と冬であるから、春と夏の間の努力と蓄積によって、日々を迎え、送る。これは人間のみに与えられている計画性であり、経済性である。
そして、人の世話にはならないという気持ちが、自己を死ぬまで働くという意欲に駆り立て、希望や光栄を感じさせるゆえんになる。特に、老人というものを意識することがおかしいのである。
人生の大きな折り返し点
私にいわせれば、定年というのは会社をやめ、職業を捨てるということであってはならない。人間に本来与えられた人生は百二十年である。定年といっても、その前と後で大きな差があるわけではなく、急激に変化が起きるわけのものでもない。定年を老化の始まる年などと勘違いしないように。
人間の天寿は百二十歳。ゼロ歳から百歳、百二十歳まで百年、百二十年間、一年ごとに春夏秋冬の年輪を積み、毎日にあっては朝昼夕夜の日輪を重ねている。その真ん中の六十歳が若年と老年の境界で、実りの秋の始まる年齢である。
六十年かかって仕込んだ蓄積を、後の六十年で、自己のために完全な自己を作り上げたり、社会、世界のために働く糧とせねばならない。まさに塾年時代、実年時代、まず百歳を目標にして働くことである。休むなら百歳からである。
アメリカには、六十歳で未亡人になった主婦が一念発起して大学に通い、著名な写真家になった例があるという。六十歳になった時から、新しいものを始められる闘争心と、気力と、体力を持てる人間は素晴らしい。
日本でも、例えば石川島播磨重工業と東芝の企業経営者として成功した土光敏夫翁は、その後も現役を引退せず、昭和四十九年、すでに八十歳を間近にして、経団連第四代会長に推された。あの時は石油ショック後の狂乱物価の中で企業批判が高まっていたため、彼の清廉な生活態度と荒法師と呼ばれる行動力が期待されたのである。ここでも、歴代経団連会長の中で最も行動した人という評価を受け、さらに臨調会長、行革審会長も務めた。
土光翁のように高齢で孤軍奮闘した人に対して、それは珍しい人、非凡な人、特別な人だというかもしれないが、そうではない。天の定めでは、六十歳以後は過去の人生体験が自然に働き、物をいって、いたずらに肉体を働かせなくても結構仕事はある。老人でなくてはできぬこと、わからぬ仕事はたくさんある。このあたりのことは、老練の達人はみな知っている。
特に、人間八十歳ともなれば、自己の体験、経験がすっきりと使いこなせる人は、年を取れば取るほど、立派になってゆく。その点、実業の世界などで本当に鍛えた人というのは、その道において素晴らしくなり、立派になってゆくものであるから、専門以外のことにも、その力を伸ばすことができるのである。
そこでまず、人間は誰もが六十歳に達したら、これを節とし境として、今までの前半生を振り返ってみる必要がある。過去がわかれば未来もわかる。過去は死、未来は生。生死一如とは、過去と現在と未来が一続きであって、どこにも切れ目のないことをいう。
天寿を全うすれば、六十歳の倍の百二十歳までも生きられるはずである。天寿百二十歳の人間にとっては、定年はやっと折り返し点という一区切り。天地の摂理で、以後の老年時代が面白くなる。六十歳の定年となったら、ここでしっかりと心定めをせねばならぬ。定年とは年の上での心定め、自覚すべき時なのである。これからが真の人生、誰もが六十歳からスタートする老境の時代こそ、平等自由、差別即絶対の輝かしい人生の舞台であることを知らなければならない。
■生涯現役への準備1 [生涯現役を目指す]
生涯現役への足固め
私たち人間が定年後も仕事や生きがいを持って、生涯現役の人生を送れるか否かは、その人の青壮年期からの生き方に大きく左右される。生涯現役の人生を目指すならば、遅くとも四十代から準備、足固めをはかりたいものである。
そこで、人間の青壮年期という働き盛りのあり方について述べていこう。
少年期、青年期、壮年期、実年期、老年期と送って天寿百歳、百二十歳に至る人間の人生には、いくら希望しても果たせないこともある。従って、まだ人生の道程にある者が、完全を期すのはいいとしても、高望みから逆に失望に陥るようなことのないよう、最初に戒めておきたい。
だが、努力次第でやがて念願がかなうというものもある。すべてに成長の過程、順序、段階といった秩序がある。土台を造らない建築はない。一階を造らないで二階は造れない。
ともかく、各人各様の人間の人生、それはすべて少青年期に始まる。この人生の春の時代に、ふさわしい生き方をし、しっかりと仕込みをしておくことで、人間の一生は大きく変わってくる。
人間の天寿百歳、天寿百二十歳の百階、百二十階の巨大なビルディングを建設するためには、計画書、設計書、仕様書を正確に作っておかなければならない。そして、工事は基礎の構築から始まる。基礎作りが確実に行われず、あやふやにすまされたまま次へ進むと、ビルは中途で崩れるか倒れるかしてしまう。
男も女も、三十歳までに一生の軌道の方向をつける。東にゆくか、西にするかを決める一番大切な時である。将来、人生の秋風落莫の霜夜に凍えるか、猛暑に骨身を惜しまずせっせと建設をして、夜の長い冬空の下、楽しい団らんをするかは、人間本人の覚悟と実践にかかるのみ。
だから私は、誰もが自らの人生に悔いを残さぬため、若くて元気のあるうちに、働けるうちに十分働いて、財産の蓄積をすることが必要だと考える。それよりも大切なのは、人間精神を蓄積し、人間性を磨き上げておくことである。
若いうちは二度とないのだから、若いうちに遊べ、やれるだけやって、後は成り行きに任せればよいなどといって、全く自己に対して無責任な、無計画な生活をする人もずいぶんいる。
けれども、誰でも必ず老人になるのだ。若いうちに、世間に対して見えや体裁ばかりを作ってみても、現実の具体的結果を刈り取るのは、ほかならぬ自分自身である。自分自身を本当に愛するならば、自己の実質内容を日々、充実させてゆかねばなるまい。
では、何で充実させるか。それは真(まこと)である。真は天の道、宇宙の道、万有すべてに通ずる一本道である。真は、宇宙天地、人間社会をまかり通る唯一の生き方である。真のない人間、真実性のない人間は、世間からばかりでなく、宇宙天地からも相手にはされない。
若い時は成り行き任せ、老後は年金で生活するなど、社会に頼るのも便利でよいかもしれないが、本質的には、若い時から着実に働いて、老後の設計をすることが大切である。自分で人生の進路を決めていく、自分で人生を創造していく、自分で人生を選択していくということだ。
人の日々は、新しい創造の日々だ。人間の歴史は、創造の歴史といってよい。創造とは、絵を描くとか、小説を書くとかの芸術だけではない。日々の仕事、労働、人間の働き、すべてが創造である。すべての創造は、すなわち選択である。創造と選択は不可分であり、盾の両面である。
選択も創造も、人間一人ひとり、天の道に従って人間性を磨き上げ、いかに生きるかの立場が基本となる。それが、人の運命を決めていくのである。
「気」を養って、肉体で働く
この点で、自らの体に「気」が充実している人、気が働く人、気がきく、気がつくというような人は、すべてが運命の機会である。あらゆる時に機会をみつけて、自己を運ぶ気持ちのよい人、そういう人が、平凡な社会をどんどん駆け抜けてゆく。
頭がよいとか、利口だとかいうこともあるけれども、そういう条件よりも、運命をよくする「気」が体にあるかないかということが、幸運の条件なのである。
「気」は、宇宙いっぱいに満ちている。みなぎりわたっている。宇宙大自然は「気」の世界、人間の命というものも「気」であり、肉体は「気」の固まりである。
この肉体は絶えず宇宙の「気」を受けて、生命を養い、運命を作ってゆく。宇宙の他力の「気」を力にして発揮、発動される肉体の働きが、あらゆる幸運の転機を捕らえて、よき運命を刻々と作り出してゆく、積み上げてゆくのである。
肉体という万能選手が、万事万物がはつらつとして存在している地球の上で働き抜く、踊り抜く人の一生、遊んでなどいられない。ボヤボヤしてはいられない。
常に「気」というものをこの体に充実させて、よき運命を選び、つかんで生き抜いてゆく。人間は常に運命という運びの上に生きているけれども、そこに、よき縁を選ぶという、幸運をつかんで生き抜くための絶対の条件がある。
よき縁というものは、ただボンヤリと一日一日を暮らしていたのでは選べない。しかし、ただウロウロ、ソワソワとよき縁を選ぼうとしても、なかなかそういう機会にぶつかるというものではない。
縁を選ぶ、運を選ぶなどというと、人間は、幸運というものが向こうにあって、こちらに自分がいるように思い込んでしまうけれども、運命も幸運も、この自分の肉体にある。この体が万事の元、幸運の元。幸福のすべてが、自分自身の体、この自己という生命体の中にあるのである。
肉体の「気」を養って、油断なく肉体で働く。この体から「気」を発して、よき縁を選ぶのである。
現代のように社会の動きが速い時代では、頭の回転がよいというのも一つの条件ではあるかもしれぬが、頭が働きすぎても、「気」が浮ついて、よい運命をつかむなどというわけにはいかない。
落ち着いて、しっかりと、この体全体で、一番よい縁を選び、運命を運んでゆく。よい縁を選ぶということをせずに暴走したのでは、ただ働くだけ、動くだけに終わってしまう。
運命をよくするために、縁を選ぶということとともに、人を選ぶとか、場所を選ぶ、時を選ぶ、方法を選ぶというように、何でも一番適したもの、時宜にかなったものを選び、進めてゆく。
適不適、要不要に従って、自分自身に一番適した職業を選ぶ、道を選んで、一生懸命運んでゆくことである。
壮年期における仕事の意義
現代という時代は、何でも選ぶことができる。世の中が自由になって、社会が広くなった、便利になった。よき道を選んで、運ぼうとすれば、いくらでも方法がある。道がある。自由な時代、幸せな時代。どんな貧しい家に生まれても金持ちになれる。事業で成功することもできるし、学問や芸術の道に進んで、学者や芸術家にもなれる。政治家にもなれる。
誰にも適当な職業があって、何を選んで働くか、運ぶかということには大変恵まれている。幸運の機会に恵まれている。
誰もが青壮年期は、向上の一筋、生きることに自己が全力を尽くす時、主となって発展する時代、大いに社会的に働くがよい。そうすれば、晩年の平安はおのずから訪れる。
だからこそ、人間にとって、この期間に就く職業の選択は、人生における大きな節目をなす。
社会に出て、自分に適した、自分の好む職業に就くことができれば、働くことのほうが、遊ぶことよりもどれほど面白いかしれない。会社のために働くということは、直ちに自分のためにもなる。懸命に会社の仕事をし、それを通じて自己を磨く。そうして、絶えず向上しようと心掛けるべきである。
残念ながら、こういうふうに向上しようと努力するのは少数の人で、ほとんどは遊んでのんきに暮らして年を取る、というのが人間の常である。
ひとたび就職が果たされると、特にそれが思い通り確実な企業や官庁への就職の場合、自己の人生に安心してしまうにはまだ早すぎるのに、途端に勉強嫌いの遊び好きになってしまう人が多い。
三十五歳ぐらいからは結婚生活に捕らわれてきて、食わんがため、世の中に妥協的な人生になる。結局、去勢されたような人間ができてしまって、本当に一つのものに生命を打ち込んでとか、懸けてとかというような意欲はなくなるようである。
妻帯して子供ができた、家をこうせねばならない、社会に妥協してでも生きていかねばならない、泳いでいかねばならないというような問題の時期、時代における自己意識というものは、気力が盛んで、体力が伴い、意欲がある若い時とはまた違ってくる。
だから、若い学者の助手時代、助教授ぐらいな時代には、まだ向上性もあるし、何ものかを成し遂げねばならんという闘いを挑む気力があるのに、境遇や立場が変わって政治的になり、管理職的になっていくと、ぐっと変わってしまうということになる。
こうしてサラリーマンなら油断をしているうちに、いつの間にか四十、五十歳となり、六十歳をすぎると、ことごとく定年となる。定年が六十歳とは、何とももったいないことである。
もっとも、若い頃からの勉強をずっと続け、自らに対する啓発を欠かさない人にとっては、生涯が現役、人生に定年などはありようがない。
職業に就いてから、その仕事のために必要な知識や能力について勉強すれば、面白く、興味も湧いてくる。勉強をしているうちに次々に新しい興味が生まれ、意欲が広がり、思いも掛けず他の職業に移ったりするようにもなる。職業が変わる度に大きく飛躍するという人もある。それがその人の実力だ。
長い間、日本人は職業を変えないのが普通とされていたが、それが誤りであることは、私がずいぶん前から指摘しているところである。転職しないのは、その人に能力がないからという例も少なからずある。定着性というもののメリットも軽視はできぬが、今や企業側のほうが終身雇用制を維持するのに、四苦八苦するような時代である。
自由自在の変化、即応性、これこそ人間なればこその特性。思い切って、自分から社会の既成概念とか固定観念を打破し、脱出する勇気も時には必要である。
私たち人間が定年後も仕事や生きがいを持って、生涯現役の人生を送れるか否かは、その人の青壮年期からの生き方に大きく左右される。生涯現役の人生を目指すならば、遅くとも四十代から準備、足固めをはかりたいものである。
そこで、人間の青壮年期という働き盛りのあり方について述べていこう。
少年期、青年期、壮年期、実年期、老年期と送って天寿百歳、百二十歳に至る人間の人生には、いくら希望しても果たせないこともある。従って、まだ人生の道程にある者が、完全を期すのはいいとしても、高望みから逆に失望に陥るようなことのないよう、最初に戒めておきたい。
だが、努力次第でやがて念願がかなうというものもある。すべてに成長の過程、順序、段階といった秩序がある。土台を造らない建築はない。一階を造らないで二階は造れない。
ともかく、各人各様の人間の人生、それはすべて少青年期に始まる。この人生の春の時代に、ふさわしい生き方をし、しっかりと仕込みをしておくことで、人間の一生は大きく変わってくる。
人間の天寿百歳、天寿百二十歳の百階、百二十階の巨大なビルディングを建設するためには、計画書、設計書、仕様書を正確に作っておかなければならない。そして、工事は基礎の構築から始まる。基礎作りが確実に行われず、あやふやにすまされたまま次へ進むと、ビルは中途で崩れるか倒れるかしてしまう。
男も女も、三十歳までに一生の軌道の方向をつける。東にゆくか、西にするかを決める一番大切な時である。将来、人生の秋風落莫の霜夜に凍えるか、猛暑に骨身を惜しまずせっせと建設をして、夜の長い冬空の下、楽しい団らんをするかは、人間本人の覚悟と実践にかかるのみ。
だから私は、誰もが自らの人生に悔いを残さぬため、若くて元気のあるうちに、働けるうちに十分働いて、財産の蓄積をすることが必要だと考える。それよりも大切なのは、人間精神を蓄積し、人間性を磨き上げておくことである。
若いうちは二度とないのだから、若いうちに遊べ、やれるだけやって、後は成り行きに任せればよいなどといって、全く自己に対して無責任な、無計画な生活をする人もずいぶんいる。
けれども、誰でも必ず老人になるのだ。若いうちに、世間に対して見えや体裁ばかりを作ってみても、現実の具体的結果を刈り取るのは、ほかならぬ自分自身である。自分自身を本当に愛するならば、自己の実質内容を日々、充実させてゆかねばなるまい。
では、何で充実させるか。それは真(まこと)である。真は天の道、宇宙の道、万有すべてに通ずる一本道である。真は、宇宙天地、人間社会をまかり通る唯一の生き方である。真のない人間、真実性のない人間は、世間からばかりでなく、宇宙天地からも相手にはされない。
若い時は成り行き任せ、老後は年金で生活するなど、社会に頼るのも便利でよいかもしれないが、本質的には、若い時から着実に働いて、老後の設計をすることが大切である。自分で人生の進路を決めていく、自分で人生を創造していく、自分で人生を選択していくということだ。
人の日々は、新しい創造の日々だ。人間の歴史は、創造の歴史といってよい。創造とは、絵を描くとか、小説を書くとかの芸術だけではない。日々の仕事、労働、人間の働き、すべてが創造である。すべての創造は、すなわち選択である。創造と選択は不可分であり、盾の両面である。
選択も創造も、人間一人ひとり、天の道に従って人間性を磨き上げ、いかに生きるかの立場が基本となる。それが、人の運命を決めていくのである。
「気」を養って、肉体で働く
この点で、自らの体に「気」が充実している人、気が働く人、気がきく、気がつくというような人は、すべてが運命の機会である。あらゆる時に機会をみつけて、自己を運ぶ気持ちのよい人、そういう人が、平凡な社会をどんどん駆け抜けてゆく。
頭がよいとか、利口だとかいうこともあるけれども、そういう条件よりも、運命をよくする「気」が体にあるかないかということが、幸運の条件なのである。
「気」は、宇宙いっぱいに満ちている。みなぎりわたっている。宇宙大自然は「気」の世界、人間の命というものも「気」であり、肉体は「気」の固まりである。
この肉体は絶えず宇宙の「気」を受けて、生命を養い、運命を作ってゆく。宇宙の他力の「気」を力にして発揮、発動される肉体の働きが、あらゆる幸運の転機を捕らえて、よき運命を刻々と作り出してゆく、積み上げてゆくのである。
肉体という万能選手が、万事万物がはつらつとして存在している地球の上で働き抜く、踊り抜く人の一生、遊んでなどいられない。ボヤボヤしてはいられない。
常に「気」というものをこの体に充実させて、よき運命を選び、つかんで生き抜いてゆく。人間は常に運命という運びの上に生きているけれども、そこに、よき縁を選ぶという、幸運をつかんで生き抜くための絶対の条件がある。
よき縁というものは、ただボンヤリと一日一日を暮らしていたのでは選べない。しかし、ただウロウロ、ソワソワとよき縁を選ぼうとしても、なかなかそういう機会にぶつかるというものではない。
縁を選ぶ、運を選ぶなどというと、人間は、幸運というものが向こうにあって、こちらに自分がいるように思い込んでしまうけれども、運命も幸運も、この自分の肉体にある。この体が万事の元、幸運の元。幸福のすべてが、自分自身の体、この自己という生命体の中にあるのである。
肉体の「気」を養って、油断なく肉体で働く。この体から「気」を発して、よき縁を選ぶのである。
現代のように社会の動きが速い時代では、頭の回転がよいというのも一つの条件ではあるかもしれぬが、頭が働きすぎても、「気」が浮ついて、よい運命をつかむなどというわけにはいかない。
落ち着いて、しっかりと、この体全体で、一番よい縁を選び、運命を運んでゆく。よい縁を選ぶということをせずに暴走したのでは、ただ働くだけ、動くだけに終わってしまう。
運命をよくするために、縁を選ぶということとともに、人を選ぶとか、場所を選ぶ、時を選ぶ、方法を選ぶというように、何でも一番適したもの、時宜にかなったものを選び、進めてゆく。
適不適、要不要に従って、自分自身に一番適した職業を選ぶ、道を選んで、一生懸命運んでゆくことである。
壮年期における仕事の意義
現代という時代は、何でも選ぶことができる。世の中が自由になって、社会が広くなった、便利になった。よき道を選んで、運ぼうとすれば、いくらでも方法がある。道がある。自由な時代、幸せな時代。どんな貧しい家に生まれても金持ちになれる。事業で成功することもできるし、学問や芸術の道に進んで、学者や芸術家にもなれる。政治家にもなれる。
誰にも適当な職業があって、何を選んで働くか、運ぶかということには大変恵まれている。幸運の機会に恵まれている。
誰もが青壮年期は、向上の一筋、生きることに自己が全力を尽くす時、主となって発展する時代、大いに社会的に働くがよい。そうすれば、晩年の平安はおのずから訪れる。
だからこそ、人間にとって、この期間に就く職業の選択は、人生における大きな節目をなす。
社会に出て、自分に適した、自分の好む職業に就くことができれば、働くことのほうが、遊ぶことよりもどれほど面白いかしれない。会社のために働くということは、直ちに自分のためにもなる。懸命に会社の仕事をし、それを通じて自己を磨く。そうして、絶えず向上しようと心掛けるべきである。
残念ながら、こういうふうに向上しようと努力するのは少数の人で、ほとんどは遊んでのんきに暮らして年を取る、というのが人間の常である。
ひとたび就職が果たされると、特にそれが思い通り確実な企業や官庁への就職の場合、自己の人生に安心してしまうにはまだ早すぎるのに、途端に勉強嫌いの遊び好きになってしまう人が多い。
三十五歳ぐらいからは結婚生活に捕らわれてきて、食わんがため、世の中に妥協的な人生になる。結局、去勢されたような人間ができてしまって、本当に一つのものに生命を打ち込んでとか、懸けてとかというような意欲はなくなるようである。
妻帯して子供ができた、家をこうせねばならない、社会に妥協してでも生きていかねばならない、泳いでいかねばならないというような問題の時期、時代における自己意識というものは、気力が盛んで、体力が伴い、意欲がある若い時とはまた違ってくる。
だから、若い学者の助手時代、助教授ぐらいな時代には、まだ向上性もあるし、何ものかを成し遂げねばならんという闘いを挑む気力があるのに、境遇や立場が変わって政治的になり、管理職的になっていくと、ぐっと変わってしまうということになる。
こうしてサラリーマンなら油断をしているうちに、いつの間にか四十、五十歳となり、六十歳をすぎると、ことごとく定年となる。定年が六十歳とは、何とももったいないことである。
もっとも、若い頃からの勉強をずっと続け、自らに対する啓発を欠かさない人にとっては、生涯が現役、人生に定年などはありようがない。
職業に就いてから、その仕事のために必要な知識や能力について勉強すれば、面白く、興味も湧いてくる。勉強をしているうちに次々に新しい興味が生まれ、意欲が広がり、思いも掛けず他の職業に移ったりするようにもなる。職業が変わる度に大きく飛躍するという人もある。それがその人の実力だ。
長い間、日本人は職業を変えないのが普通とされていたが、それが誤りであることは、私がずいぶん前から指摘しているところである。転職しないのは、その人に能力がないからという例も少なからずある。定着性というもののメリットも軽視はできぬが、今や企業側のほうが終身雇用制を維持するのに、四苦八苦するような時代である。
自由自在の変化、即応性、これこそ人間なればこその特性。思い切って、自分から社会の既成概念とか固定観念を打破し、脱出する勇気も時には必要である。