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■「気」と日本人2 [「気」学]

[雨]日本語には多種多様な「気」が表れている
 本家の中国から伝わった「気」が、どのような形で日本に残っているのか。現在の日本語の中に登場する「気」の字を用いた言葉を挙げながら、一緒に考えてみることにしよう。
 「気力」、「気分」、「気付」、「気宇」、「気合」、「気色」、「気性」、「気味」、「気前」、「気度」、「気品」、「気風」、「気候」、「気骨」、「気根」、「気脈」、「気習」、「気転」、「気運」、「気炎」、「気象」、「気絶」、「気楽」、「気節」、「気鋭」、「気迫」、「気質」、「気韻」、「気位」、「気鬱」、「気概」、「気心」、「気丈」、「気随」、「気勢」、「気息」、「気体」、「気配」、「気長」、「気相(きっう)」、「気苦労」、「気重」、「気化」、「気構え」、「気軽」、「気管」、「気球」、「気胸」、「気配り」、「気先」、「気さく」、「気障り」、「気丈夫」、「気まま」、「気忙しい」、「気立て」、「気違い」、「気遣い」、「気疲れ」、「気詰まり」、「気強い」、「気取る」、「気に入り」、「気抜け」、「気の病」、「気働き」、「気早」、「気晴らし」、「気張る」、「気任せ」、「気紛れ」、「気迷い」など、「気」の字が頭にくる熟語をざっと並べただけでも、おびただしい数になる。
 「空気」、「天気」、「暑気」、「寒気」、「意気」、「才気」、「士気」、「大気」、「火気」、「正気」、「生気」、「平気」、「血気」、「狂気」、「冷気」、「霊気」、「英気」、「鋭気」、「毒気」、「夜気」、「和気」、「活気」、「香気」、「口気」、「語気」、「辛気」、「神気」、「怒気」、「勇気」、「鬼気」、「豪気」、「酒気」、「運気」、「雲気」、「根気」、「元気」、「病気」、「熱気」、「景気」、「湿気」、「客気」、「逸(はや)り気」、「蒸気」、「上気」、「暖気」、「電気」、「精気」、「雰囲気」、「陽気」、「陰気」、「本気」、「浮気」、「邪気」、「殺気」、「人気(にんき)」、「人気(ひとけ)」、「短気」、「強気」、「勝ち気」、「弱気」、「惰気」、「やる気」、「火の気」、「塩気」、「節気」、「中気」など、「気」の字が下につく熟語となれば、もっと数が多い。
 「気が合う」、「気に入る」、「気が入る」、「気にする」、「気が遠くなる」、「気を失う」、「気に掛かる」、「気兼ねする」、「気風(きっぷ)がよい」、「気味が悪い」、「気持ちが悪い」といった慣用句まで数え上げたら、際限がないほどである。
 そして、「気」というものが宇宙天地大自然にくまなく充満し、宇宙的な広がりを持つことは、「気」という文字を用いた熟語を拾い出してみるだけでもわかる。
 「大気」、「精気」、「空気」、「水蒸気」、「気体」などは天地に満ちあふれ、宇宙空間を満たしている。また、「天気」、「気象」、「気候」、「寒気」、「気圧」などを始め、四季折々の自然現象は、すべて「気」の働きから生じるものである。
 あるいは、「一気呵成」、「気宇壮大」、「気品」、「気分」、「平気」、「勇気」、「気落ち」、「病気」、「元気」、「生気」__。
 さらに、「気分がいい」、「気が晴れた」、「気のせい」、「気がもめる」、「気がきく」、「気負い立つ」、「気乗りがしない」のように、心と体の状態を自然につなぐ表現として、ちょっとした一日の会話の中に、「気」という言葉が限りなく使われている。
 以上の言葉から、宇宙に遍満する「気」が、私たちの心、精神、体など、すべてを包んでいることがわかるであろう。「気」というものがいかに生活と密着しているか、生きるという生命の根源が「気」にあるということも、改めて知ることができる。
 日常生活における感覚表現として用いられるばかりか、客観的であるべき科学においても、私たちは気働きや「気」作用、勘、ひらめきなどを重要視している。
[小雨]日本の特徴は情緒に重点を置くこと
 日本では、「気」は漠然とした事物の状態を表す時にも用いられる場合があり、また、心理的な色合いが濃くなる。
 「気味が悪い」という時、その気味はこれといって明確でない、漠然とした心の状態を指す。雰囲気の「気」もそうだし、「恥ずかしげ」の「げ」も同様。「気配」などはまさに、漠然とした「気」を指す典型の言葉といえる。
 そして、「気になる」、「気が重い」、「気を付ける」、「気が合う」、「気が詰まる」、「気を静める」、「気がめいる」、「気が散る」、「気がある」、「気を持たせる」、「気に病む」、「気まずい」、「気を悪くする」、「生きた気がしない」など、現代でも枚挙にいとまがないほど「気」が使われている日常語のほとんどが、心の持ち方や情緒、ないし一定の精神状態を指すところに、日本における「気」の特徴があるといえるだろう。
 古代中国では万物を生むところの「気」が、現代日本では、心理や精神を説明する言葉として、大いに用いられているのである。この情緒に重点を置き換えた「気」の受容の仕方は、日本文化そのものであるといえるはずだ。
 しかし、日本の「気」は「心」と同一視するわけにはいかない。「気は心」という言い回しがあるが、「気」と「心」がイコールであったら、その言葉は意味をなさない。
 心というものは本来、内に向かって閉ざされているのに対して、「気」は人間の肉体から外へ向かって発せられている波長のようなもので、一種の目に見えない触手、触角の機能を果たしているのである。
 例えば、後ろから見詰められていたり、ソッと後を付けられたりしていることを、微妙な気配によって気付いたりするのも、感覚としての「気」の働きである。
 以心伝心も、一つの「気」の働きだ。以心伝心というのは仏教語であり、師から弟子に、言葉に出さないで仏法の根本を伝えることをいう。転じて、口に出さなくても、気持ちが通じることを指す。相手が発した「気」を、こちらの「気」が受け止めて、その意を汲(く)む。まさに「気」の交信といえよう。
 また、何も平常は考えたり、気に止めていないが、機会がくれば何事にも気が付く。必要となると、さまざまなことを思い付いたり、アイデアを出したりする。このように次から次へと気が付いて、ないものまでも発見したり、着想したりするというような人は、この「気」というものが十分に働くからである。
 こういう働きができるのは、宇宙が巨大な電磁体であり、太陽が目に見える熱核反応体であるとともに、目に見えない拡散する放射体であるように、人間の肉体もまた、目に見えない「気」の放射体だからこそである。
 目に見えない肉体作用の話を加えれば、愛し合っている恋人同士は、寄り添っているだけで楽しいものである。反対に、憎しみ合っている相手だと、鳥肌が立ったり寒気がするだろう。他人の隣に数分間でも座っているだけで化学的に反応、変化をするのが、私たち人間の肉体というものだからである。
 人間の肉体を「気」の放射体だといったが、電磁波の塊、「気」の結晶体と言い換えてもよく、「気」や電磁波は肉体から常に放射され、プラズマのように肉体を包み込んでいるものなのである。




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