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■小宇宙である人間にとっての「気」2 [「気」学]

[蟹座]●飲食物から得るエネルギーが後天の「気」
 次に、後天の「気」のほうは、先天の「気」に対していうもので、毎日の食事で摂取された飲食物から生成される生命エネルギーであり、水殻の「気」とも呼ばれる。
 遺伝的に決定される先天の「気」が、年齢とともに衰減していく特徴を持つのと反対に、後天の「気」は極めて人為的と見なされる。
 この後天の「気」は、脾(ひ)と不可分の関係にある。脾の概念も、西洋医学でいう循環血液の量を調整し、血球を生成する脾臓とは異なっている。
 中国の古典医学でいう脾は、胃と共同しながら、飲食物のエッセンスを消化、吸収する臓器とされ、「脾は後天を主どる」と表現される。
 脾はまた、吸収した飲食物のエッセンスを全身の器官や、手足の隅々まで輸送する機能を与えられている。この作用はあたかも、万物を生育させる土に似ていることから、「脾は中土を主どる」ともいう。
 細かく分類すれば、脾が統率する後天の「気」は、営気、衛気、宗気の三つに分かれる。
 営気とは、飲食物のエッセンスから変化、生成したものであり、水穀の精華とも呼ばれる。営気はまた、血となって脈の中を流れることから、血気と呼ばれることもある。
 二番目の衛気も営気と同じように、飲食物のエッセンスからできたものであるが、その性質が迅速であることから、水穀の悍気(かんき)と呼ばれることもある。
 この衛気は、脈外を循環するために経脈の制約を受けず、体の表面にあって、自然界の気候の変化や刺激などから肉体を防衛し、病菌などに対抗する機能を持つ。また、臓腑(ぞうふ)を温め養ったり、皮膚を潤したり、汗腺(かんせん)を開閉するなどの機能がある。抵抗力や免疫と大きく関連しているのが、衛気なのである。
 三番目の宗気になると、営気や衛気と少し違って、後天の「気」と、肉体に吸入された大自然の大気が結合して、でき上がった「気」である。
 この宗気は胸に蓄積され、二つの機能を持つ。一つは上に上って喉(のど)へ出て、呼吸を行うことで、言葉や声の大きさを調整する作用。もう一つは心に働き掛け、営気や衛気を全身に循行させる作用である。
 人間の肉体の「気」や血は、この宗気の推進エネルギーによって流れることができるのであり、運動能力や肢体の温寒は宗気と不可分の関係にある。
[蟹座]●表の口に当たる九穴、裏の口に当たる五臓
 営気、衛気、宗気の三つからなる後天の「気」は、飲食物や大自然の「気」から得るエネルギーであったが、人間は食べ物の五味から五気を培うとも考えられている。
 そもそも、人間の誕生というのが、男女の精気が陰陽相和して母胎に宿ることに始まり、胎児は母体を通じて五味、五気をもらって自らの生を養う。やがて誕生し、完成した肉体は、耳、目、鼻、口、性器、肛門(こうもん)の九穴を通じて宇宙天地大自然の「気」を受けつつ、五味を食べて自らの五気を養うのである。
 五味とは、酸、辛、苦、鹹(かん=塩辛い)、甘を指す。それぞれの食べ物に含まれているものが、胃に入ってから五味に分けられる。
 この五味は、肺、心、脾、腎、肝の五臓で、神、魄(はく)、魂、意、志の五気と変わって、それぞれの出番に応じるという肉体の仕組みになっている。
 人間の体内にいろいろな臓器のあることを、中国人はかなり早くから知っていたようで、それらは「精気を蔵して瀉(しゃ)さない」先の五つの臓、「物を伝化して蔵さない」大腸・小腸・胆(きも)・胃・三焦(さんしょう)・膀胱の六つの腑とに分けられ、五臓六腑と総称されている。
 臓の作用のことを「気」と称し、例えば、心の作用を心気、腎の作用を腎気などというが、五臓という言葉自体、五気を蔵(しま)っておくという意味から名付けられたものである。
 五臓は五気を蔵するところ。それは、肉体の生きていく素である宇宙天地大自然の「気」が鼻、口など九穴を通じて体内に入り、体の内部にとどまるところであるからだ。
 九穴が天の「気」と交わる表の口であるのに対して、五臓は内の口なのである。言い換えれば、五臓こそ天の「気」と人の「気」の交流をはかる調節機能だということになる。
 「気」と肉体の関係に続いて、「気」と精神の関係を見ても、「五味を備えて、五気調和すれば、精神おのずから生ずる」とされ、これまた五臓と関連してくる。
 しかも、私たち人間の精神が盛んで「気」が散じなければ、その「気」は天の「気」と等しくなり、天地の精に通じて「目、耳、鼻、口、衰えることなく明を保つ」ので、健康に百歳、百二十歳の天寿も全うできるのである。
 人間の健康にも、精神活動にも、「気」が支配的に作用するものだということを、知っておいてもらいたい。
 一方、五臓のどれかが具合が悪いということは、すでに五気の調和を崩していることと見なす。「天の邪気を感ずれば、すなわち人は五臓を損なう。食べ物が冷たすぎたり、熱すぎたりすると六腑を害する」といわれ、さらに「気血は五臓の使い」といって、五口(九穴)と五臓および気血の三者は、緊密に結び付けられている。
 血(けつ)というものについて説明を加えれば、血は営気が変化してできたものであるが、この血は「気」とともに、中国医学に特有の二つの要素である。
 血とは現象的、生理的には体内を巡る体液の一種としての血液であり、機能としては全身に酸素や栄養、ホルモンなどを提供するほか、感覚や知覚などをつかさどるもので、生命活動の根本といえる。
 日本の伝統的な漢方では、中国の「気」と血のほかに、血以外のすべての体液を表す水を加えて、「気」・血・水という三元的な考えが主流であった。
 古典では、「気は血を生じる」、「気がゆけば、血もゆく」、「気は血の総帥である」としており、血よりも「気」が上位にあることがわかる。
 この「気」と血が、運行通路である経絡(けいらく)の中をバランスよく順調に流れていれば、私たち人間は健康を保証される。
 逆に、「気」と血がどこかにとどまり、流れに支障を来せば、そこに痛みが生じ、アンバランスが大きくなれば、百病が生じることになる。それが病んだ「気」であり、病気である。
 「気」の医学は、病んだ「気」を回復し、流れを取り戻すことによって、自然のうちに病気を癒すことを目的としている。
[獅子座]●ツボで発生し経絡を巡る「気」について
 漢方で気血の運行通路と見なしている経絡の中を、「気」と血がバランスよく順調に流れている限り、私たち人間は健康でいられると説明した。
 では、血をも生じる、生命の根源である「気」はそもそも、肉体のどこから発生すると、古代の中国人は考えたのだろうか。
 答えから先にいえば、中焦(ちゅうしょう)。彼らは、肺や心臓や横隔膜よりは下、ヘソや腸や膀胱の上に位置する中焦にこそ、「気」を発生させる力、気化作用があるとしたのであった。
 中焦とは、六腑の一つ三焦(上焦・中焦・下焦)の一部であり、脾や胃などの臓器があるところだ。
 この胃のあたりの、体の深いところに存在する中焦を源として、先天の「気」と後天の「気」とが一体となった経気(正気)が、経絡を流れて、人間の全身を巡り流れる。
 中焦を出発した経気は、頭から足の先、両手の指までをくまなく結び、体中の五臓六腑を巡って、再びスタート地点の中焦に戻るものであり、体内の「気」の循環作用がいかに複雑であるかを物語っている。
 経絡とは、経と絡、経脈と絡脈の総称。経、ないし経脈と呼ばれるのは、「気」の流れる太い幹線のことで、動脈の一部を含む主脈ともいわれる。
 この経は合わせて十二本あることから、十二経と総称し、いずれも五臓六腑のどれかと直接的に関連している。こうして「気」は両手と両足の指で方向転換をしながら、「時に浅く、時に深く」、体内の臓腑を結んで流れているのだ。
 一方、絡、ないし絡脈と呼ばれるのは、経から分かれ出た細い支線のことで、静脈の一部を含む支脈ともいわれる。合わせて十五本あり、さらに細分化していく。
 この「気」の流れである経絡の上には、ツボという要所がある。一般的に考えれば、まずポイントとしてのツボが発見され、その共通性を探す中から、ツボとツボをつなぐラインとしての経絡が引かれたと見るのが妥当だろう。
 現存する中国最古の医学書である「黄帝内経(こうていだいけい)」では、脈気の発するところを気穴と表現し、水が湧き出るように脈気の出るところを井穴と表現している。
 私たち人間の肉体には、「気」の発生するポイントとしてのツボが、全部で十二ある。いずれも、手足の指の爪(つめ)のすぐ近くに存在する。
 例えば、手の親指の爪の付け根の外側には、少商というツボがある。足指の爪の近くには、外側に隠白、内側に大敦(だいとん)と二つあり、足の裏には、知る人ぞ知る湧泉というツボがある。
 かように種類としては十二であるが、私たち人間の肉体は左右対称であるから、同じ名前のツボが二つずつ存在し、数としては二十四の気穴があることになる。これらのツボは、医学的には経穴、諭穴、孔穴、穴位など、多くの呼び名を持っている。
 このツボは一面で、体内の異常を反映する診断ポイントであり、もう一面では、針や灸(きゅう)の刺激を与える治療ポイントにも活用されている。
 一本の細い針でツボを刺激することによって、副作用もなく病気を治せるのは、「気」が存在するからこそである。
 経絡を流れる「気」を経気、正気などといい、それが不足した状態を虚、虚証と呼ぶ。正気が不足した結果、邪気が過剰になった状態を実、実証と呼ぶ。
 この二つのアンバランスを、一本の針のテクニックで解決することも可能なのである。虚であれば正気を補い、実であれば邪気を洗い落とすのである。
 現代の解剖学でも、ツボが神経や血管、筋肉などの組織の分布状況と密接な関係にあることを、確認している。ツボの部位にはまた、電気抵抗の低下、光沢の異常、圧すれば痛むことなどが認められており、肉体の中でも非常に特殊なポイントであることがわかる。
 ともかく、宇宙も、万物も、人間も、すべて「気」からできていると考えた古代の中国人は、大地を潤す水脈からのイメージも加えながら、肉体内に経絡という「気」のネットワークを想定したのであろう。
 何千年もの昔の古代インド人も、生命エネルギーをプラーナ、その集中するところをチャクラ、流れるコースをナディと呼んだ。ヨガの世界では普遍的な三つの概念は、中国でいう「気」とツボ(気穴)と経絡にほぼ対応する。
 「気」とプラーナ、ツボとチャクラ、経絡とナディを比較、考察することは、「気」と肉体のかかわりを知るために有意義であろう。




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