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■心身を癒す5 [心身を癒す]

[リゾート]自分の表情を変えてみる
●ほほ笑みという微笑がもたらすゆとり
 もう一つ、楽に、楽しく、気楽に毎日を生きるために私が特に勧めたいのは、笑いというほどの大笑いではなく、ほほ笑みという、いわゆる微笑である。人間にとっては、ほほ笑み人生が最善。大笑いや高笑いまでいくと、楽しさがこぼれてしまうのが気掛かりとなるからだ。
 もともと、人間の赤ん坊が生まれて、最初から持っている表情は泣きの表情であり、その次に現れる表情はうれしそうな笑い、ないしは、ほほ笑みである。
 意味をなす言葉を発することのできない人間の子供や、そもそも言葉を持たない動物の子供が、母親に自分の状態を伝えることは重要である。自分の状態の最も大まかな分類は快、不快であり、子供は母親に快につながる行動を多くしてもらい、不快につながる行動を減らしてもらわなくてはならない。
 このような目的のために、快い場合はほほ笑みを、不快の場合は泣く行動をとるように、人間の赤ん坊が進化しているのは当然といえる。
 人間が喜んだ時に出る笑いは、このような原初的なほほ笑み行動に由来しているものだと考えられる。この赤ん坊の快信号の表情は、子供時代の遊びの笑いや、大人になった時の融和の笑いに、簡単に転化できる性質の表情である。
 そして、この人間のほほ笑みとは、楽しい体の感覚や、五官のほころびから作られる、天来自然のものである。そのほほ笑みの中には、すべての苦労も争いもみな融け込んで浄化されるから、人は一生涯、くつろぎと安らぎの生活態度で過ごせる。
 なぜなら、怒ったり、泣いたりするネガティブな感情生活には危険が多いが、ほほ笑みで暮らす人というのは、体に落ち着きがあるだけに、一切を眼耳鼻舌身の五官意識で選択し、善処してくれるから、真に安全なのである。
 体に落ち着きがあり、心にゆとりがあれば、喜怒哀楽を上手に表現し、セーブすることができる。感情というものは、人間の体や性格に微妙に影響を与えるものだ。プラスの感情とマイナスの感情をコントロールすることが、幸せにつながる。
 ほほ笑ましい、楽しい、喜ばしい、気分がいい、やる気が出るというプラスの状態は、感情の問題であると同時に、ホルモン分泌もかかわっている。
 大脳基底核、大脳新皮質の前頭葉、側頭葉、大脳辺縁系に分布するドーパミンが、前向きな快感をもたらす。ドーパミンが分泌することで、意欲的な精神状態を作り、プラスの方向に作用する。
 人間は通常、ホルモンをコントロールすることはできないが、精神の力で感情をコントロールすることは可能である。ドーパミンがプラスのホルモンであれば、当然マイナスのホルモンも存在する。恐怖のホルモンといわれるアドレナリン、怒りのホルモンといわれるノルアドレナリンである。逃避や不満の感情が高まった時は、必ずこれらのホルモンが分泌されている。
 怒りをほほ笑みに変え、マイナスのホルモンを分泌させないことも、幸せな人生を過ごすための秘訣の一つである。宇宙天地大自然の真理に生かされて、生きていることを喜び、楽しく感じ、そう努めることが、人生をより充実させるのである。
●リラックスから充実する「気」の生命力
 問題は、日常生活でいかに落ち着き、リラックスして、ほほ笑みで暮らせるかにある。リラックスの上手な人は、神経を無理に使わなくても臨機応変に、事に当たって的確に対応ができ、処置がとれるものである。
 現代人は意識過剰で、常に神経を緊張させ、酷使して生活している。ほほ笑み、くつろぎ、リラックス、あるいは気楽などというものを忘れているようであるが、この何でもないようなことが、人生にとって、真に大きな意味を持っている。
 人間はとかく頭ばかりで物事を考えすぎて、どちらかというと寝ても覚めても、あくせくしているのが現状である。このあくせくは神経の緊張となり、エネルギーの消耗となり、生命力を減退させ、その結果は寿命を縮める。
 反対に、くつろぎの姿からは余計な緊張が消え、緩和されて、エネルギーが回復するばかりではなく、刻々、全身に見えない世界からの、「気」という生命力が充実されるのである。
 気楽というのも、読んで字のごとく「気」が楽なこと、「気」を楽しむことで、楽しんでやることには緊張も生じないから、何でも身に着く。端から見ていても、ゆったりしていて、わざとらしさがない。やるふりや見せ掛け、ごますりなどの恥ずかしいことはしない。
 気楽、気まま、くつろぎによる緊張緩和は、そのまま家庭も、職場も、学校も、世の中も、世界の全体までも、人間関係を和やかな、安らいだものにする。すると、人間の表情も和らいで、安らぎ、明るく、ほほ笑みも表れるのであって、この微笑はそのまま、全身の細胞の一つひとつにも表れるのである。
 このように、くつろぎという、ただこの一事が、内は全身の細胞から外は全世界までも、和やかなくつろぎに導く。さらに、全身の緊張が解けてくると、肉体全体の働きは活発になり、神経も精神も正常に働くから、考えや判断も明確になってくる。
 くつろぎこそ、ほほ笑みこそは、自然であり、自然こそは真理である。
 かの道元禅師も、曹洞宗の根本聖典である「正法眼蔵」の中で「和顔愛語」を説き、穏やかな表情と温かみのある言葉の大切さを強調している。
 道元禅師のいう和顔愛語こそ、現代の混濁した人間関係と、すさんだ心を矯正する上に、最も望まれることであろう。現代人には品位を備えた言葉とともに、和顔という、ほほ笑みも必要なのである。
 言い換えれば、人間というものは、その心が顔の表情に出てくるものであるから、顔を軽んじてはいけないということになる。
 いつも苦り切った顔付きをしている人などは、できれば自分の表情を変えるために、和やかなほほ笑みや、明るい笑顔を習慣的に訓練してみるとよいだろう。これは整形手術などをするのではなく、ただ鏡を見て毎日練習するだけでよいし、ほほ笑む練習をやるだけでよい。
 従って、経費も税金もかからないし、おまけに心身の健康状態がよくなり、家庭内がパッと明るくなり、夫婦や子供の生活まで一変するはずである。
 私たち人間の中に、本来的に備わった自然力としての笑いの能力も、開発されないことには顕在化することがないと銘記して、ぜひ試してもらいたいものだ。




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■心身を癒す6 [心身を癒す]

[リゾート]息を吐いて落ち着く
●圧力を体外に吐き出す呼吸
 「人間は笑う動物である」というのは、紛れもない事実である。だが、「人間は笑うことのできる唯一の生物だ」というわけでもない、と説く学者もいる。
 実際、知能に優れたチンパンジーやゴリラを観察すると、遊び顔をして仲間同士遊ぶし、くすぐられたりすると口を開け、「アハハ」と声を立てて笑うという。
 喜怒哀楽の四大感性の中で、最も表出しやすいのは怒りの感情のようだ。これは多くの動物が表現できるが、笑いに近い表情をとれる動物は、社会性に富んだものたちだ。笑いが表出できるのは、精神活動の発達の証拠でもある。
 すなわち、笑いの感情を示すことができるのは、高等動物の証明ということであり、その笑いの感情を人間は持っているのであるから、実に素晴らしいことである。
 怒りの感情は人間にもあるが、広く動物にも見られるわけであるから、怒ったからといって自慢できるものではない。笑いは人間が自慢できる、優れて人間的な能力といわなければなるまい。
 動物も当然、さまざまな感情を全身で表現するといっても、この人間の笑顔や、ちょっとしたほほ笑みとともに交わす一言には、はるかに及ばない。
 また、言葉による挨拶(あいさつ)はもちろん大切だが、たとえ言葉は通じなくても、心のこもったほほ笑みによって、人間同士の温かい気持ちや感謝を伝え、心を通わせることができる。笑顔は人間関係の潤滑油だ、と考えられる。
 動物はいうまでもなく、植物にも人間の心が通じ、言葉もある程度は通ずるのも事実。ただ植物には、動物に見られる表情というものがないから、通じたかどうかがこちら側によくわからない、という不便さが残る。
 しかし、人間はありがたいことに、豊かな言語と表情を持っている。これを使わず、まるで無表情に押し黙っていたり、「男は三年片頬(ほお)」といって、「男はめったなことで笑うな。三年に一回、片頬で笑うぐらいでよい」などと教えるのでは、いたずらに宝の持ち腐れを奨励しているようなものである。
 最近、海外でいわれているのは、「笑いは内側からのジョギングである」ということであり、笑いやユーモアのストレス対抗策としての効用が、特に注目されるようになったらしい。
 ユーモアのセンスを持つことは、職場で有効なリーダーシップを発揮するのにも役立つとされる。それは、職場でのストレスを減少させ、従業員に管理者の関心を理解させ、従業員のやる気を高めるという点で有益であるが、ユーモアは短く、会話的で、控えめで、謙虚なものがよい。不適切なユーモアは逆効果であるようだ。
 このようにユーモラスな状況を作る能力が求められていても、とりわけ日本人男性には、「おかしくもないのに笑えるか」というような厳格主義に取りつかれている人物が、今日でも少なくない。
 このような石部金吉は、企業や官庁、学校の管理職には結構おられようが、それでも不愉快な会議をしたり、部下や生徒に説教を垂れた後の眉間(みけん)にシワの寄った顔を鏡に映して、ニヤリと苦笑するくらいの余裕はほしいところだ。
 次に、ほほ笑みたくない時でも、「フーッ」と強く息を吐くだけで、ほほ笑んだり、笑った時と同じ調子が出ることも知っておいていいだろう。
 大事の時、「心を落ち着けろ」といっても、急に落ち着くものではないだろう。が、ただ「フーッ」と息を吐き、本来のリラックス状態を取り戻せばよい。
 このリラックスとは、生まれ変わることである。その時点まで身に着けていた心の垢(あか)を洗い流し、意識や感情のしこりやこだわりをほぐして、吐き出し、生まれ出た時のままの自然作用、自然感覚、自然機能をよみがえらせ、そこから再出発すること。これがリラックスの真意である。
 ジリジリ、イライラして頭に血が上った時にも、息を吐くこと。何回も何回も大きな息を吐いて、心を安らかに、平らかにすればよい。苦しい時や悲しい時にも、大きくため息をすれば、気持ちが楽になる。
 頭の圧力、胸の圧力、上半身の圧力がみな、呼吸とともに外に吐き出されてしまって、心が落ち着くからである。
 息を吐いて、吐いて、吐き抜けば、胸が真空になる。頭が軽くなる。心が落ち着く。心を落ち着かせようとするには、息を吐いて、吐いて、体内の圧力をなくせばよいのである。吐いたり、吸ったり自由に息ができないと、気詰まりがする。
 息を吐いて、常に楽に楽しく生きようではないか。
●笑いは人間にとって欠かせないもの
 ここまで、笑ったり、息を吐いたりすれば楽しくなれる肉体生理などを述べてきたが、人間の笑いについて考えた場合、人によって、よく笑う人、笑わない人という程度の差はあるにしろ、誰でもが笑う能力を持って生まれ出てくるのは、紛れもない事実。
 その素晴らしい天与の能力が、後において開発されて十分に顕在化するか、何らかの障害によって潜在化したままであるかの違いは付きまとうが、基本的には人間は誰でもが一人ひとり、笑いの能力を持っているということを確認しておきたい。
 遺伝子という言葉を使うならば、笑いの能力は人類のDNAの中に刷り込まれているとも考えられる。人類が長い歴史を通じて進化を遂げてきた中で、笑いの能力は生存していくのに必要だからこそ、今に残り続けてきたわけであろう。人間が生き物として生き続けていく限り、笑いの能力も生き続けることだろう。
 盲人の行動を研究したところでは、先天的な盲人にも、笑いやほほ笑みが普通の者と同じように観察されることが、見いだされている。先天的な盲人には、他者の表情を視覚的に模倣することはできないから、人間の笑いやほほ笑みが本能的な行動であることを示唆している。
 もし、人間が本能的な行動たる笑うことを忘れ、笑いの能力が開発されず、そのうちに退化するようなことが起こったとしたら、その時はもはや人間が人間でなくなる時を意味するのではないか。
 私たち人間が生きていくのに、なぜ笑いが必要なのか。
 一つには、個人が生きていくためには、心身ともに元気で過ごすこと、健康に毎日が暮らせるということが何よりも大事で、そのために笑いが欠かせないのである。
 私たちの祖先は、経験上の知恵から、笑いが健康によいということを知ってはいたが、医学的に立証することはできなかった。最近になって、精神的にも肉体的にも、笑うことが医学的な見地からして大切であるということが、証明されつつある。
 大いに笑うと、免疫担当細胞として働くNK細胞が増えるという知見も、その成果のうちの一つである。
 もう一つには、人間は共同生活を営んでこそ生きていけるわけで、その共同生活を営む上で、笑いが欠かせないということである。
 夫婦関係であれ、親子関係であれ、他人との接触や交渉に当たっても、互いの関係を親和的に取り結ぼうとすれば、笑いが必要となる。人間関係には、大なり小なり緊張が付きまとうのは宿命であり、そうした緊張を緩和させる仕掛けがないことには、共同生活を円滑に営むことはできない。
 人間の歴史を振り返れば、緊張を解くのに暴力が使われ、今もなお世界各地で、暴力が緊張解決の手段として使われている。暴力の延長上にあるのは、共同生活の破壊である。笑いには、緊張を解決できるだけの力はないとしても、緩和する働きはある。
 日常生活の中での個人と個人の話し合いでも、笑みを浮かべたり、相づちを打ったり、時には声を出して笑い合ったりして会話が進む。
 笑いの表情が全くない話し合いの場合、命令的か、けんかをしているか、いずれにしろ緊張をはらんだ関係ということになろう。協調としての笑いが交ざってこそ、円滑な人間関係が取り結ばれる。
 結局、人間にははじめから笑いの能力が与えられており、これなくしては、人間が人間として生きていくことはできないであろうと考えられるのである。笑いやほほ笑みなど、何でもないようなことが、私たちの人生にとって、まことに大きな意味を持っているわけだ。




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