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■宇宙天地大自然と「気」3 [「気」学]





[魚座]無限小の世界の先も「気」の世界である
 では、不思議な原子の世界の原子核が、物質の究極の姿なのだろうか。
 日に日に進歩する現代物理学では、その原子核は、陽子と中性子と、その他の素粒子でできており、これらもより小さな粒子である六種類のクォークと、六種類のレプトン(軽粒子)で構成されていることを実証しているのである。
 さらに、究極の粒子とされてきたクォークが、より小さい粒子、すなわちサブクォークからできている可能性も、指摘されるに至っている。
 では、クォーク、ないし、いまだ存在が立証されていないサブクォークが、果たして究極の物質なのだろうか。
 クォーク、サブクォークを、さらに細かく分析したらどうなるか。何からできているのか。それはわからない。宇宙の果ての無限大の世界がわからないように、現に手にしている物質を形作っている無限小の世界も、人間にはわかっていないのである。何とも、もどかしい話ではないか。
 実は、人間の知恵をもってしては、どうしても解明されない、物質の最小限の極という物から先も、「気」の世界なのである。「気」はもう物ではなく、物になってくる「気」、物質以前の「気」ということになる。
 高度に進んだ科学時代の物理学者も確認できない世界、それも「気」の世界であり、「気」の状態なのである。
 結局、目に見えない「気」について、人間はわかっているようで、全くわかっていないものである。わかりそうでわからない神秘性を有するのが、「気」の性質でもある。
 「気」の神秘的な本質は、般若心経にいう色即是空・空即是色という言葉で説明することができ、理解もできるだろう。人間の知恵をもってしてはわからない、物質や空間や時間の無限大、無限小という「無限」という観念も、いうならば、「あるといえばある」世界、「ないといえばない」世界である。
 つまり、色即是空・空即是色の世界なのである。
 「気」はすべての根源であり、人間の知・情・意の源泉であるけれども、その本質は宇宙始源の空の世界に属し、目に見える色界と目に見えない空界とに潜在しているからである。
 すなわち、「気」は目に見えない宇宙的存在であり、空そのもの。太陽も、地球も、また人間存在も、本来、空なる世界から現れた存在にほかならず、「気」のエネルギーが姿を変え、力となって発現、発揚しているのである。
[水瓶座]物質性を超えた「気」と空気
 人間についてみれば、「気」は体の空の領域において生命力として蓄えられる一方、体の中に蓄えられた「気」は、物を生み出す「気」にも変わっている。空の世界に蓄積された「気」は、空から色へ、色から空へと自由に次元を超えて、「気」の発動となって現れるのである。
 いうなれば、「空」と「気」は言葉が違うだけで、実は同じもの。ただし、空というものは物でもなければ事柄でもなく、物や事柄に変化する「気」が充満している宇宙空間の状態を意味している。
 例えば、「空気」は「空」という漢字を頭に置くから、何もない気体というイメージを与えているだろうが、空とは禅でいう「色」の逆説的用語であって、すべてが「在る」という意味である。
 もちろん、「気」の中には、ないものはない。宇宙天地大自然、万事万物、森羅万象のことごとくが「気」だからである。
 また、「空気のようだ」というと、目に見えない存在、気付かない存在、あるようでない物、ないようである物などを例える場合に使うだろうが、空気は物質であり、風や雨や稲妻を生じたりする。
 そして、地球を包んでいる無色透明の気体である空気は、生物になくてはならない酸素や、二酸化炭素を供給しており、明らかに一つのエネルギーである。酸素や二酸化炭素は物質であり、生物の生理作用となるばかりか、物理作用ともなり、精神作用ともなるものである。
 この生命の一切の素が含まれている空気とは、太陽と地球の「気」が合体したものであり、空の中に、「気」の中に、すべてを生かす力がある。命あるものは残らず、空気の中に存在し、あるいは、空気が溶け込んでいる水中に生かされていることが、その何よりの証拠である。
 空気の中から、必要なエネルギーをいくらでも得られる。現に植物も動物も、どんな微生物たちも、生長、繁殖、行動、感覚などの貴重なエネルギーを、空気を呼吸することによって得ている。空気を体いっぱいに、上手に呼吸することのできる生物は、健全、賢明に生命を発展させることができる。
 呼吸とともに、空気中にたくさん包含されている「気」を吸収できるということは、空気の持つ何よりのありがたさであり、神秘不可思議なところである。
[山羊座]「気」は消滅、死滅する宿命も持つ
 本来、人間の視覚では把握できない宇宙的存在であり、色界と空界に潜在している「気」について、ここまで説明を試みてきた。
 平易な解説に努めてきたつもりだが、わかりそうでわかりにくい「気」というものを完全に理解することは、一般の方にとって容易ではなかろう。より簡単、明白に、宇宙天地大自然の「気」についてまとめておきたい。
 宇宙は「気」の世界である。太陽も「気」の固まり、地球も「気」の固まり、無限大の大宇宙に存在する天体で「気」の固まりにあらざるものはない。
 そもそも、宇宙大自然世界に存在するすべてのものは「気」であり、「気」がすべてのものになっている。約百五十億年という悠遠なる過去に宇宙自体が創られ、天体という物体が創られたのも、「気」の働きである。
 現在も、森羅万象、万事万物、一切ことごとくが「気」によって進化し、発展し、存在し、生かされている。
 太陽などの恒星、地球や火星などの惑星、月などの衛星といった重い重い大きな物体が、宇宙空間に浮き、回転している。それらの総体も、整然とした秩序の下で動き、動かされて、膨張し続けている。何によって動かされているのか。それも「気」の力によって動き、動かされている。
 宇宙空間のすべては「気」の世界であり、時という時間の根本さえも「気」の動きであり、地球圏内の森羅万象、万事万物ことごとく、「気」でないものは一つもない。「気」というものが、いかなる時、いかなる所、どのような場合においても、その原質なのである。
 我々人間の生命も「気」である。動物や植物のすべての生命も「気」である。人間や動植物をかくあらしめている、いわば生命の根源は「気」であり、創造し活動するものはことごとく、「気」の結晶体である。
 目には見えないが、「気」の中にはすべての生命のエルゴンという活動し、創造する力が存在し、それが凝って物質の究極を形成する因子となり、宇宙天地大自然の万物はもとより、あらゆる生きとし生けるものを創り上げている。
 その「気」の有り様は、物により、事により、時により異なる。季節でいえば、春には春の、夏には夏の「気」があり、一日でいえば、朝には朝の、昼には昼の、夜には夜の「気」があって、それぞれの「気」はみな違う。同じものであっても、味や働きが微妙に違うのである。
 「気」は時間によっても、空間によっても、時節によっても違うのと同様、人間の年齢によっても違う。一歳から百歳、百二十歳まで、百段階、百二十段階があり、それぞれに「気」が違うのである。
 同様に、一年には三百六十五段階があり、それぞれに「気」は違う。
 「気」は、その働きが日々刻々、年々歳々同じではないわけだが、「気」の働きというものは目に見えないし、普通の人では気付かないから、その変化というものがさっぱりわからないのである。
 しかし、「気」を利用するかしないか、その上手下手、使い方の巧拙によって、どれほど人間の運命が変わるかしれない。
 ただし、宇宙天地大自然に存在するものは、ことごとく「気」の結晶体であり、「気」が変化して生成されているゆえに、人間を含めた万事万物はまた、いつかは「気」となって消滅したり、死滅する宿命にある。




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